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かつて日記は私の敵だった

今はnoteで嬉々として日記をつけている私だが、昔は日記が大嫌いだった。

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日記との出会いは小学校入学直後だ。
学校の方針で、専用の用紙に毎日日記をつけ、翌日提出することを義務付けられていた。
文章力や継続する力を養う狙いがあったらしい。

小学生の日記だし、コンクールに出す作文じゃないのだから、好きに書けばいいじゃない、と思うかもしれない。

しかし、読むのはクラスの担任。
赤ペンのコメントと花丸だか丸だかついたものが定期的に返ってくる。

そのため、担任に見られても大丈夫そうなことしか書けずに悩み、そのうち書くのにうんざりしてしまった。


平日はまだいい。
授業で楽しかったこと、友達と遊んだこと、初めて知ったことを書けばいいのだから。

苦戦するのは土日だ。
月から金まで学校に行き、待ちに待ったお休み。
家でゲームをしたり、漫画を読みながらごろごろしたりして過ごすことが多かった。
時々は美術館に行ったり、ボランティアをしたりすることもあったけれど、そんなに頻度は高くない。

となると、書くことがなくなってしまう。
週末が終わりに近づくと、何も書く内容がないではないか!と焦るのだ。
(正確には学校側に見られて恥ずかしくない内容がない) 

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印象深いのは、夏休みに祖父母の家に行った日。
私は花札を覚えて、祖父母に相手をしてもらっていた。

ひとりっ子の私は日頃ひとり遊びが多く、祖父母と遊べたことが嬉しかったのだが、日記に書こうとしたら母に止められた。
花札は賭け事のイメージがあるから、書くのはやめなさい、と。

制約が多くて、なんて窮屈なんだろうと思いながらも、なんだかんだ真面目だったので6年間、書き続けた。
分量は少なくとも用紙の7割は埋めていたと思う。
書いたものは、1年ごとに製本屋に出され、本の形になって手元に戻ってくる。
血と汗と涙の結晶(?)、小学生時代の日記6冊が今も実家に眠っている。

当時の私にとって、日記とは片付けなくてはならない厄介者であり、敵だった。


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今はそんなことは気にせず、好き勝手に書ける。
書かない日があったっていいし、3000字くらい書く日があったっていい。

本来の自分と読まれる自分とのズレに、時折虚しさや恥ずかしさ、葛藤を感じることもあるけれど、残しておきたいひとつの形だということは確かだ。


日記を好きになれて良かった。
日常に対するアンテナが発達し、より景色が鮮やかになった気がする。
出来事に対する見方が多面的になったり、見逃しがちな些細なことに気がついたり…。

これからも放っておけば忘れてしまう、取るに足らない日々の思いをnoteにそっと置いていこうと思う。
目を留めてくださった方に、拾い読みしてもらえるものになったら嬉しい。

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