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観想教育とわたしの子育て①「やさしい革命児を育てるために」

バンコクに住むのは本当に嫌でした。今でもときどき嫌になります(笑)
だけどなぜ今わたしたちがバンコクに住んでいるのか、久々のnoteで今日は書こうと思います。

お久しぶりです。タイ在住18年、仏教研究者のだるまいこです。わたしの趣味は、自然の中に住むこと、ヨーガ、瞑想、旅行、子育て(ヒトという生き物の成長を観察すること)です。


モラトリアムを使って日本に逆留学

2024年の年明けとともにバンコクへ引っ越し、息子は4月から日本の小学校に1学期間だけ通う予定でした。そのため、前の学校は前年末に辞め、3ヶ月間のお休みとなりました。1月末には、バンコクの家に慣れる前に数週間インドネシアのバリに行き、その後すぐに日本に帰国。だから、わたしも息子も、9月になってもバンコクに慣れることができないでいます。

その話だけを聞くと、無計画に思えるかもしれません。しかし実際は、インターナショナルスクールだと息子は小学校を卒業する年齢、日本の学校だとまだ6年生という中途半端な時期でした。海外に住む多くの親が悩む時期だと思います。わたしも息子も、将来の進路について悩み、何度も何度も話し合いました。今年で12歳ですが、焦らずゆっくりと大人になってほしい。そんな思いから、インターナショナルスクールはモラトリアムとして、半年スキップ。1学期間だけ日本の学校に通わせることにしました。中学校は半年後、という計画で、旅をしたり、日本に帰国して日本の学校に逆留学しました。

「ホリスティック、あるいはオルタナティブな子育て」とひとことに言っても、とても難しいものです。ただ放っておけば良いわけでもなく、あちこち連れて行けばそれでいいわけではありません。親が希望して教育留学しても、必ずその子に合っているとは限りません。日本の教育に問題点があるように、海外でもあります。絶対に日本の教育がいけないわけでもありません。実際に息子が逆留学して、良い面もたくさんありました。わたしたち親は、いろんな可能性を提示しながら、子どもの反応を見守り、密なコミュニケーションの中で決めていくことが大切です。

なので日本の学校に行ってみたいと言い出したのも息子でした。海外では原則送迎しなければならい環境の中で、日本の子どもたちのように歩いて登校してみたい!と言ったのです。どんなちっぽけな理由でも構いません。子どもがチャレンジしたいことで、それが実現の許容範囲であれば決まりです!

やさしい革命児を育てるために

本音を言えば、バンコクに引っ越すのは気が進みませんでした。しかし、アジアで中等教育以上のレベルで本当の意味でホリスティックな教育を提供している学校は、わたしが知っている限りでは、ルーンアルン・スクールしか見つからなかったのです。ルーンアルンについては、また後ほど詳しく説明することにします。

「ホリスティック」という言葉はもともと、「ホーリズム的な」という形容詞として作られたものです。「ホーリズム」は「全体論」と訳され、哲学用語として使われますが、これはジャン・クリスチャン・スマッツという思想家が1926年に書いた『ホーリズムと進化』という本で初めて使われた造語です。現在、「ホリスティック」は「全体」「つながり」「バランス」といった意味を含む言葉として使われていますが、ぴったりした日本語訳がないため、カタカナのままで使われることが多いです。ただし、その考え自体は決して新しいものではなく、もともと東洋の伝統的な考え方にも似ているといえます。

また、ホリスティック教育とは、心・身体・感情・精神といった人間全体の成長を重視する教育法です。机に向かって知識を詰め込むことや、聞くだけの受動的な講義だけでなく、子どもの内面や感性、個々の成長過程も大切にし、個としての幸福と、社会貢献することの喜びとの、両方を考慮し、バランスの取れた人生を目指しています。この教育理念は、カナダのトロント大学大学院オンタリオ教育研究所のジョン・ミラー教授によって提唱されました。

