「標準語」という誤解
「標準語を話すのは義務」
「標準語は公的に正しい言葉とされている」
「東京のことばは標準語」
これらの意見は、実は間違ってる、というのを知っていたでしょうか?
今回が初めての投稿になりますが、私の自己紹介に代えて、このことを説明させて頂こうと思います。
「標準語」は70年以上前に廃止された
「標準語」は、実は戦前の制度。
1948年に戦前の制度を清算する際に、合わせて学校教育制度も多くが廃止されました。
その中には、「標準語教育」も含まれていました。
これによって、日本の制度から「標準語」は姿を消したのです。
「標準語」は廃止されているため、現在の法令などを探しても「標準語」を規定する記述はありません。
つまり「標準語」は制度上存在せず、守るべき義務ではないのです。
いま話されているのは「共通語」
ではいま「標準語」と呼ばれている言葉は何なのでしょうか?
現在、一般に「標準語」と思われている言葉は、実際には「共通語」であることがほとんどです。
「共通語」の定義は幅がありますが、一般に「現実に共通の伝達手段となっているもの」と言われます。
「標準語」は法令などには記載されていないというのは先ほど述べたとおりですが、「共通語」という言葉は出てきます。
国の機関である文化庁は「全国的なコミュニケーションの基本は共通語である」という用語を使っています。
また、NHKのアナウンサーの言葉も、NHKの「番組基準」において「標準語」ではなく「共通語」と定められています。
東京のことばも方言
2つの異なる言葉があったとき、それらはどちらも方言と言われます。
そのため、日本の地域の言葉はすべて方言です。
東京の言葉も、方言学上、東京方言または首都圏方言に分類されているのです。
実際に、戦前に存在した「標準語」と東京方言はイコールではなく、東京方言を「標準語」に矯正されたという東京在住者の話も多くあります。
現在の「共通語」でも、東京方言だけど「共通語」ではないという言葉はあります。
言葉の強制はもろ刃の剣
「共通語」は便利なものです。
インターネットなどのメディアが発達した現代では、地域を超えたコミュニケーションが活発になるぶん、共通の言葉が重宝されるのも当然です。
しかし、共通の言葉ほど優れたものだ、皆が共通の言葉を使わなければならない、という姿勢は、方言への差別や、それに伴う自殺、殺人にまで発展してしまったという悲しい歴史があります。
現在でも、方言を東京で笑われた、逆に東京出身者が東京方言を笑われた、というように、方言差別は存在すると言われます。
共通語の強制は、方言という地域の言葉を失うことにもつながります。
世界で多くの話者がいる英語は便利な言葉ですが、だからと言って、日本語を無くすべき、という意見を聞くと、違和感を感じる人も多いと思います。
それと同じく、「標準語」や「共通語」を強制してしまうと、自分の方言でしか表現できない考えや想いが失われてしまうこともあるのです。
「標準語」という誤解を解きたい
私の活動は、「標準語」に関する誤解を解くことが目的です。
それは、方言の価値を再確認してもらうこと、ひいては、人々が自分らしさや、その地域らしさを守り、自由で、そして多様でいられることを目指しています。
まだまだ紹介したいことはあるのですが、今回はここまでにしたいと思います。
これからどうぞ、よろしくお願いします。