初めての投稿・ご挨拶に代えて:オペラ対訳×分析ハンドブックの「対訳」のはなし
まずはご挨拶
みなさま、こんにちは。ひろせです。
初めての note の投稿、お読みいただきありがとうございます。
ツイッターに垂れ流している日々の雑記以上に書くことなどなく、ひとさまからお金をもらって書くこともあるのかどうかわかりませんが、ご挨拶代わりに、いま私がちまちまと取り組んでいる、わりと大きなプロジェクト、「オペラ対訳×分析ハンドブック」のおはなしを書いておこうと思いました。同じ文章をツイッターにもあげてますが、そこはまあご寛恕ください。こちらのほうは、あとから加筆してますけど。
なぜこのシリーズを立ち上げようと思ったのか、それは第1弾の『サロメ』あとがきに書いたとおり、「自分の読みたい本は自分で書くしかない」とおもったからです。そして、その情熱を多としてくださった、アルテスパブリッシングさんのお蔭です。でも、実は、あのあとがき欄に書けなかったストーリーがあります。
『サロメ』は、関係者一同が思っていたよりも遙かに注目され、そんなことはあり得ないだろう、と思っていた新聞書評にまで掲載していただきました。だって、オペラの専門書ですよ。もとから読むひとがめちゃくちゃ限られてるのに。一般紙の書評に出るとか、そんなことを夢見るだけで、鼻で笑われるのが関の山だとおもってたのに。その他にも、レコ芸とか、intoxicateとか、ほんとうに多くの皆様に採り上げて頂きました。ありがとうございます。
でも、ここをお読みいただいてもわかるとおり、基本的に褒めていただけるのは対訳ではなくて分析のほう。いや、もちろんありがたいですよ。ありがたいんです。でも、この本を作ろうとおもった本当の、もともとのきっかけは、分析よりも対訳のほうが先だったのです。
(以下、ツイッターで書いた話の転載です。加筆してます。)
字幕の仕事を始めた頃のはなし
オペラ公演の字幕仕事を始めたのは2004年のシュトラウス『インテルメッツォ』日本初演。映像の字幕作成も同時期から始めてます。それ以来、もう20年、さまざまなドイツ・オペラの字幕作成を手がけてきました。シュトラウスの全15作品よりも、ワーグナー主要10作品のほうがさきに完結してしまうくらいには。シュトラウスも、有名どころでは《アラベラ》《カプリッチョ》あたりはまだ訳していませんねえ。いつかお仕事でやってくるかな。
この20年、私の字幕に対しては、それはもう、言われたい放題でしたよ。評論家からも、舞台関係者からも、一般のファンからも。意味がわからない。間違ってる。漢字が読めない。表現が古くさい。もっと今風の表現にしろ。一人称がキャラのイメージに合わない。もう、キリがないです。ありとあらゆることを言われ続けたと思います。そんな状態なのに、自分の訳を長い間使い続けてくださった各団体さま、そしてそんな自分の志を共有してくださった数少ない演出家さんには感謝しかないです。
もちろん、そう言われてしまうのは、自分の訳が下手くそだったからです。20年も続けて、いまは多少はうまくなったかもしれませんが、こればっかりは自分で客観的に判断することはできません。とはいえ、いまでもそうですけど、なにか言われるたびに、本当に傷つきましたよ。ある意味、いまでも心の傷は癒えてない。でも、ようやく、自分の作った訳を、その場ですぐ消えてしまう字幕ではなく、紙に印刷されたかたちで遺しておきたい、と思えるようになりました。その決心がつくまでに20年かかった、ってことです。
オペラの分析についても、然るべきところにちゃんと遺しておきたいとは思っていました。公演の曲目解説ではごく一部しか触れられないですから。どうせやるなら長ーいリヒャルト・オペラの全曲を、しらみつぶしに追いかけたい。かつてはCDについていた対訳と音楽解説、いまはもう手には入らないそれらを、オペラを知りたいとおもうひとたちのために書き遺したい。配信全盛の昨今ならなおさらです。ただ、シリーズをはじめようと考えた動機としては、対訳を遺したいとおもうほうがずっとずっと先だったのです。
