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単純化してシンプルに考えること

前回からの続きです。

今月の「答えのない対話会」は、医師・中村哲さんがテーマですがもう少しご紹介したいと思います。

前回も少しお話しましたが、肩書としては「医師」です。主に、アフガニスタン・パキスタンで活動されていました。

1984年から赴任しているそうですが、もともともはハンセン病を中心とした貧困層の診療が目的でした。日本ではハンセン病は少なくなっているそうですが、海外ではまだまだ根絶という状況にはないそうです。

中村哲さんが赴任された当時の時代背景としては、1979年にソ連がアフガニスタンに侵攻し、難民が300万人出たと言われています。彼が活動していたところが、国境付近だったそうですから、難民も目の当たりにして、「片側でマラリアで死にかけている人を尻目にして、『あなたはハンセン病でないから診ません』というわけにはいかない」(*1)と、そこから難民のための医療チームをつくり、診療所をつくり、活動をしていました。

その中ですごく印象的な話が、「特に工夫をして力を入れた治療活動は?」と講演会で質問を受けた際の「サンダル工房を作った」という答えです。

これはハンセン病患者に非常に多い合併症に「裏傷」というものがあり、足の裏の痛みを感じる感覚がなくなってしまい、足に怪我をしても気づかない、釘を踏み抜いても気づかないことがあるらしいのです。

足の裏に怪我をして、普通なら痛みを感じて大事にして治っていくものがそこからさらなる合併症を引き起こして足を切断する人が少なくなかったそうです。

外国からの支援などで靴を配布しても、自分のために使うのではなくさっさと売ってお金にしてしまったり。日本とは比べ物にならないくらい歩く、しかも山の中を歩くにも関わらず、ボロボロのサンダルを買い換えるお金もない。そもそも使っているサンダルに、釘が針金がふんだんに使われていて、傷ができやすいものだったり。

そんな状況の中、もちろん資金は潤沢にいくらでもあるわけでもないので「いかに少ない金で、いかにたくさんの数の治療をするか」ということを考えた結果
「できあがった病気を治療するよりも予防のほうが安くすむ」ということで、サンダル工房を病院の中に開くことになりました。(*1)

「1足400〜500円の靴でその人の社会生活が守られ」て、その効果はテキメンで、それまでは数ヶ月で治療に戻ってきていた人が、1,2年、なかにはそれ以来、再発がなくなったため診察に来なくなる人もいたそうです。(*1)

なにもない場所、高度な医療機器があるわけでも、薬も無尽ではない場所だったからこそ、病気をおっかけまわして治療するいたちごっこでは埒(らち)が明かないと、根本原因を考えて(もしかしたらそもそも治療しながら「靴さえ履いてくれれば防げるのになぁ…」とずっとずっと思っていたのかもしれません)じゃあサンダル工房つくっちゃおう!となるのが、飛び抜けているなぁ〜と。

私の貧しい感覚だと「医者だから、治療をする存在」みたいな枠があって、それを中村さんは、ひょいと当然のように乗り越えているように感じるのです。

現地にいるからそうなのかもしれませんし、中村さんの強みなのかもしれません。もしかしたら、普通にそれくらい思いつくでしょ、と思われるかもしれません。

私は果たして自分が思いつくか自信がないので、日本にいながらして、その発想に倣(なら)うことができたらなぁ〜と思うのです。

で、その延長の感覚だと思うのですが、2000年から診療活動と同時に、大干ばつに見舞われたアフガニスタン国内の水源確保のための、井戸の掘削(くっさく)と地下水路の復旧活動に取り組みます。

この大干ばつは、本当にひどいものだったそうです。アフガニスタンの人々は、ほとんどの人が農家だというのに、農作物はとれず、食糧不足で、体力のない人たちからどんどん倒れていきます。

そして、それ以降、水不足の状態はずっと続いているそうです。2018年の中村さんの報告書を見ると、4月にWFP(世界食糧計画)などの国連機関が「『餓死線上100万人』『数十年に一度の規模の大干ばつ』で、アフガン国民の3分の1に相当する900万人~1,200万人に影響が出ると警告」したそうです。(*2)

中村さんは講演で「なぜアフガニスタンで活動しているのですか?」「なぜお医者さんが、井戸を掘って用水路を拓くのですか?」と聞かれると

「道で倒れている人がいたら手を差し伸べる、それは普通のことです」

『わたしは「セロ弾きのゴーシュ」 中村哲が本当に伝えたかったこと』

と答えられていたそうです。

何も特別なことをしているわけではない。治療が間に合わないから、靴を履いてもらうためにサンダル工房をつくるし、大干ばつに見舞われて食べ物や飲み物がなくなり、水がなければ人が生きていけない、だから水を手に入れるための活動をしている。

単純なことでしょう?と言われているような、そこに私は「透明さ」を感じるのです。

「色眼鏡」というと先入観をもった、ものの見方で、色が入っているわけですが、「見透かす」という言葉は、そのまま透かして見ること、さらに、表面に現れていないところ、さらには成り行きまで見通すような、屈折率がない状態がすっと通るような、そんな透明さです。・・・伝わります?

あなたは、どう思われますか?

(文責:森本)

1月答えのない対話会『私の導かれる先〜中村哲医師の生き様から学ぶ』

参考図書(*1)

引用について(*2)

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