偏見について 11 Nov 2021
今日は仕事のシフトが入っておらず、昨日の初勤務の疲れは日中のんびり過ごして癒やされ、夜はオンライン英語クラスに出席できた。
今回は仕事のための英語のコースだけど、前回と同じ講師が担当している。前回のコースのときはほとんど感じなかったけれど、今思い返してみたら、少し違和感がないわけじゃなかった。だけど今回、コースが始まってすでに3週間が経過して、私のなかで、今日、はっきりとしたことがあった。
この講師は、前回のコースでも彼女以外の講師のコースを受講したことのある受講者たちの多くがまた次のタームでも彼女が講師であることを希望していたし、私自身、彼女に対して、いつも授業では話題や教材にするものなどが工夫されていて、話しもしやすく和気あいあいとした雰囲気で、好印象を持ってもいた。でも、今となっては、それは同じコースの参加者の感想に私も引きずられていた部分があるんだろうな、と思う。
今日はっきりしたこと、それは、彼女が、多くの偏見を持っている、ということだ。
前回のコースのとき、この国の先住民族のことが話題にのぼったとき、「この国の一番乗りは、先住民たちじゃなくてこの国の固有の野鳥たち」「この国では何かにつけ、バイカルチャー(2つの文化背景)と言われるけど、この国はマルチカルチャー(複数の文化背景)だから、バイカルチャーを主張する先住民たちには納得できない」という意見を言っていた。英語コースに参加しているものはみんな、移民してきたいわゆる”外国人”で、この国ローカルの、ネイティブスピーカーからそう言われれば、そういうものか、と言う印象を持ってしまう。彼女のこの意見は、直接的な差別発言ではないにしろ、私が彼女の中にある隠れた偏見を見た発端だった。
彼女のアメリカで暮らしている弟やそこに訪ねてしばらく暮らしていたときの話しなどで、時々、こことアメリカを比較した彼女の意見なども聞くことがあったので、この国のローカル意識に固執しているような人ではないし、おなじ英語圏とはいえ他国での滞在経験があるなら、自分の国&人が客観的に見るとどうなのか、という比較をする人であるはずと思い込んだ。
今日は、過去に彼女と交友関係のあったドイツ人に対しての彼女の印象を「一般的にドイツ人っていうのは表現がストレートすぎて図々しい」という偏見にあふれた意見で説明した。私が彼女に、ドイツに滞在していた経験があるか、ドイツ語が話せるか、と質問したら、どちらもNoという答えだった。私は、彼女が交流したドイツ人は、伝えたいことをドイツ語から英語へと頭の中で変換して話していたから直接的な言い方になったのではないか?と言ってみた。中国語話者が英語学習初期に依頼文を言うとき、命令形にPleaseをつけただけのあまりにもぶしつけな言い方になるのは、中国語の文の構成がそうだからではないか、という説を一例として、英語ネイティブにはわからないであろう、英語学習者の視点を説明した。それについては彼女の反論はなく、私のたどたどしい英語での話を辛抱強く聞きながら、彼女は ”自分が、ほんの一人ないしごく少数と関わった経験から、それを、ドイツ人のキャラクター、として一般化して話したのは、少し偏見がかっていたかも”、と気がついたようだった。
それから今日は、講師の彼女含め私たちコース受講者も住んでいるこの地域(一応、この国では国内最大都市)のなかで、西地区の人たちはどうの・・・という、また彼女の偏見をベースにした”解説”がされた。コース受講者には私を含め西地区に住んでいる人が多いけれど、私たち英語コースの受講者はローカルではなく移民である。この国のローカルでネイティブスピーカーの彼女から「西地区の人たちはbogans」と言われると、そういうものかと受け入れてしまう。bogansという言葉を、彼女がどういう意味合いで選んだのかまではわからない。でも、自分が好印象を持っていた人の心の奥にある偏見の一端に気がついてしまうと、とてもがっかりして私は心を閉ざしてしまう傾向にある。
I wasn't in the roster today, so I could relax during the day for letting go my tiredness I'd had since yesterday after the first training day at new work.
I'm joining evening English course on Tuesdays & Thursdays, so I was able to participate tonight class with full energy.
Our tutor this term is the same person from the course I took last term. She must be a popular tutor among her students since many students from last term were hoping they could join her course again. I also had a very positive impression with her classes, but it might have been because of the influence from those students when I think back.
Anyway, tonight, I realised something matters to me. Be honest, it's not my
favourite country here. Tall poppy syndrome exist. I feel trapped in the peer pressure which I'm literary not even their "peer", I mean "they" are the locals.
This "something" I'm talking about is a "bias". It's so so disappointing to find biased view points in someone who you have a good impression of.
When I realised some comments by the tutor were biased based on her personal opinion, it made me very sad. She always provides a comfortable easy-to-speak atmosphere during her class, prepares good materials for practice, and brings interesting topics. I've been enjoying her class until now.
I'm not sure if I want to learn from her. I believe it's very important to have a credible relationship with your tutor when you learn, and once it's gone, your learning would be less effective.