わたし自身は、息子が生まれる前はチェンマイでヨガとマッサージのスクールを経営し、自身は一般に受け入れられているようなエクササイズの領域を超えた、ヨーガに没頭してきました。それまでは自分自身の精進が人生の中心で、社会の全体性を考えるどころか、社会からなるべく遠ざかろうとしていました。ですが息子が生まれて世界観がガラリと変わりました。人間は社会の中で育まれていくものです。子どもを全体性の中でよりすこやかに育てることそのものが、人類への社会貢献となります。それ以来、自分自身ももっと社会と関わろうという気持ちになりました。子どもは偉大なグル(師匠)です。わたしをより大きなヴィジョンへと導いてくれました。12年前のちょうど今頃、妊娠がわかったあの日から、わたしの使命は「世界のためにやさしい革命児を育てること」になりました。

21世紀の教育に正解はない

ホリスティック教育を掲げる学校は数多く存在します。タイではチェンマイのパンニャデンスクール、バリではグリーンスクールが有名です。ですがこれらの学校を保護者の視点で見ると、見た目だけが立派で中身が伴わない「ハリボテ」に感じられることが多いのです。高額な学費に見合わない、哲学観の欠如したアートやマインドフルネス、リベラルなカリキュラムは、ただ表面的で、中途半端なものでしかないと感じることがありました。特に仏教研究者として、マインドフルネスを取り入れる多くの学校に疑問を抱いてしまします(その話は後日)。それでも、小学校まではそれで良いかもしれません。子供たちが自由に自然と触れ合い、五感を使って遊び経験することが最も重要な時期で、机に向かって授業を受けることに縛られる必要はないからです。

しかし、12歳を過ぎた子供たちにとって重要なのは、小学校で培った感性を社会に表現し、還元する力を育むことです。その強さを培わなければ自分の生き方がわからなくなります。競争中心の教育を選択するか、逆に完全離脱型のトライバルな生き方をするのか、もしくはその真ん中を目指すホリスティック(全体性)な生き方を育むこともできます。オールラウンダーになる必要はありません。競争が悪いわけではありません。従来通りの教育の方が自分を出せる人だっています。トライバルな生き方を目指すのも素敵です。だったら、初めから学校なんか行く必要すらないかもしれません。どれでもいいのです。ですがここでは、自由でいながら、競争社会に優しいインスピレーションを与えられるような生き方を願い、子育てを通して世界を変えることに興味がある親について書いています。わたしのやり方が正しいわけではないし、いろんな生き方があります。21世紀の教育に正解はありません。

わたしは自分の子が、社会に良いインスピレーションを与えられたらいい、やさしい革命児を育てたいと思って12年間子育てをしてきました。妊娠したときに、子どもは「私の子」という小さな範囲に収まらない、人類の子、地球の子、宇宙の子だと感じたのです。それ以来、子育てに献身することに、すごくワクワクしてきました。おこがましくも、新しい育て方を発明したいとまで思ったほどです。

最近は教育留学について尋ねられることが多くなりましたが、わたしは教育留学そのものには特に固執していません。どこで教育を受けるかよりも、どんな環境で、子どもがどのような経験を積むかが重要だと考えているからです。家庭環境や子供の特性に合わせて最適な選択肢は変わっていいと思います。大切なことはどんなに小さなことでも、何の経験を提供するのか軸を決めることです。学校以外のことでも、幼稚園時代は山に住むと決め、小学校の後半は海に住むと決めました。何が一番いいというのは、その子の性格やわたしたち親の考え方、環境で変わってきます。

何より重要なのは、子供が色んな経験をすること。それは海外でなくてもいい。老若男女、人に限らず動物や植物、あらゆる生き物や文化と関われたらいいと思うのです。それは社交的になれ、ということではありません。わたしのように内向型の人間は、ただじっと観察するだけでも楽しいですし、人間が苦手だったら、話すのは動物や虫でもいい。動物も虫も苦手だったら、木や花や石、星でもいい。物体に興味がないのであれば、音楽や数学でもいいのです。世界にはたくさんの関わる相手がいます。わたしたち大人の固定概念で子どもの世界を狭めてしまわないようにサポートしてあげられれば、旅行に行く必要すらありません。

