方言のハラスメント「ダイハラ」
ダイハラという考え方を紹介したいと思います。
ダイハラとは、「ダイアレクト・ハラスメント」または「方言ハラスメント」のこと。
「方言に関連して相手を不快にさせる行為」を指します。
また知らないハラスメント?と感じる人もいるかもしれません。
ですが、ちょっとお待ちを。
この考え方は、あなたを助けるものになるかも。
また、誰かを傷つけずにすむかも。
そして、あなたの大事な人を守ることになるかもしれません。
「こういうことが嫌な人もいるんだ」と知っているだけで、より多くの人と良い関係を築けるようになるかもしれません。
ダイハラって何?
繰り返しになりますが、ダイハラの定義は「方言に関連して相手を不快にさせる行為」です。
極論すると、この定義がすべてを語ってはいるのですが、広い定義ですので、この定義だけでは実際にどのような行為がダイハラになるのか想像しづらいかもしれません。
その想像の助けとなればと思い、以下に具体例をいくつか記載しました。
具体例:「〇〇弁は乱暴に聞こえる、冷たく聞こえる」と言われ、傷ついた。
これはダイハラの代表例だと考えられるものです。
方言が役割語として使われたり、ステレオタイプを持たれることはよくあることかもしれませんが、「よくあること」だから「誰も傷つかない」わけではありません。いじられキャラだから、本人は傷つかないわけではない、ということと似ているかもしれませんね。
肯定的なステレオタイプなら不快に感じにくいかもしれませんが、悪い印象を伴ったステレオタイプで自分を見られると、傷つく人がいるのも当然でしょう。
「そういう言い方されても嬉しくない」と相手に言われたら、少なくともその人に対して、繰り返しそのステレオタイプを伝えることは、配慮に富んでいるとは言えないでしょう。
具体例:子どもがクラスで方言を「気持ち悪い」と言われ、悩みがちになった。
より具体的に言うと、東京から家族で他地方へ転勤したところ、子どもが転校先のクラスで「お前の東京弁のイントネーション、気持ちわるい」と言われた、といった状況が考えられます。
このようなダイハラがあることを意外に感じる方もいるかもしれません。
特に大都市圏の方は、おそらく自分の地域と他地方の言葉の違いを意識することが少なく、また大都市は周辺地域に対して文化的中心となりやすいため、まさか自分の言葉が他地方では「おかしい」と言われるとは思いにくいかもしれません。
しかし、大都市圏の人も、ダイハラを受けることがあります。
上記の具体例のように、特に子ども達の間では遠慮がないため、「異質なもの」をストレートに否定してしまうこともあるでしょう。
ですが、この言葉を言われた本人にとって、コミュニケーションの基盤である「言葉」を否定されることは、大きなショックを受けるだけでなく、それ以降、言葉を発すること自体が怖くなってしまうこともあります。
住んでいる地域と異なる方言を出すことが怖くなり、コミュニケーション自体に気おくれしてしまう、という例は実際に見られます。子どもは成長の過程にいるからこそ、そのような事態は避けるべきでしょう。
具体例:方言を真似てからかわれ、悲しい気持ちになった。
これも典型的なダイハラです。
からかうということは、だれかの方言を「おかしい」と考えていることが前提にあると思われますが、日本語の方言はどれも「間違ったもの」や「劣ったもの」ではなく、すべて「正しく、尊重されるべき」ものです。
文化庁の国語審議会でも、「方言は地域の文化を伝え、地域の豊かな人間関係を担うものであり、美しく豊かな言葉の一要素として位置付けることができる」と述べています。
そのため、誰かの方言を聞き取れなかったり理解できなかったりして、聞き返すことはともかく、「おかしい」いわれのない言葉を「おかしい」と言われれば、相手は不快に感じるでしょう。
言語学者の柴田武は、「方言を笑うことは、生まれつきの顔を笑うことと同じ」だと述べています。他地方の方言はそうそう習得できないもの。当人に選択の余地が無かったものを笑うことは、差別にもなるので気をつけなければいけません。
一方で、同じ言動でも、態度や信頼関係によって「不快」と感じさせない、ハラスメントとならない場合です。
例えば、「方言を習得しようとしている中で、たどたどしい方言を話した」ことは、悪意が無いことが相手に伝わっていれば、からかわれているとは思われず、相手を不快にしないためハラスメントととはならないと思われます。
具体例:転勤先で「この地域の言葉を話せ」と言われ、ショックを受けた。
これも、ダイハラのよくある例の一つでしょう。
業務上必要な程度意思疎通ができるのであれば、それ以上を求めることはダイハラと考えられます。
コミュニケーションを取るために「何と言ったのか分からなかった」と聞き返すことは仕方ないでしょうが、「イントネーションまで含めて完全に別の言葉を話せ」と求めることは、意思疎通に必要な範囲を超えていると思われます。
例えばアメリカでは、業務上、合理的に必要な範囲を超えて、なまりの矯正を執拗に求めることは、Accent discrimination(なまり差別)として、違法行為となります。(Title VII of the Civil Rights Act of 1964, the Age Discrimination in Employment Act of 1967, (ADEA), and the Americans with Disabilities Act of 1990, (ADA))
セクシャル・ハラスメントが法令で禁止されたように、日本でも、これらが刑罰の対象になるかもしれません。
方言に限ったことではありませんが、コミュニケーションのためには、双方が歩み寄ることが必要です。互いの方言が異なる場合は、相手にとって分かりやすいよう人にとって分かりやすいよう、相手に言葉を近づけたり、他方言にも通じるだろう言葉を選ぶことが大事です。
話す人口が多い方言話者は特に、「自分の方言に合わせろ」という態度を取らないように気をつけなければいけません。
東京方言だけを悪者にするつもりではありませんが、「標準語はまだ存在して強制力がある」という誤解から、東京方言の話者が他方言の人に矯正をせまる例が見られます。
戦前は「標準語」という言葉を強制される時代でしたが、「標準語」は1948年に廃止され、強制力はありません。そのため、「自分は東京の言葉を話しているから、相手が合わせるべき」という考えは思い込みにすぎません。東京方言を話していたとしても、他方言の人が東京方言を話すべきと強制できる根拠は無いのです。
標準語が廃止されている以上、どの方言も「間違った言葉」ではありません。
加えて、大人になってから異なる方言を話すことは、子どもよりも多くの苦労をともなうことを頭に置いておくと、相手の立場を想像しやすくなるかもしれません。10代半ばまでの言語形成期を過ぎると、新たな言語を学ぶことが難しくなります。
自分が「これから外国語を話せ。」と言われ、発音を間違えたらバカにされ、叱責されることを想像してみると、「方言を変えろ」と言われた人の気持ちが分かりやすくなるかもしれません。
まとめ
最初に記載したように、ダイハラの定義は「方言に関連して相手を不快にさせる行為」。
ご存知ない方もいるかもしれませんが、日本語は方言で構成されています。そのため、共通語も、東京の言葉も、他地方の言葉も方言。
ですので、方言に関わらない方はそうそうありません。
そう考えると、ダイハラは私達の生活に密接なハラスメントの一つだと思われます。
方言のことで傷つき、悩み、結果として自殺する人もいます。
この記事がダイハラを理解する助けとなり、お読みになった方にとって、これから方言に関わる場面で役立つことを、そして方言のことで傷つく人が少なくなることを願っています。