マネジメント育成には「つまずき」へのまなざしが必要ではないだろうか
株式会社MIMIGURIで、組織コンサルタント・ファシリテーターをしている矢口泰介です。今回も前回に引き続き、マネジメント育成に関して書いてみました。
私は前回、こんな記事を書きました。
書いた動機は単純で、まさに私自身がマネジメントに向いてない人間だと思っているからです。
私はマネジメントが本当につらかった
私は、会社において数名のチームの事業推進面を見るマネジメントの役割をしています。しかし、私は何度もマネジメントにつまずき、時には挫折し、何年かマネジメント職を離れていたこともありました。
私のつまずきは、本当にしょぼいものです。
組織である以上は目標があります。定性、定量ともに。それが事業部で決まったとき。それをそのまま伝えること、つまり伝言ゲームは「ダメ」だとされています。その理由はいろいろあるのですが、ここでは割愛します。
さあどうしよう、と私は考え、そして苦労の末、自分のチームの目標を自分の言葉で決められたぞ、と思いました。しかし、それを伝えたとき「ぜんぜんやる気にならない」「意味がわからない」と言われたとき、あるいは態度で示されたとき。私はただ泣くだけでした。
目標数値がある。それが降りてくる。そしてそれを達成に向けて頑張る。数値が達成しない。なぜなのか。どうするつもりなのか。上からも、下からも問われ、報告を求められたとき。私は鬱になりました。
今ならわかることがたくさんあります。なぜあのときあの人は、あんな事を言ったのか。私はなぜ、ああなってしまったのか。
今でもうまくできません。本当に毎日凹んでいます。それでも、そのときになってみないとわからない、ということが本当にたくさんあります。
マネジメントの大変さは誰にとっても「新鮮な大変さ」としてあらわれる
もちろん、マネジメントに単純な向き、不向きはあるでしょう。その二分法で言えば、私はマネジメントに到底向いているとは言えません。コミュニケーションが苦手だし、人前に立つのが嫌だし、自分の考えを述べるのが得意ではない。
しかし本質的には「向き・不向き」はあったとしても関係ないと思います。
なぜなら、マネジメントで出会う大変さとは「誰にとっても新鮮な大変さ」だからです。
組織の中で、役割が変わる、とくに、昇進であったり、リーダー職・管理職へのチェンジといった役割変化は、かなり大きい変化です。ゲームのルールが変わり、意識や視点の変化を必要とします。つまり、最初からうまくできる人はいないと言えます。
マネジメントの役割とは、と調べると、「目標達成に向けて人を動かす」とか「共通の目標を示し、協働を促す」とか「成功に向けた仕組みを作る」などが出てきます。これは間違いではありません。
しかし、多くの人がぶつかるのは、もっと手前です。
「なんでこんなこともできないんだ」とか「なんでわかってくれないんだ」とか「時間がいくらあっても足りない」といった、一つ一つのつまずきであり、葛藤です。そして、そのつまずきをどうやって乗り越えればいいかわからない、という悩み・精神状態です。
その葛藤が、パフォーマンスの低下になってあらわれる人もいます。また期待されている成果を出せない人もいます。頑張ろうとした結果、メンバーとの対立を生んでしまう人もいます。こんなにつまずいている「カッコ悪い自分」を認めれられず、自己嫌悪に陥っている人もいるでしょう。
つまずきとは、変化の過程で生じるトライアンドエラー
多くのマネジメント論は「マネジメントがやるべきこと」は提示しますが、この「つまずき」はあまり問題にされません。問題にされないがゆえに「つまずき」の存在は、まるでないかのように扱われ、ひどいときには「つまづいている人」は「マネジメントに不適格である」という評価を下されてしまうこともあります。
しかし実際は、マネジメントの難しさの一つがこの「あるべき像に到達する前のつまずき」にあり、ここでマネジメントを挫折し、あきらめてしまう人もいるのではないでしょうか。
もしマネジメントとしての成長が「視点や意識の持ち方の変化」であるならば、つまずきとは、変化の過程で当然生じるトライアンドエラーであり、いうなれば自転車の練習のようなものです。
自転車に乗るには「転んでしまう」とか、「すぐには乗れない」といった期間があり、それが大切だったりします。つまり、マネジメントの難しさにつまずいているのは、難しさにチャレンジしている証だったりします。
マネジメント当事者であれば、自分自身のつまずきに、肯定的な目を向けなくてはいけないと思いますし、マネジメントを育成したい、と思っている人であれば、この「つまずき」は当然起こるものとして認識し、サポートする必要があるでしょう。
視点や意識の持ち方の成長には、セルフアウェアネスが重要
マネジメントが難しいのは、正しい自己認識と、他者からの目線の両方を必要とするから、ということもありそうです。
マネジメントは「他者に影響をおよぼす」役割です。だから「他者からどう見えているのか」を知ることが重要になります。
自分が思っている自分像は、自分の半分だし、それもバイアスによって歪んでいる可能性もあります。正しく自己認識を作ることが、「意識や視点の成長」には欠かせないのです。
ただ、他者からもらうフィードバックは、ときに「見たくない自分」を突きつけられることもあります。自己認識を進めるものとはいえ、あまり心地よいものだけではないので、その大変さもあります。
マネジメントの成長/育成には「弱さ」を開ける場が必要
事程左様に、マネジメントとしての成長/育成においては、その過程での「つまずき」の受容や、正しい自己認識を育むことが必要になります。
しかし、多くの組織には、マネジメントに向かい合う人のための「横」の連携がありません。組織構造がどうしても「縦」になることが多く、そのコミュニケーションパスが「横」に働かないことが多いです。
また、たとえ「横」のパスがあったとしても、単なる事業上のやりとりだけにとどまってしまいます。
マネジメントを育成するためには、そのための「場」が必要です。
自身の成長に真摯に向かい合える場
自身の「弱さ」に目を向け、他者に自分を開ける場
マネジメントに向かい合う人たちが相互に支援し合い、学び合う場
いうなれば、マネジメントに向かい合う人達同士のコミュニティなのですが、おそらく従来の事業推進のためのコミュニケーションパスとは異なる力学が働くため、マネジメントを育成するための場、は多くの組織において新しく立ち上げる必要があるでしょう。難しいかもしれませんが、あると望ましいように思います。
育成を焦らないことが、マネジメント育成の早道になる
そもそも、人の成長には時間がかかります。特に、単なるスキル習得ではなく「視点や意識の持ち方の変化」を伴う場合は、なおさらです。
しかし、多くの組織は、直面している「マネジメント不足」を解消しようと、マネジメントを「急速培養」しようとします。
マネジメントの「あるべき論」に当てはめ、成果を求めます。そして、マネジメントの大変さに向き合い、つまずいている人をフォローせず、評価を下げてしまいます。
その結果「優秀なプレイヤーの燃え尽き」だったり「マネジメントとメンバーの対立」などが起こってしまったりします。
育成を焦らず、人の成長にじっくりと向かい合うことが、実は早道なのではないか・・・と最近考えたりしています。
最後に、フェアに言いたいのですが、マネジメントという役割には、クリエイティブな側面があります。マネジメントとは、組織の中でものごとを為す行為だからです。だから、役割の変化でつまずくことはあっても、そこで得られる経験や、視点の変化、自分自身の成長は、何よりもかけがえのないものだと思いますし、自分自身の経験を振り返っても、そう思います。
マネジメントの大変さに向かい合い、今まさにつまずいている人たちと、「弱さ」をもっと開き合い、交流する場を作ってみたいな、などと考えたりしています。もし興味がある方は、ご連絡下さい。