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kotoba(ことば)の玉手箱ーお薦めの古典紹介 Vol.6(1)『自省録』(マルクス・アウレリウス・アントニヌス著)ー

皆さん、こんにちは。
今回はマルクス・アウレリウス・アントニヌスという人物がギリシャ語で書いたという『自省録』という手記の紹介をしたいと思います。

この『自省録』の著者マルクス・アウレリウス・アントニヌス(西暦121年~同180年、皇帝の在位161年~180年)は古代ローマの五賢帝の一人として評される人物です。

古代ギリシャの大哲学者のプラトン(紀元前427年ころ~前347年)は西洋哲学の基礎を作り、多大な影響を与えた人物ですが、彼は政治が哲学者の手でなされることを理想としました。この理想が歴史上唯一実現した例として挙げられるのがこのマルクス・アウレリウスです。

彼はローマ帝国の皇帝の地位にあって多忙な公務、戦争に明け暮れる日々の中で、自分自身の内省を行い、哲学的な思索を生命として生きていたと言われます。「折にふれ心にうかぶ感慨や思想や自省自戒の言葉などを断片的にギリシャ語で書き留めておく習慣があった」マルクス・アウレリウスが書いた手記がこの『自省録』です。

本書の原題が「自分自身に」ということから示されるように、元々自分のメモ的に書かれていて、他人に読ませることを意図して書かれていないため、全体の構成や文章もきれいに整っているとは言い難いものです。ただ、この書物は「古代精神の最も高い倫理的産物」と評され、古今を通じて多くの心の糧になってきた貴重な手記です。(以上、岩波文庫版『自省録』訳者序から)

岩波文庫版の帯にも「生きづらい今だからこそ読みたい」とも銘打たれています。

マルクス・アウレリウスの生きた時代について


マルクス・アウレリウスは西暦121年にローマで生まれました。今から1900年も前のことですね。スペインから出てきた名門に生まれ、幼い時代にはマルクス・アンニウス・ウェルスといいましたが、時のハドリアヌス帝にかわいがられ、彼の命令で138年にアントニヌス・ピウスの養子になりました。これによって後の元首位を約束されたのです。

145年にはアントニヌス・ピウスの娘ファウスティナを妻として、義理の父の統治を助けたと言われます。この頃から家庭教師のすすめで哲学を深く学び、ストア学派とよばれる哲学に傾注していったようです。このストア学派については次回にでも紹介したいと思います。

アントニヌス・ピウス帝が亡くなってからは義理の弟ウェルスも皇帝として、共同の皇帝として統治に当たりました。当時北からのゲルマンの侵入や帝国内の経済危機等の難題に対応して東奔西走したようです。175年に起った反乱も鎮圧しましたが、162年ごろから北部国境付近で始まっていたマルコマンニ戦争の二度目の戦争に向けて178年に進発。この戦争の最中180年にマルクス・アウレリウスは病没してしまいました。

マルクス・アウレリウスは古代ローマ帝国の五賢帝時代の最後に位置し、しだいに強まっていったローマ帝国衰退の兆しに直面したと言えます。上記した通り、彼の統治の大部分は対異民族戦争に費やされたのです。

このような哲人皇帝が戦争の中などで綴った手記『自省録』の内容については次回紹介をしたいと思います。

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