図1

「地球温暖化、米で影響拡大」から

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三点に注目したい 
 1.人間としての価値基準の再設定
 2.GDP追求という宗教的側面
 3.概念導入、による市場創出

関連代表記事 日本経済新聞 2018/11/30 朝刊
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO38359340Z21C18A1TJ1000/
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A 反環境路線のトランプさんであるが、米政府公式報告書に該当するNational Climate Assessment(NCA4)*1を全否定するとは思わなかった。トランプさんのバックにいる石炭・石油軍勢との関係性など、調べ考えたくなることは多いが、環境問題そのものについて、その良し悪しや意義を探ってみたくもなる。


B NCA4は、米連邦政府の下に設置された地球変動研究プログラム(USGCRP)による報告書であり、USGCRPによる気候変動に対する政策提言が盛り込まれている*1。1,500ページを超えるものでるが、読む価値ある文献である。今回のNCA4の特徴は、環境状態の指摘に留まらず、気候変動による経済的実害について触れていることにある。ヒートウェーブや海水面の上昇により、どの程度の経済損失が生じるかを、定量的に多くの人にとってわかりやすく予測している。


A 地球環境にはマクロな異変が起きており、異常と「主観的に感じる」天候等との整合も実感するため、環境にやさしいアクションを起こすのが現代社会的な基本路線とされているだろう。NCA4のレポートにおいても、気候変動が社会に及ぼす影響と経済に与える影響を、次のように指摘している。

 ◆新しいリスクが発生する。(全米)コミュニティをさらに脆弱にする。健康、安全、生活の質、経済成長率に関する課題を増幅させる

 ◆(米国の)インフラと不動産に対する損失を拡大する原因となり、今世紀の経済成長率を下げることになる


B 考えたいのは、環境問題に対して語られる地球温暖化といった情報の真実度合である。どちら路線を支援するどうのこうのではなく、一般に流布している情報の真実度合をまず確認する必要がある。また、そもそも、なぜ環境問題という方向性が発生したのか、というその起源や原因についても模索する価値がある。これらをクリアにすることで、本当の、自身の見解を有すことができる。


A 地球温暖化を事実として、これを支援する言論は非常に多いので割愛する。一方、モノゴトはバランスされるので、反対意見があるのも事実である。例えば、「地球温暖化は起こっていない。現在は氷河期の間氷期に相当。100年間での自然温度上昇0.3℃の中に、CO2増加由来とされる0.2℃が包含される。IPCCでは気温上がっている部分を観測。」といった意見もある。取得するデータのボリュームや、現象を説明するデータ群数などを踏まえると、人間による温暖化は事実であると捉えるのが、基本的には優勢になる。部分的なファクトを持ってきてそれで全体を説明するのは、むしろ非科学的であり、温暖化は問題ない(そんなものはない)派は、この点で、ロジックに破たんを起こしているのが現状だろう。


B 温暖化懐疑論が、メディア的にであったり予算的に制限されてきた可能性は否めない。温暖化懐疑論者を排除するような風潮が存在したり、研究資金を得ずらい状況が存在しているのは事実だろう。現状ではESG投資といった流れも存在し、企業活動としても、「地球環境等に優しい方が妥当」という状況である。しかし、ネットが普及した現在において、今後、懐疑論が表面に浮上してくる頻度はあがる。ロジックの信憑性を欠如させているパーツを、デジタルネットワークを通じて群で解消する流れがでてきても、おかしくはない。


A 一方、何もない場所に「環境問題」という概念を立ち上げることで何が起こるか。言うまでもないが、巨大な市場創出であり、経済成長である。この場合、「人間活動の環境への悪さ」の真実性は関係なく、群として人々が信じやすいことが重要となる。群としての主観的事実が形成されることで、新しいマーケットが創出され、経済活動が活発になり、国は成長できる。CO2が増えると…といった指摘は本当か? なぜ、本当だと信じられるのか?


B 温暖化を問題にし地球にも社会にも優しくという主張を繰り出す派閥と、温暖化は問題なく経済活動を続けるべきという派閥がある。もちろん、温暖化は問題ないがもっと自然に寄り添おうといったセグメントも存在する。現在の世界において、このような論争が起こってしまうのは、中心軸にGDPといった経済成長があるためだろう。人間の活動を行う際に、何が真実であり、何を目指すべきなのか。GDPというのは、言うまでもなく虚構的産物であるが、これが1つのグローバルな宗教的機能を果たしているのも、また事実であろう。


A 気候変動や温暖化論争というのを、切り口を変えて、「今後、我々は何を重視すべきか」という議題にかえる意義は非常に大きい。重視すべき事項(価値観)が変化しているのは事実であり、GenerationZとった新しい世代感覚が生まれたり、従来世代であっても気候問題等を背景にESG面を追求する割合が増えている。その地域の物質的・サービス的豊かさが高まることで、満足が飽和し、満足獲得競争に突入する。途中で成長をとめた幸福追求への欲求が、時代的に見直され始めているのだろう。


B テクノロジーの量子的変化と哲学的議論はワンセットである。現在は、デジタル革命期であり、ここにAIが加わっている。人間とは何か?人間のいきつく先は何か?…このような議論と同時に、テクノロジードライブを前提とし、私たちは今後どのような価値基準を重視すべきか、といった議論を重ねる必要がある。それがGDPから変化しないのであればそれでよいし、新しい価値基準を設定できるのであれば、それに沿い、社会活動を見直せばよい。一本の筋。このような軸を再定義するフェーズにあり、この軸があれば、そこに一貫性が生まれてくる。


A 環境問題(議論)というのは、環境変化・生活ステージの変化・技術変化・・・・を受けた人間の意識変革に基づく議論の一部であると捉えることが出来る。現状の平均レベルは、環境貢献の募金を少し行いゴミを分別して満足し、暖房の聞いた部屋でぬくぬくとチキンとシャンパンを楽しみスマートスピーカで快適な生活を送る一方、ブラジルでは1年間でサッカーコート100万面分の森林が伐採*2されている、といった状況だろう。


*1 FOURTH NATIONAL CLIMATE ASSESSMENT
https://nca2018.globalchange.gov/chapter/front-matter-about/
https://nca2018.globalchange.gov/downloads/

*2 Greenpeace https://www.greenpeace.org/international/story/18478/forest-destroying-products-and-producers-times-up/

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