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誰しもが生きる限り生涯を残す

さて、前回から「どう生きるか」ということを考えています。

『後世への最大遺物』の著者である内村鑑三については、私は手短にうまく説明できない気がするので、そこは対話会の当日、鬼丸さんに必要な部分の解説をお願いしたいと考えています。ここでは、端折って、内容に入ってしまいますね。

▼ 内村鑑三は、後世に何を遺すといいと言っているのか

まず、お金を遺すのもよい。ただ、子に遺すだけではつまらない。社会に遺すこと。例えば、遺産で世界初の孤児院を建てた人の話。お金を貯める力を持った人ばかりではなく、お金をつかう力を持った人になること。

そして、事業を遺すのもよい。つまり、お金をつかうこと。例えば土木事業で、誰が掘ったか分からない用水路が、後世の人の水源になって助かっている。名前は残っていないけれど、事業がのこっている。

でも、それらには才能がいる。お金を貯める才能も、お金をつかう才能もなければ、事業をなす才能もない、事業をなすための地位も人も、社会からの賛同もなければ・・・どうしたらいいのか?何も遺せないのか?

いや、ならば思想が遺せる。思想は難しいことではない、自分の思うままに、思うように記せばいいだけ。

ただ・・・・

お金も事業も思想も、遺すものとしてはよいものだけれど、それが最も優れているのか、「最大の遺物」なのか、というとそうではない。ひとつの理由として、誰でも遺せるものではないから。

では、「最大遺物」とは何なのか・・・

それが「高尚なる勇ましい生涯」だと内村鑑三は言います。

▼「高尚なる勇ましい生涯」とは

ただひと言、「高尚なる勇ましい生涯」を遺す、そう言われると怯みませんか?

高尚:学問・技芸・言行などの程度が高く上品なこと。けだかくてりっぱなこと。また、そのさま。

(goo辞書)

いやいやいやいや・・・私の人生なんて、高尚とは程遠い・・・ムリムリムリ・・!

でも、続きに耳を傾けると、ここで言われているのは、誰かと比べて勇ましいことでも、何かと比べて高尚であることでもないのです。

生きる限り、生涯を残さない人はいない。その生涯というのは、何か目に見える業績や成果をあげることではなく、その過程そのもの、生きることそのものです。

内村鑑三が妻を亡くした際に書いた本の中で、「高尚なる勇ましい生涯」という考え方が現れています。

自分の妻は、世の中に知られない人で、その生涯はとても小さいけれども、完成された生涯だった。その完成された小さな生涯は、宇宙の秘密を自分に教えてくれた、と内村は言うのです。

『100分de名著「代表的日本人」』

ほかに、この「高尚なる勇ましい生涯」について、解説者の若松英輔さんはこうもおっしゃっていました。

小さな勇気をもて、ということ。あなたにその考えが浮かぶのは、あなたにそれができるからだ。

困っている人に手を差し伸べたらいいんだろうなぁ…思いつくならば、それを実行に移す。その実行に移すための、小さな勇気を持て、ということです。

そして、こんなフレーズもありました。

生きることは、自分の願いを成就させることではなく、いかに先人たちの生涯から受け継ぐものを見出すか、ということでもあるとも言えます。

『100分de名著「代表的日本人」』

自分の何か、例えば、自分の名前を残す、自分の遺伝子を残す、そういったことを大事にすることも、私には否定はできません。そうやって自分の人生を楽しく生きるのであれば、それはそれで生きることを満喫し、大事なことなのだろうと思います。

ただ、世の中に、自分の願いを成就させること、それも自分の利益を第一に考えて、それだけを考えて、その願いを成就させることに躍起になっている状況が多いことに対しては外から見ていても、ちょっと疲れた気分になるのです。

だから、生きるということは、自分の願いを成就させることではないという言葉にハッとすると同時にどこかホッとするような気持ちにもなります。

そして、先人たちのメッセージを、本を読むことだったり、それも今は図書館だったり、インターネットだったり、いろいろ情報を得ることは可能ですから、そういったところからメッセージを受け取って、

前回ご紹介した、天文学者のハーシェルが言ったととされる

「われわれが死ぬときには、われわれが生まれたときより世の中を少しなりとも善くして往こうではないか」

『後世への最大遺物』

という言葉を思い出し、受け継ぐものを見出していきたいなぁと思うのです。

あなたはどう思われますか?

(文責:森本)

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