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ボサノヴァとカレー ["Beija Flor" - Joe Pisto]

ボサノヴァとカレーはよく似ている。ボサノヴァは何をやってもボサノヴァで、カレーは何をどう煮込んでもカレーにしかならないから。
ある種の強さもありつつ、どの国籍の人がボサノヴァを演奏しても似たような曲にしかならない。余程個性的なことをしない限り、ボサノヴァはボサノヴァ以上でも以下でもないし、カレーもカレー以上にも以下にもなりようがないと言う意味で。
 

 
それでも地球人はボサノヴァを愛し、カレーを愛してやまない。それが普遍的で、絶対に人を裏切らないことを人々は知り尽くしている。
食傷気味になったとしてもそこは、心と体が最後に辿り着く場所なのだ。だから人はボサノヴァとカレーをこよなく愛し、感覚が麻痺しても尚両者を追い続けるのだ。

困った時のボサノヴァ。
困った時の十八番のカレー。

両者はアイディアに行き詰まった作り手を、無言で助けて支え続けている。
 

https://www.youtube.com/watch?v=YldnQU0C5N4 

Joe Pistoはイタリアの作曲家・歌手・ギタリスト。
彼の声質はどこか [Sting] を彷彿とさせる。枯れた声色はどんなジャンルの表現をも受け容れ、まさに今、この「秋」にはぴったりと寄り添うしとやかさを兼ね備えている。
前半の情熱的なクラリネットはGabriele Mirabassi。イタリア人ならではのこの情熱に、アジア人の私は滅法弱い。完全に腰骨を打ち砕くこのグルーブで、何人もの女性を泣かせたことかと思いながら、口説かれまいぞと空を見上げて私は全てをやり過ごす。

そして動画 [Joe Pisto - Gabriele Mirabassi - Paolo Ghetti - "Beija Flor"] の中盤のギターソロは、エリック・クラプトンの「Autumn Leaves」のラストスパートのブルースギターをも想起させる激しさすら感じてならない。
 


それにしてもカレー粉を使えば、全てはインドに通ずる。マレイシア風カレーだろうがタイカレーだろうが地中海風カレーだろうが、はたまた和風出汁を使った和カレーだろうが‥、全てはインドカレーに通ずる。
そこに在る素材の個性は全てカレー化され、人は皿の中に君臨するカレーに全てを忘れ堪能し尽くすのだ。

同じことがボサノヴァにも言える。
どんなに凝ったコードプログレッションを駆使しようが、どんなに異国情緒豊かなメロディーをぶち込もうが、全てはボサノヴァに吸い込まれ、ボサノヴァ以外の何の音楽にも聴こえなくなってしまうのだ。

ボサノヴァは私が、この世でバッハの次にライバル視する強敵である。
 
さぁ!
StingChris Bottiが繰り広げる強敵ボサノヴァをご堪能あれ。

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Didier Merah(ディディエ・メラ)
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