『ベター・コール・ソウル』「才能という呪い」の物語。
こんにちは。『ベター・コール・ソウル』ロス真っ只中の小林でびです。
主演のボブ・オデンカークのコント番組『ボブとデヴィッドと』まで全話見てしまいました・・・面白かったw。
『ベター・コール・ソウル』は大ヒット犯罪ドラマ『ブレイキング・バッド』のスピンオフで、ソウル・グッドマンという嘘くさい名前の悪徳弁護士の前日談を描く米ドラマなんですが、いや~これが本家の『ブレイキング・バッド』より面白いんですよねー。犯罪バイオレンスドラマとしても超楽しめるのですが、とにかく人間描写がリアル&魅力的でドキドキしっぱなし!
いや~6シーズンもあるドラマをこんなに一気に見たことはかつて無かったし、ドラマを見ながら笑ったり泣いたりするだけでなく、不意に変な声あげちゃったり、見てて「やだやだやだ」「待って待って待って」とかドキドキしすぎてつい手で目を覆ってしまったり、ホラーでもない会話シーンなのにw!
なぜボクがこんなにも動揺したのかというと・・・それはドラマ内で起きている心の揺れ動きがどれもこれも身に覚えがあるというか・・・まさに「我々」が演じられているからです。
「才能という呪い」の物語
『ベター・コール・ソウル』のボクの印象を一言で表現すると「才能を発揮する喜びの脳内麻薬ジャンキーになった人々の物語」です。
悪い人も善い人も関係なく、とにかく自分の才能を発揮している瞬間の登場人物がみな喜びにあふれている・・・みんな超いい顔してるんですよ(笑)。
ずる賢い作戦を思いついて実行している時のジミーの顔、崇高なる法の正義を行使している時のチャックの顔、ものすごい複雑な裁判案件を見事に処理してみせてる時のキムの顔、目の前の相手より3手も4手も先を見通して瞬時にその対策まで思いついてしまうマイクの顔、敵味方かまわず魅了したり出し抜いたりした時のラロの顔・・・みな超いい顔。あれは自分の才能が爆発的に発揮されて、その脳内麻薬の快感で万能感を感じている人間の顔ですよね。
リアルですよねー。「おれはいま才能を発揮している!」って時の人間ってたしかにそんな顔になってるもの。でもこの顔を演技に取り入れたのは見たことが無いし、しかも登場人物ほぼ全員がそんな感じって・・・ぶっ飛びました。
そして彼らは全員その「才能を発揮する喜び」に取りつかれることで道を見失ってゆきます。これが『ベター・コール・ソウル』という物語の基本構造です。
スリッピング・ジミーは果たして強欲か?
『ベター・コール・ソウル』は基本、底辺の弁護士であるジミー(=ソウル・グッドマン)が法廷や大企業や有名弁護士事務所相手にアッと驚くようなずるい手・汚い手を使ってひと泡吹かせる!&大金をかすめとる!みたいな痛快弁護士ドラマです。
ジミーは兄のチャックや周囲の弁護士仲間たちなどから「強欲」で「怠惰」だと軽んじられているのですが、ジミーを演じる俳優ボブ・オデンカークの芝居をよく見てください!全くそんな風には演じていないですよ。
たとえばジミーは大金には大して反応しません。金に目をぎらつかせる演技ってしてないんです。そんな彼の目がギラギラッとする瞬間・・・それはその金をかすめ取るアイディアがふと浮かんでしまった瞬間です。
そう!ジミーはじつは金が欲しいわけでもズルして楽がしたいわけでもないんですよ。ただその場の問題をすべて解決してしまうような巧妙なウソを、ふと思いついてしまう才能があるので、つい実際にやってみたくなるだけなんです。ただ自分の才能を発揮してみたいんです。
だって彼はその自分の才能に「ソウル・グッドマン(=気持ちいい!)」という名前をつけ、そしてさらにはその名前に改名してしまうくらいですから。
才能を発揮する喜び、高揚感・・・ようするにジミーは喜びの脳内麻薬のジャンキーなんです。
そしてジミーのことを「怠惰」だと言い「お前は一生スリッピング・ジミーだ」と評する彼の兄チャック。彼もまたじつは彼自身の「人並外れた観察力」と「徹底的な論理思考」という才能を発揮することによって世界を出し抜く喜び・・・チャックは法による正義についてよく語りますが、同時に彼は法の抜け穴を使って相手をカタにハメる事の天才でもあります。
そう!ようするにチャックも自分の才能を発揮する喜びの脳内麻薬ジャンキーに過ぎないんですよ!チャックを演じるマイケル・マッキーンは実際そういう恍惚の演技をしていますよね。
