![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/72988606/rectangle_large_type_2_d5c74c52ed6a8308b7079910887f8a2d.jpg?width=1200)
ローリス・マラグッツィ「子どもたちと、私たちと戦争」
ウクライナでは戦争が始まってしまいました。レッジョ・エミリアでは平和を願う集会がプランポリーニ広場で開催されるそうです。そして、湾岸戦争時にマラグッツィが寄せた「子どもたちと、私たちと戦争」の電子ブック(英語/イタリア語)が期間限定で無料公開になりました。
表題となったマラグッツィの言葉をざっくりと日本語にしてみました。
I bambini, noi e la guerra
子どもたち、私たちと戦争
1.
子どもたちは大人と一緒に窓際にいます。それは確かな当然のことです。そして世界は、人間の冒険は、すべてにおいて、道に流れていきます。神秘的(オカルト的)なフィルターなどありませんし、そのメディウム(媒介)はメッセージなのかその反対なのか、大人の知覚の分類が子どものそれと離れているのか、判別するのは無駄なことです。どこかで起こることは、どこであっても起こるのです。
戦争がすべての道を占拠しています。人類最大の、神への冒涜、後戻りできない冒険を、初めてノンストップでTV中継しています。
子どもたちは、私たちのことを見ています、見ています。
電子メディアの巨大な力は、あらゆる電子戦争において、とりわけその手法と物語言語の無限の多様性によって、子どもたちを数分のうちに悲劇と恐怖の軌道につれ戻してしまいます。テレビゲームや日本のアニメと混同されることなく、テレビが毎日垂れ流している「ビム・ブム・バム」(原註:イタリアの子ども向けTVプログラム)のバカバカしさはありません。
なにしろ戦争が始まる前からすでに子どもたちはその軌道を拾っていたのです:彼らは顔色を読み、身振り手振りに興奮し、親の言葉で苦悩します。
あるいはTVから学んだ、遠いけれども本物の戦争の光景を思い出し、セルロイドで作られた偽物の戦争をすぐ見分けることができるようになります。
2.
戦争という言葉は確かにそもそも重い言葉であり、私たちは残念ながらそれが子どもたちの会話の中で非常に早く、頻繁に呼び起こされ、やりとりされていることを知っています:TVが日々配信するシナリオと、それに(公私ともに)付随する関連する現象を通じて、より完全で暴力的な意味を持つようになったとき、その言葉が、子どもたちにとってどれほど重いものになるか、たやすく想像できます。
3.
そう遠くない昔、紛争が起こる前、私の故郷で4〜5歳の子どもたちがどのように自分の欲望や権利を主張しているかを調査したとき、非常にすばらしい言葉が返ってきたことがあります。「平和に暮らすこと、平和であることは権利。」「多くの人を殺すことは権利じゃない 。」「子どもにはおだやかにする権利がある。」私が覚えているのは、子どもの思考の知性と成熟度、価値のあるイメージを構築し、それをいくつかの言葉に絞り込む能力がいかに高いか(この点については親とじっくり話し合いました)、そして、子どもの経験がどれだけ人生の出来事に関与しているか、そしてそれらを選択し、そこから原理を引き出す方法をいかに知っているかという結論です。
その子どもたちやその親たちが、この恐ろしい日々をどのように生きてきたのか、そして生きているのか、私にはわかりません。その子どもたちが、火や死の幻影の作者あるいは共同作者として認識されている、大人の世界をどう考えているかはわかりません。
すでにその影響を実感している学校でも、多くの家庭からの要望で、どう介入していくか意見を出しています。
4.
新聞を読めば4〜7歳の子どもを対象にした調査のことがわかります。たくさんの子どもたちが泣き、動揺しています。戦争は遠く離れた場所で起こるものだ、と安心させれば、その不安は和らぐようです。多くの難しい質問が生まれます。子どもたちも死ぬの?イラクの子どもたちも良い子なの?、天国へ行けるの?なぜみんなを殺すの?なぜ戦争するの?なぜ戦争になってしまうの?なぜ、みんなは平和を作らないの?何のためにあのマスクをつけているの?なぜ、これほどの男の子たちの列ができているの?なぜ、多くの人が叫び、祈るの?どこに指導者がいるの?子どもたちの不安や苦しみは、どうやって落ち着くのか、問いがどこまで膨らむのか、誰にもわかりません。私たちの態度、尺度、言い逃れをしない能力、私たちの質問と子どもたちの質問を組み合わせ、可能な限り、子どもたちとメディアの間を仲介することによって、それらをどれだけ克服し、償却することができるでしょうか。
5.
政治的、倫理的なレベルで、私たち一人ひとりが自分の役割を果たす必要があります。やるべきことをやらず、やってもいない外交を呼び覚ますために、対話と平和のジェスチャーは今も昔も可能なのです。
紛争の停止と国連会議の召集こそが、恐ろしいホロコーストを止め、人間の理性に再び声を与えることができます。
良心と常識、そして政治的行為の非軍事化は、すでに世界のあらゆる地域で何百万人もの人々を集めている事業である。
子どもたちに関するこれらの注意事項 - 戦争の中の戦争に参加するために呼ばれること - 。は、私たちがすでに持っている意識にさらに意識を加えることができ、そのすべてが私たち個人と集団の責任の方向を示しているのです。
ローリス・マラグッツィ
「子どもたち」第二号、1991年2月、6-7頁