ケリ・スミスに挑戦してみる
2024年2月にイタリアへ研究調査に赴いたとき、ミラノの書店で面白そうな本を見つけました。『子どもたちのためにデザインする(Progettare per i bambini)』というタイトルの小さな本でした。
Progettare per i bambini
Dialoghi tra design ed educazione
A cura di Giorgio Camuffo e Gerda Videsott
2023, Lazy Dog Press
イタリアの教育者やクリエイターたちが子どものための創造的な活動について対談したものをまとめた内容なのですが、その中にミラノ・ビコッカ大学教育学部のモニカ・グエラ教授とムナーリの本を数多く発行するコライーニ社のピエトロ・コライーニ氏の対談があり、ケリ・スミスというカナダのアーティストについて語っています。
不明にしてそれまでケリ・スミスという人のことは知らなかったのですが、彼女の本は日本でも出版されていました。グエラ教授とピエトロ氏は、彼女のアプローチをとりあげながら、「どこにたどり着くかわからない探究活動を子どもと共におこなうことの大切さ」について語っています。
GUERRA - L'idea di progetto, almeno nei termini che hai esposto e che condividiamo, è per me particolarmente significativa. Se dovessi spiegare che cosa fa chi si occupa di educazione, potrei dire che in primo luogo ipotizza il progetto di un contesto interessante per chi si troverà a farne parte e, facendone parte, potrà apprendere attraverso la possibilità di farvi esperienze. Inversamente, se dovessi spiegare che cosa fa chi apprende, direi che tenta di costruirsi un progetto personale a partire da ciò che qualcun altro gli sta mettendo a disposizione, e che lo fa in modo convergente oppure, se quanto gli viene offerto non è per lui abbastanza interessante, divergente. Ancora, se dovessi dire che cos'è un'esperienza, la potrei definire come la costruzione di un progetto passo dopo passo, un progetto in progress, non necessariamente pre-orientato, che si determina attraverso tentativi e anche errori continui, ma che ha un senso, una rilevanza, una curiosità per chi lo sta compiendo. In sintesi, per me progettare significa porsi una domanda, attraversare i contesti sperimentando con strumenti e materiali a disposizione, provare a formulare una o, spesso, più risposte, iniziare a mettere in campo alcune azioni coerenti, verificarle e sovente ricominciare daccapo in un processo a spirale. In tal senso, quasi istantaneamente, il progetto entra in relazione con la dimensione della ricerca, quella dimensione che oggi probabilmente è quanto di più interessante un educatore o un insegnante possano trasmettere a un bambino o a un ragazzo: aiutarlo a costruirsi un progetto e, contemporaneamente, accompagnarlo nell'apprendere modalità e nell'utilizzare strumenti per progettare in altri contesti. Tutto questo - e riprendo così il secondo elemento che hai introdotto nel nostro discorso - passa in modo intrinseco dalle cose. Prendendo un libro qualsiasi di Keri Smith possiamo cogliere come strumenti non tradizionali, provenienti dal mondo del design o dell'arte, possano essere estremamente utili per educare.
