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私のタイムマシン

就職を機に移住した憧れの京都での暮らしも早数年が過ぎた。そんなある日、京都市民お馴染みの繁華街河原町を妻とぶらぶらと歩いていたときのこと。遊び疲れた足休めにどこかカフェでも寄ろうかとスマホを取り出したところ、大学時代に所属していたストリートダンスサークルのOBグループLINEからの通知に気が付いた。

「今度現役生が久々にサークルイベントを開催するみたいで、先輩方にも良かったらゲストで来てもらえませんか〜?って話来てますよ。」


ひたすらダンスに明け暮れた大学時代。深夜にシャッターの閉じた新京極商店街へ繰り出しては胸を揺さぶる重低音に包まれたクラブやスタジオのイベントを渡り歩き、夜明け前の涼風が吹く街並みを抜けて始発電車へ乗り込むのが日常だった。が、ふと目を上げると、私たちだけが知るあの風景は健康的な日差しに掻き消され、皆の知るようなファッションにグルメに娯楽に何でもござれなトレンドと伝統が織り重なり雑踏が溢れる姿に上書きされていた。

私自身“一般人”になったことを自覚している。「卒業してもシーンには顔を出し続けます!」と暑苦しい想いを綴ったInstagramの更新はめっきり減り、Twitterではゲーム用のサブアカウントに籠りきりだ。社会人らしい生活リズムに矯正され、仕事から帰って家でゲームして寝るの新たなルーティンを正当化するのにコロナ禍は特に都合が良かった。どこにでも転がっているコンテンツを誰でもやっているように消費することのお手軽さにいつしか逃れられなくなってしまったのだ。

そんな風に自己分析していると、頭の中が悔しさと焦りでいっぱいになってきた。居ても立ってもいられず、忘れ物を取りに戻るかのように目の前のオーパへ駆け込み妻を置いて9階タワレコまで足を運ぶ。どのジャンルに当てはまるのか検討も付かず売り場をグルグル周り、結局ネットで在庫検索しながら洋楽のROCK/POPSコーナーの棚2段目に見つけたのは、私の当時からの一番のお気に入り、トム・ミッシュ『Geography』だ。

日頃からSpotifyで流しているのに、見慣れたジャケットのこのCDが無性に欲しくなり、どうせそのうち汚れるのに、より丁寧に防犯ケースで梱包された綺麗なパッケージを選んで手に取ってレジで会計を済ませ、地下のカフェで待つ妻の元へ合流したのであった。


トム・ミッシュはイギリスのアーティストであり、インターネット上に投稿したビートから溢れる非凡な才能が注目を集め、高まる期待の中で満を持して世に送り出したデビューアルバムがこの作品である。彼の柔らかくどこか気だるげな歌声とギターを主体としてチルな曲調に仕上がっており、それでいてディスコミュージックを思わせる軽快なリズムがナチュラルに落とし込まれている。ジャズ、ソウル、R&Bなど、前述したようにタワレコで迷子になるほど多様なジャンルの音楽への造詣の深さも窺えるが、何か例を挙げるとすれば…邦楽の星野源やSIRUPにSuchmos、洋楽のジャミロクワイあたりをよく聴く方なら彼らの音楽に通ずるグルーヴを見出せることだろう。実際に星野源とは共同プロデュースで楽曲制作も行っているほど意気投合している。

このアルバムに収録された曲はいずれもトムのバックボーンや感情がありありと音に表現されているところに魅力があり、とりわけ『South of the River』はその点で今回私が最もおすすめしたい一曲だ。

彼はイギリスに流れるテムズ川を境目とした南ロンドンの出身であり、そこで育ってきた地元への愛着、そして仲間と離れ離れになる別れの名残惜しさが歌われている。イントロに奏でられる、幼少期からの音楽家の父親譲りというバイオリンの音色は一際印象が強く、沈みゆく夕陽、あるいは輝く星空に見惚れてしまうかのような美しさを湛えながらも、あるいは冷たい夜風に当てられたときの気持ちが張りつめた感覚にも近い。

South of the Riverは、Geographyに収録されるより前の2017年にシングル曲としても公開されており、私は大学3回生の冬にSpotifyからサジェストされてくる無数の音楽の中で偶然この曲を知った。これでも当時の関西学生ダンスシーンを中心に活躍していた私は、学部でこそぼっちであったが有難いことに仲間にも恵まれてダンサーのコミュニティにどっぷりと浸かりきっており、一年後に控えた卒業を前に早くも名残惜しく寂しさを感じ始めていたのかもしれない。歌詞の意味もよくわからぬまま、取り憑かれたようにリピートしていたのを覚えている。今になってCDに付属する歌詞対訳の小冊子を読み、改めてトムが表現するノスタルジーを強く噛み締めた。

ダンスという共通言語を持たなければ決して関わることもないような人間同士が出会い、何の約束をせずとも大学の正門の隅にあるガラス張りの壁が集合場所で、閉門時間ギリギリで警備員に締め出されるまで踊り続けたり駄弁ったり、駅前の学生街を横一列になり肩で風を切って歩いた思い出。汚くても臭くても、私が他の何者でもなく一番私らしくアイデンティティを誇り輝いていられた時代。私にとってのSouth of the Riverは、まさしくそこにあった。トム・ミッシュが奏でた音楽は、当時の私が今の有り様を否定もせずあの頃の胸の熱さを呼び戻そうとしてくれる。時間が離れるほどに色は濃く温度は増していく。
これからの人生を照らす道標でも劇的な変化をもたらす起爆剤でもなく、歌詞を引用するところの
Where the loving is gold
(愛がかけがえの無い物となる場所)

そこへ連れて行ってくれるタイムマシンの往復チケットなのだ。

そんな作品を形に残して手元に置いておけるだけで、私は決して過去を捨ててしまった訳ではなく、見捨てられてもいないことを証明できる秘密兵器を隠し持っているような気がして胸の内がスッとした。

多分、世の中で私と同じように漠然とした喪失感を抱えている人は少なくないだろう。この自分語りの落書きを読んでくれたあなたにもきっとある、人生の中で大切な過ぎた時間、離れた場所、別れた人を想う生の気持ちを、何気ない物事からあなたなりの解釈で蘇らせるきっかけとなれば幸いだ。


現在、私は夏のサークルイベントに向けてショーの準備を進めている。振りを作るのは実に4年ぶりで勝手も掴めないが、そういう足踏みしている時間も含めて楽しかったりする。週末の仕事終わり、京都駅近くの営業時間が過ぎた商業施設の脇を練習スポットとして当時の仲間と集まり、コンビニアイスを齧りながら重い腰を上げて照明が落ちたガラスのドアに立つと朧げに映ったそれは、汗で曇った眼鏡越しに、あの頃の風景と重なった気がした。

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