派遣事務を休んだ日記

 「休む」ことは、自分にとってポジティブな意味しかない、だが、しかし。それは世間の常識とは少し、ちがうようだ。
 週5で8時間ずつ労働を積んでいく。そのことに特に疑義なくそれが普通、なんなら残業とかもっと働いてる人はざらにいるからねーと思っている人すらいるらしい。
 もちろん周知の通り、労働時間8時間とは実質の時間であり、プラス行き帰りの通勤や無給の休憩時間などがプラスされると優に10時間は超えてしまう。一日24時間のうち半分弱ほど労働に費やしたなら、帰ってすることは飯、風呂、睡眠、ユーチューブショート動画の視聴、思い詰めた顔で飲酒と、これだけ多様性だ人間いろいろだと言いながらつまるところみんなおんなじようなことをして、握りしめた砂の粒の一つとして生き抗いがたいあの全体性の圧力の中これが人生なんだと思うように仕込まれているというわけだ。
 世の中を見渡せば全然そんなサイクルで生きていない、かつ、もっと豊かで充実した人間生活を謳歌している人も大勢いて、なんでああいうふうにやれないのかなと毎日思う。先の8時間労働ボーイやガールやその他の性別の人に言わせれば、「そりゃあなた、実家に恒産があり好きにできるとか、起業してうまくいってるとか、才能があって動画収入で暮らしてるとか、そういう例外はたくさんあるけど、それだってそれなりに厳しい生き方ではあって、それができないなと思ったからこういう雇われの8時間労働を選択したんでしょうが」とか言われてしまってハイおしまい。そんでまた同調圧力と相互監視うごめく職場へ舞い戻って悶絶する羽目になるわけだ。

 やってられない。
 端的に、やっていられやしない。

 まずもって、心身ともに一定程度健康でないとこんなふうには働けない。だから当然の帰結として、職場に来ているのは「それができるコンディションにあった人」だけだ。そうでない人はこんな求人にそもそも応募しない。日常のケアだけではどうしようもならないものを抱えた人たちは今どこで何をしているのだろう。パニックや適応障害、うつや社会不安障害、皮膚病、慢性痛、たとえばそんなものの中で暮らす人は週5で8時間どころか仕事をすることすら困難だろう。すると社会福祉に接続して助けてもらえばいいじゃないと安易に口にする人を散見する。しかし、それを望んで具体的に行動した時必要とされるのが公的機関の承認で、相当のエビデンスを持ち証明しなければなかなかお金がもらえて生活できるレベルまでたどり着けない。なぜそういった人がどっちつかずの状態のまま苦しんでいるかというと、「中途半端」「グレーゾーン」だからに他ならない。「頑張ればギリギリできるかもしれない人」よりは「医者も太鼓判を押す立派な病名持ち」が圧倒的に有利である。では母数として多いのはどっちか?―考えるまでもなく前者だろう。公的な支援の範囲にはなく、ともすれば軟弱だ、怠けてるだけだ、甘えるなと言われがちな人々。
 そういう人々が働くとき、その個人的な事情が酌量されることはほとんどないことが多い。傍目に分からない=みんなと同じだからである。無論欠勤、遅刻、早退は評価を下げるし、職場では「なんか妙に休む人」としてだんだん敬遠されていったりする。ある種の「仕事を休むなんて天変地異とかコロナとかなければ考えられません」タイプの人(多いんだなぜか…)からすればこちらは勤怠不良の社会不適合者ってことにされてしまう。

納得いかないよなーと思いながら、これから俺は寝る。断固寝る!

いいなと思ったら応援しよう!