開花の冬
とある翻訳会社のトライアルを受け、このほど合格のお知らせをいただいた。
年内にトライアルに合格するという目標が、駆け込みで達成されたことになる。ありがたい、おめでたい。ありがとうございます。
夏にTOEICを受け、秋には翻訳ネットワーク主催の定例トライアルで高評価をもらい、気分も乗ってきた11月、ようやく意を決してトライアルに挑戦した。
以前、情報誌に掲載されていた会社で、映像翻訳がメインのところ。未経験も受験可能で、即戦力にはならなくても最低限の実力が認められればとりあえず合格は出してくれるという初心者にうってつけの会社だった。TOEICのスコアを更新した後、最初に受けるのはここと決めていた。
金曜日に履歴書を送ると、週明けには書類審査合格の連絡があった。ほっとした。とりあえず第一関門突破だ。
トライアルのために与えられた期間は10日間。切り出された約6分のドラマの吹き替え台本を作る。映像とスクリプト、ルールが書かれた台本フォーマットを受け取り、いざ挑戦。
正直かなり苦労した。慣れないフォーマットのスクリプトを読むのにも苦労したし、登場人物のセリフも初見では聞き取れない箇所も多い。何度もスクリプトを読んでは映像を見て流れやニュアンス、登場人物のキャラクターを体に染み込ませ、それを日本語でどう表すかに頭を悩ませる。普段ドラマなどあまり観ないし、ましてや海外ドラマの吹き替え版なんてほとんど観たことがないという現実が重くのしかかる(一応、ドキュメンタリー志望…)。感嘆詞やあいづち、語尾のバリエーションが恐ろしく少ない。自分でセリフを書きながら、絶対こんな言葉使わないだろ…とか、ノリが伝わらない…!とか、1行訳すごとに自分の語彙力と表現力のなさに打ちひしがれる。ようそんなんでトライアルなんか受けようと思ったな、と自分の度胸に感心する。
そんな絶望と苦悩を繰り返し、5日ほどでメインのセリフを一通り訳し終えた。たった6分に5日。仕事と家事育児をしながら主に夜間の作業とはいえ、プロのスピードには程遠い。でも千里の道も一歩から。めげている場合ではない。台本をUSBに入れ、コンビニでプリントし、映像を見ながら黙読と音読を繰り返し、提出できるレベルまでセリフを推敲していく。3度ほど推敲したところで、もう自分の出せるものは出し切った…!と感じ、提出まであと1日か2日くらいあったので、ちょっと置いてからまたやろういったん区切りをつけた。とともに、ちゃんと提出物としてのクオリティを満たしているかどうか改めてフォーマットを確認して、青ざめた。
「ガヤ」をすっかり忘れていた。吹替ではメインの登場人物以外の、エキストラ的な人物のセリフも訳出しなければいけないんだった。映像を改めて確認したところ、シーンの半分くらいはガヤが発生している。これはピンチだ。これまで通信教育で映像翻訳の講座をとったことはあるが、訳文はメインの登場人物のセリフだけでよかった。どの程度まで拾えばいいのか、どういうふうに台本に入れ込めばいいのか、まったく見当がつかない。これはまずいぞ…!
ちょっと目に涙を浮かべながらも、プロの翻訳家さんのブログを見たり、翻訳スクールのウェブサイトを見たりしてだいたいのイメージを掴むと、再びイヤホンを奥まで突っ込んで聞こえてくる音すべてに意識を行き渡らせ、訳出すべきガヤにあたりをつけていく。なんとなく言っていることがわかるものもあれば、全くもって聞き取り不能なものもあるが、一定程度の音量を超えて聞こえるものについてTCを書き出し、それっぽいセリフをあてていく。
最初はかなり戸惑っていたが、考え始めるとちょっと楽しくなってきた。画面に映るエキストラの姿から、つい妄想が広がっていろいろな会話が思い浮かぶようになってくる。それを全部書いていたらかなりの分量になってしまい、あとから厳選して尺におさめた。
こうして、ようやく完成した台本を期日ぎりぎりに提出し、担当者に確認のメールを送る。少し時間が経ってから、受領の連絡とともに「結果については後日連絡いたします」との一言。つまり、受かっていても落ちていても連絡はしてくれるということなのか?とにもかくにも、この時は全力を出し切って妙に清々しい気持ちだった。苦しかったけど、楽しかった。またやりたい。
ところが、待てど暮らせど連絡は来なかった。
提出から1週間は、落ち着いていた。翻訳会社だって通常業務で忙しい中、ど素人の出来損ないの台本を丁寧にチェックする時間なんてそうそう取れないに決まっている。大丈夫。まだ希望はある。
そんな泰然自若を装っていられたのも束の間、10日が過ぎるとちょっと弱気になってきた。翻訳情報サイトを見て、結果の連絡まではかなり時間がかかることがある(1ヶ月になることも)から焦らず待つことが大事という記述を見つけ、そうだよな、と自分をなだめてひたすら待つ。
2週間が過ぎると、もう極力考えないよう別のことに意識を向け始めた。
そして3週間が過ぎようという頃、すっかり諦めて次の一手を考え始めていたところに翻訳会社から1通のメールが届いた。少なくとも忘れられていたわけではなかったようだ。
しかし、これだけ時間が経っていることを考えると、かなり望みは薄い気がした。もし高評価であればすぐにでも案件を依頼したいはずだから、早めに結果の連絡をして条件交渉などに入るだろう。3週間も放っておくなんてことはきっとない。
そんな悲しい気持ちでメールを開くと、意外なことに合格していた。しかも、トライアルの訳文についての丁寧なフィードバックつき。最後に稼働時間や納期の目安などを聞かれている。
とりあえず合格していたことへの安堵と喜び、そして具体的なフィードバックをもらえたことへの感激。たぶん、評価は決して高くはなかったんだろう。そのうち、依頼しても良さそうな案件が出てきたら声をかけてやってもいいかというレベルの合格に違いない。でもそんな受験者にもちゃんとフィードバックをくれるとは、なんていい会社。絶対にお役に立ちたい。
気合十分の返信メールを送り、それからは案件が振られるのを今か今かと待っている。きっと忘れたころにやってくる…やってきてほしい。
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