12歳からのオルタナティブ教育

子どもは12歳ごろまでにたくさん貯めた印象から、それなりの概念体系を作り上げ、自分の世界観を作り上げます。それは一生ものです。そこからはその世界観を大切にしながら、社会と関わっていくスキルを身につけることが必要になります。こんな偉そうなことを書いているけれど、わたし自身が「自分の世界観を大切にしながら社会と関わっていく」ことが困難だったからこそ、子どもにはそうあってほしいと願うのです。もしかすると、あなた自身もそうかもしれません。わたしたちが育ってきた時代は、自分の世界観を大切にする方法なんて学びませんでしたよね。

息子の世代では、ここ10年でオルタナティブスクールや、日本ではフリースクール、森の学校、グリーンスクールなどが増えました。モンテッソーリやシュタイナーも根強い人気です。どれも12歳までは良い環境を与えてくれます。ですが、12歳から社会も個人も、伝統もオルタナティブも包括してくれる学校はまだ少なく、なかなか見つかりませんでした。わたしたちはしばらく悩みました。

実は息子の性格がわたしと同じように抽象的、直感的なものを好むのであれば、こんなにも悩まなかったかもしれません。しかし息子は正反対の性質で、理論的です。わたしが賢かったら、エジソンのお母さんみたいにホームスクーリングできたかもしれません。ですが数学的な抽象性を好み、歴史、哲学、語学も理論的に考えるので、わたしが何かを教えられるわけではないのです。完全に自分の範疇を超えているので、だから他の誰か(学校)に手伝ってもらうしかないのです。多くの親が自分の無力さに愕然とするかもしれません。でも、子育ては社会全体で行うもの。自分で何とかしようとしなくていいのです。

息子の場合、研究など、従来のアカデミックフィールドを好む傾向があります。その場合、シュタイナーのようなオルタナティブスクールが必ずしも彼に取って正解とは言えません。「勉強なんて無駄!必要ない!」って思っている大人も多いかもしれません。わたしもそうです。わたしも決まった教科を勉強するのが苦手で、公園で本を読んで、絵を描いていればしあわせな人間です。そんなわたしの子どもですので、息子は特に秀才というのではなく、夢想家で、ぼんやり、おっとりしています。忘れ物も多いし、ミスも多いし、怪我も多い。普通の学校だったら、ついていくのに精一杯。実際に日本の学校でも次から次にタスクだらけで、ついていくために気を遣ってクタクタになっていました。そして家ではアザラシみたいにいつもゴロゴロしていました。

本当の意味でオルタナティブであるということは、オルタナティブスクールに子どもを入れることではなく、いろんな選択肢があって良くて、その中で子どもに合ったものを選ぶということです。

ルーンアルン・スクールとの出会い

そんなときに見つけたのがルーンアルン・スクールでした。昨年の秋、息子がロボティックスのタイ全国大会に出ていて、その準決勝がバンコク南部のキングモンクット工科大学トンブリキャンパスで行われていました。わたしはロボットのことなんて全然わからないので、息子を送った後にカフェでまったり待つことにしました。そこで、ゆっくりできるカフェを探そうとGoogleマップを見ると、その地区にはそれまで来たことがないのに、見覚えのないピンが打ってあっりました。開いてみると、それがルーンアルン・スクールでした。

実はコロナ禍の間、仏教系出版社のサンガ新社さんの「サンガ」でコラムの連載をしていた際に、仏教教育をする学校として編集者の川島さんが紹介してくれたものでした。当時ホアヒンに住んでいて、バンコクに行くことなんてあまりなかったのと、当時のルーンアルンには英語教育がなかったので、マップにピンだけ打って記憶の彼方に葬られていました。ですがその日、見に行ってみたいなと思いました。

翌日の試合は早めに終わったので、帰り道に息子と二人でルーンアルン・スクールを見に行くことにしました。マップの通り車を走らせると、ビルと高速道路が交差する場所から2キロ程度でどんどん田舎道になって行きました。緑が鬱蒼としてくると、まるでジブリの映画みたいに木がトンネル状になった入り口に着来ました。息子は驚いて「ママ!ここポータルだ!」(ポータルとは別次元への入り口のこと)と叫びました。