グエラ:プロジェクトの考え方は、少なくともあなたが提示して私たちが共有している用語としては、私には特に重要なものです。そこで教育に携わる人たちが何をしているのか説明するなら、まずはその中に入る人たちのために興味深いコンテクストをデザインする、という仮説を立て、その一員となりながら、そのコンテクストの中で経験を積む可能性を通して学ぶことができるでしょう。反対に、学習する人が何をするのかを説明するならば、学習する人は誰かが提供してくれるものを介して個人的なプロジェクトを構築しようとすることと言えます。繰り返しますが、経験とは何かと言うなら、プロジェクトを一歩一歩構築していくことであり、進行中のプロジェクトであり、それは必ずしも事前に方向づけられたものではなく、絶え間ない試行錯誤によって決定されるものですが、それを実行する人々にとって意味や関連性や興味を持つものである、と定義できることでしょう。要するに、私にとってデザインすることとは、問いを投げかけ、利用可能なツールや素材を使って実験し、一つの、あるいは多くの場合いくつかの答えを導き出し、いくつかの首尾一貫性のある行動を始めてそれを検証し、多くの場合、螺旋状のプロセスで再びリスタートすることを意味しています。この意味において、ほとんど瞬間的に、プロジェクトは探究の次元と関わりを持つことになる。探究の次元は、今日、教育者や教師が幼児や子どもに伝えられる(翻訳できる)最も興味深いものでしょう: それはプロジェクトを構築する手助けになると同時に、他の文脈におけるデザインの方法や、ツールの使い方を学ぶ手助けをすることです。これらすべては—あなたが対話の中で紹介した2つ目の要素についてですが—物事を本質的に貫いているものです。ケリ・スミスの本を手に取ることでデザインやアートの世界から得られる伝統的ではないツールがどれほど教育の役立つかが把握できます。
イタリアではコライーニ社がケリ・スミスの本を翻訳出版しているようですが、興味をもって『レック・ディス・ジャーナル(Wreck this journal)』という彼女の本の日本語版を注文してみました。
ペーパーバックのような適度の厚みをもった本ですが、その中身は絵本に似ています。ただし、そこには物語が記されているのではなく、アーティストからこの本を手に取った読者(子ども)への「やってみて」という指令(提案)が示されていました。
はじめに
キミは、これから壊されようとしているこの本に「誰が前書きなんて書く必要があるの」なんて疑問に思うかもしれない。だってキミは、『レック・ディス・ジャーナル』を読もうとしているのではなく、すぐに“壊す” ことをはじめようとしているわけだから。だから、ここにいるんだよね?違う?
「ここで無駄話なんかしないで。私は壊す気まんまんだから」
というキミへ、どうしても伝えておきたいことがあるんだ。
私は今まであまりこの本について話をしてこなかったけど、今回前書きは必要なんだ。キミだけにシェアしておきたい重要なことは、これからのキミの取り組みへ直接かかわってくることだから。
もし今、キミがこれを読んでくれているのなら、他の誰でもないキミだけに特別なメッセージになるはず。
すべての本がそうであると言えるけれど、キミが必要とする正しいタイミングで必要な本に出会う。そんなことをまったく期待していなくても。
運命を信じる? 偶然の出来事だと思う? 今までもキミが必要とするまさにその瞬間にキミのもとへやってきたよね?この本もそう。どちらにしても短めに語ることにするから。では、伝えたいことに進むね。(吉濱ツトム訳)
そもそも『レック・ディス・ジャーナル』とは「この本を壊して」という意味のようです。本に書かれている提案は、なかなか衝撃的なものばかりです。
背表紙を割ろう
このページをあえて赤で塗ってみて
ここにいろいろな色のついた飲み物をこぼしたり、滴らせたり、吹きかけたりしてみよう
鉛筆でこのページに穴を開けて
太い線と細い線を引いてみて 鉛筆で力強く
ここは手形や指紋をつけるページ 手を汚してから、押し当てて
ページ全体に色を塗って
何かを的に投げつけて 鉛筆とか色をつけたボールとかね
葉っぱや他の拾いモノをここに貼って
…
およそ、本を手に取ったときに「やってはいけないこと」のオンパレード、といってよいかもしれません。しかし考えてみると乳幼児は絵本を与えられたとき、その「モノ」と関わり、知ろうとする行為としてなめたり、かじったり、汚したり、ケリ・スミスが提案していることを自然におこなっている、とも言えそうです。
ケリ・スミスは自分の本を「目で読むもの」ではなく「触って、汚して、もてあそぶ」オブジェととらえているのかもしれません。このような視点は、ブルーノ・ムナーリの「プレリブリ」などとも共通点があるように思います。
…本来この本は一人の子どもに一冊が手渡され、その子が頁をめくりながら底に書かれた提案に触発されて「タブーを超えた探究の挑戦をする」ことを期待しているのだと思いますが、あえて教育を学ぶ大学生たちにこの本を紹介して、本に書かれているように「背表紙を割り」、みんなでページに書かれている提案をやってみることにしました。
この記事を書いている時点では、まだ挑戦の結果は出ていませんが、みんなで『レック・ディス・ジャーナル』に挑戦した結果、大学生たちが何を発見するかを楽しみにしています…。