そう。彼ら兄弟はじつは同じ、等しく「才能という呪い」のジャンキーなのです。
「トラウマベース」ではなく「喜びベース」の役作り。
ボクらが知ってる20世紀の犯罪ドラマの悪人たちは、心の歪みとか、金銭欲・支配欲・暴力への欲求のような強欲、それらが「トラウマベース」で犯罪への動機を構成しているものばかりですが、 それに対して21世紀の『ベター・コール・ソウル』の悪人たち(主人公たちも含むw)はほぼ全員「才能を発揮する喜びベース」で犯罪への動機を構成しています。
横領のケトルマン夫妻のクレイグとベッツィーなんかも最高にいい顔してましたよね。喜び脳内麻薬中毒の顔です。
彼らは大した才能を持ってるわけじゃないんだけど、それでも平凡な一般人たちを出し抜くことに大きな喜びと万能感を感じていて、もう普通の生活に戻れない。ドラマ後半はその喜び中毒になってどんどん落ちてゆく感じでした。
ベッツィーみたいな役は特に従来の演じ方では、なにか幼少期のトラウマやコンプレックスがあって、その満たされない気持ちを満たすために犯罪をしているみたいな役作りで演じられたりする事が多いのですが、今回はトラウマの影は無かったですね、脚本的にも演技的にも。
『ベター・コール・ソウル』に登場する多くの犯罪者たちは、トラウマみたいなネガティブなエネルギーではなく、「自身の才能を発揮する喜び」というポジティブな喜びによって動機づける役作りで演じられています。
獣医のドクター・カルデラなんかも、自分の才能が必要とされることの喜びで闇医者をやっていましたよね。
ドイツ人の建設技術者のヴェルナー・チーグラーもそうでしたね。より困難な建築にチャレンジする喜びのあまり犯罪に手を染めてしめていました。
もっと些末なキャラでいうと医薬品横流しのIT技術者プライス(ベースボールカードの!)なんかも・・・みんな魅力的だった(笑)。
ラロ・サラマンカ!
「自身の才能を発揮する喜び」に突き動かされる登場人物たち・・・その最たるものがラロ・サラマンカでしょう。
超魅力的な男ですよね。ラロはそもそも登場のシーンからして、嬉々として料理の才能を発揮する最高の笑顔で始まってましたから。彼は自分のファミリーの面々、とくに老人たちに対してすごく優しいナイスガイですが、同時に冷酷非道な男でもあります。でもそれが2重人格的な裏表の演技になってないんですよね。なぜならナイスガイなラロも、冷酷非道なラロも等しく喜びにあふれた芝居で演じられているからです。そこにトラウマの影は微塵もありません。
かつては冷酷非道な犯罪者と言えばトラウマ描写が必ずセットでついてきたものじゃないですか。あれってなんでも幼少期のトラウマのせいにしてしまう精神分析ブームの影響下にあるんじゃないかと思うんですよね。70年代にも90年代にも流行りました。
いやいや、ラロの動機はつねに「トラウマベース」ではなく「喜びベース」ですよ。
たしかに彼は幼少期に過酷な環境で育ったのかもしれない。でもラロは「他人を出し抜く才能」が開花して、それで得た金でファミリーの生活を改善する喜びを発見します。 その結果、みなから感謝されて気持ちがいいし、他人を出し抜く快感たるや・・・。そんなこんなでラロは「他人を出し抜く才能」を磨いて磨いて、その結果、筋金入りの犯罪者になってしまった・・・みたいな。
そう、「才能を発揮する喜び」が彼らを犯罪者にするし、正しい道にも連れてゆく。『ベター・コール・ソウル』のほとんどの人物はそんな感じで描かれているし、演じられています。だから芝居のディテールが豊かなんだと思います。
だってわれわれ人間ってまさに日々「小さな喜び」に突き動かされながら生活している存在ですから。
さて、まだ書きたいことの半分も書いてないのに字数が尽きてしまいました。あ~キムの件も、ジミーとチャックの関係性が二転三転する件も書きたかった・・・なのでひさびさの前後編にしたいと思います。
後編は例の「視野の狭さ」を使った演技法が芝居をすごく豊かにしている件についても、書きたいと思ってます。
いや~しかし演技の技法は時代の変化と共にどんどん変わってゆきますね。その潮目に居あわせるのは本当にエキサイティングです。
それではまた『ベター・コール・ソウル』の回、後編で!
小林でび <でびノート☆彡>
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