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kotoba(ことば)の玉手箱ーお薦めの古典紹介 Vol.7(1)『大衆の反逆』(オルテガ・イ・ガセット著)
皆さん、こんにちは。
今回はスペインの哲学者、オルテガ・イ・ガセット(「オルテガ」)著の『大衆の反逆』をご紹介したいと思います。
この『大衆の反逆』は1930年に出版されましたが、先駆的な大衆社会論として評価されています。
大衆社会論というのは、近代の市民社会から現代の大衆社会へ移行していく中で現れた「大衆」の役割、意義を論じる社会理論です。本書は、自身の権利の主張には積極的だが、自己の責任や義務を果たし社会に積極的に貢献しようとすることの少ない「大衆人」が出現したことと、それがもたらす危険についての警告の書となっていると言われます。
現在の日本や世界の国々においてもオルテガが『大衆の反逆』で述べていることが現実のものになっているとも考えられ、本書の意義は今の世の中になっても減ずることがないと思います。
今回は、そんなオルテガのこと、彼が生まれたスペインを始め当時の時代背景などをご紹介したいと思います。
著者オルテガについて
オルテガは1883年にスペインのマドリードで生まれました。彼は「輪転機の上に生まれ落ちた」と言われることがありますが、それは彼の父が作家、ジャーナリストとしても有名な人物で、また母親も当時の有力な新聞社の創設者の娘でもあるなど、一族に出版関係者が多かったからと言われています。
マドリード大学で哲学博士号を取得した後、哲学者のカントを研究するためドイツ(マールブルク)に留学しています。留学を終えて帰国した後、マドリード大学で哲学(形而上学)の教授に就任、評論家としても活動しています。スペイン内戦(1936年~1939年)の後にはフランス、アルゼンチンなどに亡命、帰国後は著作活動などを通じてスペインでの知的復興に尽力したと言われています。そして1955年に72歳でこの世を去っています。
オルテガを取り巻く時代背景
さて、そんなオルテガですが、彼が生きた時代について紹介したいと思います。
そもそも彼が生まれ育ったスペインですが、どんな国なのでしょうか。
今スペインと聞くと、サッカーだとか、柑橘系だとか、スペイン料理とか。。私の発想が貧困ですね。。(笑)
スペインは1500年頃は世界に植民地を抱える覇権帝国としての地位をほしいままにしていた、そんな時代もありました。
日本の歴史との関係でスペインという国が出てくるのはスペイン王がポルトガル王も兼ねていた時代(織田信長、豊臣秀吉の時代から江戸初期にかけて)に、フランシスコ・サビエルの到来、キリスト教の布教、南蛮貿易などが盛んだったということは記憶されるところかと思います。支倉常長などの名前も日本の歴史で出てくることがありますが、このように日本とスペイン(ポルトガル)は江戸時代の鎖国体制の完成まで頻繁に交流が続きました。
さて、オルテガが『大衆の反逆』を出版した時代(1930年頃)はどんな時代だったのでしょうか。
1930年代のスペインは、王政、共和制、ファシズムという風に政治体制が変化し、不安定な時代が続いていました。
アサーニャという人物が1931年の王政打倒のスペイン革命の中心人物で、革命後に首相を務めていました。そして1936年にはファシズムや戦争に反対する勢力の連合としての人民戦線内閣を成立させ、アサーニャは大統領になります。
それに叛旗をひるがえしたのがフランコという将軍です。フランコ将軍はドイツやイタリアに支援されて、スペインは内戦に突入します(スペイン内戦:1936年~1939年)。一方のアサーニャの人民戦線内閣は、ソ連や国際義勇軍の支援を受けていました。
この義勇軍には、イギリスの作家ジョージ・オーウェルや、アメリカの作家アーネスト・ヘミングウェイなども参加していました。ちなみに、オーウェルは『カタロニア賛歌』という文学でこの戦争のことを伝え、ヘミングウェイはこの時の戦争の経験をもとに『誰がために鐘は鳴る』という長編小説を書いたと言われています。
このように4万人にも上る外国人が義勇軍に志願、参加したと言われていますが、人民戦線内閣側が敗北し、フランコ将軍率いるファシズム政権が成立しました。
このように、スペインでは軍事独裁政権が続き、ソ連ではマルクス・レーニン主義を掲げる政権が成立、ドイツではナチスのファシズムが台頭し始めた時代。こういった時代背景のもと、社会の大衆化に警鐘を鳴らした『大衆の反逆』ですが、次回はこの内容などについて紹介したいと思います。