【幕末英雄列伝#4】高杉晋作〜パッと咲いてパッと散った幕末の英雄〜
江戸時代後期いわゆる幕末において、長州藩を代表する英雄がいた。
長州藩士の高杉晋作だ。
高杉は幕末を彩る英雄の1人であり、主役の一つであり、幕末ファンからの人気も高い。
高杉に対して、多くの人が惹きつけられる理由は、その人生が「パッと咲いて、パッと散った人生」を送ったことだと思う。
高杉は、27歳という若さで亡くなっているが、輝きを放ったのは亡くなる前のほんの一瞬だ。
今回は以下の書籍をもとにして、多くの幕末ファンを惹きつける、高杉晋作の人生を振り返ってみた。
<参考文献>
1. 父親と師匠の間で苦悩する高杉
高杉晋作の人生に決定的な影響を与えた人物として、父親の高杉小忠太と師匠の吉田松陰の存在が挙げられる。
父親の小忠太は名門高杉家の当主として、長州藩の中枢に関わっていた。一人息子の晋作には、自分同様に、将来、長州藩を引っ張る存在として品行方正な姿を期待していたようだ。
一方で、師匠である吉田松陰の教えは、門下生に「志」を立てること、学問を行動に移すことだった。
この2つの考えの中で、高杉晋作が大きく悩む様子が、現存する手紙から読み取れる。
優等生として期待をかける父親の小忠太。一方で、改革の実行者として指導する、師匠の松陰。
この2人に挟まれて悩み続けるのが、高杉という男の人生だ。
2. 空回りの連続
全く異なる2人の間に挟まれながら、高杉は活動を活発化させていく。だが、その人生は空回りの連続だった。
・航海術を身につけようと軍艦教授所に入学するが、すぐに挫折
・近代化の必要性を感じ、勝手に長州藩が軍艦を購入することを決めるが、藩の反対にあって話が頓挫
・独断行動が警戒され、野山獄に投獄
父親の存在もあり、思い通りの行動ができないことも多く、何度も自暴自棄になって暴走する場面もあった。
3.長州藩のピンチで最後の輝きを魅せる
25歳ごろまで空回りの連続だった高杉。
そんな、高杉は人生のクライマックスで大きな輝きを魅せる。
1864年(元治元年)、長州藩は幕府軍から攻められた。(第一次長州征討)
これは高杉の盟友であった長州藩の久坂玄瑞らの起こした、反乱(禁門の変)の責任を追求するために、幕府が起こした軍だ。
長州藩に幕府が攻めてくる。。。この時、長州藩は大混乱に陥った。
この混乱においては、高杉の兄貴分であった周布政之助が自決したり、弟分であった井上聞多(後の井上馨)が襲撃されるなど、高杉の身辺も危なくなっている。
そんな高杉だがここで、藩を一つに纏めるために行動を開始した。
高杉に賛同する兵士は80人しかいなかったものの、この80人で、長州藩の司令部を次々と掌握。町人や農民の力も借りながら、長州藩を一つに纏めていく。
この結果、長州藩はあくまで幕府軍に屈しないことを選び、1866年(慶応2年)の第二次長州征討では長州藩の勝利をおさめる。
この出来事は倒幕への流れが一気に加速した。この流れを起こした首謀者として、高杉は大きな功績を残す。
高杉が幕末の英雄になる大きな成果だった。
4.もがいてもがいて最後に花を咲かせた高杉晋作
高杉晋作は第一次長州征討と第二次長州征討で活躍した後、すぐに病気で亡くなっている。27年という短い人生だった。
高杉の人生を振り返った時に、人生の多くでうまくいってないことに驚いた。常に挑戦しては失敗し、挑戦しては失敗するの連続だ。
2回の長州征伐の活躍がなかったら、歴史に名が残ることも無かったと思う。
一瞬で強く輝きを放ち、次の瞬間には枯れてしまった。
高杉晋作のそんな悲哀に満ちた人生が、多くの幕末ファンを魅了する理由ではないかと、今回感じた。