入り口には木の矢印看板があって「ルーンアルン・インターナショナルスクール」と書いてあリマした。サンガ新社の川島さんから教えてもらったときには、タイのカリキュラムしかなかったのに、インターナショナルスクールができていたのです。そこで家に帰ってから問い合わせると、2021年の秋に開校したらしく、翌々週のオープンキャンパスに行き、あれよあれよと2023年の年末には受験となりました。

ルーンアルンとホリスティック教育

ルーンアルン・スクールは、アジアで最初にできたホリスティック教育の学校であり、前述のジョン・ミラー教授が提唱したホリスティック教育理念をもとに、仏教理論を中心とした観想教育を20年以上実践してきた実績のある学校です。タイ語のカリキュラムだったので、グリーンスクールと同等に語られることはありませんが、1991年に開校し、ホリスティック教育の研究フィールドではよく知られています。日本でのホリスティック教育研究の第一人者である中川吉晴先生の著書「ホリスティック教育講義」の中でもルーンアルン・スクールは登場します(第3章)。観想教育の中心にある仏教哲学に関してはアジャン・パユット(ソムデット・ブッダゴーサチャリヤ師)が専任で監修をしています(アジャン・パユットと仏教教育については後編で触れます)。

タイではルーンアルン以外に、チェンマイのパンニャデン・スクールが仏教教育を取り入れた学校として有名です。わたしもチェンマイに15年住んでいたので(しかも最後の3年はパンニャデンの近くに住んでいました)、開校時は意気揚々と仏法を打ち出していましたが、数年後にケンブリッジカリキュラムを取り入れた途端、ガリ勉に逆戻りしました。教育者たちに仏教やマインドフルネスの知識が乏しいことは、チェンマイ在住で子どもがいる家庭であれば周知の事実だと思います。加えてチェンマイは3月から数ヶ月ひどい煙害で、15年住んで慣れ親しんだ街でしたが、子育てには適した環境ではなくなってしまいました。結局、もっと質素で小さいながらもしっかりと観想教育を取り入れているホアヒンのHALIOオルタナティブスクールへと転校し、息子の小学校3〜6年はホアヒンで過ごしました。

オルタナティブカリキュラムと、IB(国際バカロレア)やケンブリッジを同時に実践することは難しいようです。だけど、ルーンアルンは20年の実績を生かして、独自のカリキュラムを提出し、ホリスティック教育とIB両方の認可を得ていました。IBはMYP、IBDP、IBCPと中等から高等教育まですべての認可を取っており、学校の先生たちは、ものすごい交渉と努力の末だと涙ぐみながら語っていました(笑)。欠点を言うと、インターナショナルスクールとしてはまだ新しいので、両立がどのように行われていくのかはまだ試行錯誤の段階です。そんな開拓現場にいられるのも興味深いです。また、タイ人の生徒が多く、英語のレベルがそれほど高くありません。(なので教育留学でもある程度英語ができれば入れるのかもしれません)現在、入学から約1ヶ月、息子は毎日充実した日々を送っています。

アイデアを出すとなんでも実現させてくれるようで、息子は大好きなロボティックスのクラブを自分で立ち上げたそうです。新入生なのに、クラブの会員を募集するプレゼンをし、ロボットを購入する予算表を作って提出し、年末にはまた全国大会に出られるようにプロジェクトをスタートしたようです。先々週からはタイの伝統仮面舞踏劇「コーン」の練習も始め、仮面を被って劇場に出る気満々でいます。(実際に学校は毎年劇場で公演をしています。)これからどうなっていくのか楽しみです。失敗したり、風向きが変わったら、またその時に変えればいいだけ。わたしたち大人も、心を開いて柔軟に見守って行けたらそれでいいのです。

前編はわたし個人の経緯と思いを中心にホリスティックな子育ての話をさせていただきました。ですので後編はホリスティック教育、観想教育について詳しく述べていきたいと思います。


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だるまいこ | 仏教学者のインナーセンスオブワンダー
いただいたサポートは、博士課程への学費・研究費として、または息子の学費として使わせていただいています。みなさんのサポートで、より安心して研究や子育てに打ち込むことができます。ありがとうございます。