オペラ公演の字幕は、16字×2行の中に表現を収めねばなりません。音楽の進行によって、表示できる秒数は厳密に区切られます。自然と切り詰めた表現が必要になり、文語的になっていくのではありますが、その中で音楽と響き合うような言葉にするべく、極端な話、スクリーンに映したときの見栄えまでこだわってました。いまはだいぶ慣れてきて、音楽の進行を聴くだけで、入れられる文字数に見合った訳が自動的に浮かんでくるようになりました。完全なる職業病(笑。
でも、それだけ、あらゆるひとから拙訳(文字通り、つたないやく)をケチョンケチョンに言われ続けたら、自己評価が極端に低い自分の性格的に、どこかで止めちゃってもぜんぜんおかしくなかったはずです。が、なぜかこのオペラの飜訳だけは、何を言われようとも続けたい、と思っちゃったんですよね。いまでも頑なに、自分のオフィシャルなプロフィールの最後にこの仕事を書き加えているのは、それが理由です。
なんでオペラの飜訳仕事をずっと続けたのだろう
その情熱がどこからきたのか、私もハッキリとはわかりません。でも、自分の脳内にある、そのオペラへの確固たるイメージを、適切な日本語表現に置き換えたい、原作のもつ世界観を表現したい、と思った時、どうしても、多少文語調になろうとも、格調高く響く言語表現を選びたかったんです。
もちろん、今回のハンドブック・シリーズでも、相変わらず一部の方からは「訳が古くさい」と言われています。かなしいけど。まあ、ぱっと見はそうなんだろうな、と思います。時代劇にしか出てこないような言い回しも、敢えて使ったりしてるし。
でも、私にそう仰る方は、振り返って考えてみてほしい。じゃあ、いま、この時だけ新しいと思えるような表現は、むしろあっという間に「古くさく」感じてしまうようになりはしないですか?と。本当に、日本語として美しく感じるような響きをもつ訳こそが、(大げさに言うならば文学作品として)最後まで残るのではないですか?と。
慌てて付け加えると、自分の訳を文学作品と比肩するほどの価値があるもの、とは言いません。そんなこと、自分で言うものではないことくらい、百も承知です。でも、それくらいの気概を持って作っている、ということは、やはり主張しておかねば、と、この note を新しく立ち上げるにあたって、あらためておもったのです。だいぶ歳も取りましたしね。少しは強くなったかな。
そして、やっぱり、自分の大好きなオペラの世界を、自分が理想と考える日本語で彩りたい、と思ったからこそ、20年も続けることができたんでしょう。世界最高の歌手が、自分の作った字幕と一緒に歌ってる光景を見るだけで、全身の震えが止まらないほどの圧倒的な幸福感に襲われました。こんな強烈な幸せを味わっているのは、いまこの広い劇場で自分ただひとり。日常の連続では決して訪れることのない、これを毎度体験できるなら、もう何を言われても大丈夫、と心強くいられたのですから。
最初にも書いたとおり、お陰様で、ハンドブック・シリーズは、おもに音楽分析のほうを褒めていただいてます。もちろん、そちらも頑張って作ってます。うれしいです。でも、遙かに長い時間をかけて作ってるのは、じつは対訳のほうです。オペラを鑑賞するにあたって、音楽の感興を最大限に引き出すことのできる日本語表現を、大げさでなく、20年突き詰めて考えた末の訳なんです。
そんなわけで、自分の訳が褒められるなどということがこれまで本当になかったので、実際に褒められると、まさか、と思ってしまう哀しい自分がいます。先日の『平和の日』の字幕は、普段と異なり、褒めて下さる方がわりと多くて、長生きはするものだなあ、と勝手にひとりごちておりました(笑。まあ、なにごとも、20年も続けてれば、多少はひとに認めてもらえる程度には巧くなるんでしょうか。
とりとめのない話を、長々とお読みいただきありがとうございます。拙著をお買い求めくださった皆様だけでなく、劇場で拙訳を通じてドイツ・オペラの世界に接してくださった皆様、すべてのひとに、心からの感謝を。
そして、noteとの付き合いがどんな感じになるのか、まだまったくの手探りですが、これからどうぞよろしくお願いします。
ひろせ だいすけ