“素直なだけでも損をする”話
もしもあなたが“ネズミ”だとしたら、どちらが“あなた”だろうか。
ゆっくり読んでみて。
クリームがいっぱいに入ったバケツに2匹のネズミが落ちました。
最初のネズミはすぐに諦めて溺れました。
2匹目のネズミはあきらめず、もがきました。
すると、クリームはバターになり、ネズミは助かりました。
みなさん、今この瞬間、私は2匹目のネズミです。
フランク・シニア
“クリームをかき混ぜ続けると、バターになる”
この前提を知らないと伝わりにくいかもしれないが、それなりに分かりやすく想像しやすい話で、ある映画でもいいスパイスになってた。
「私も2匹目だ」
なんて言いたい所だが、ちょっと待ったぁ!!
こんな話に正面から乗っかっちゃって、いいのかい?
「ネズミだとしたら?」
と聞いたのは私だが、こんなの詭弁だと思わない?
なんで “2匹のネズミが同時にクリームに落ちる” なんて設定と合わせて、こうもあっさりと自分と置き換えられるんだろうね?
自分でもさっぱり分からない。
例え話は大好きだし、まともに講釈垂れられるよりはいくらか、こんな風に言われちゃった方が想像も納得もしてしまう。
ま、商売も雇用も恋愛も、騙し合いや騙され合いな一面がある事に関しては言わずもがな。
だからと言って騙される側にはなりたくないし、同じく騙す側にもなりたくない。
と、テメエが講釈垂れてりゃ世話ねーなと気付いた。すぐ済ます。
・そもそもネズミじゃねーし。
・クリームに落ちるなんて設定に無理があるだろ。
・バターになる前に溺れるだろ。
素直過ぎてあっさり騙されるのも癪だが、こんな風に否定したり穴ばかり見付けるような人にも、少々なりたくはない。
「おもろい話やなぁ〜」
とニコニコしながら、何も考えてない素振りが自然にできるような。
肯定も否定も、一旦胸の中にズラッと並べた上で、且つそれを全部パタッと伏せてヘラヘラ出来るような人が、
もしかしたら一番 “ちょうどいい素直” な人なのかもしれないと思った。
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