中空の竹
(文3400字 写真40枚)
竹の里
北九州市小倉南区合馬は日本有数のタケノコの産地である。見渡す限り竹林の山が緩やかな斜面に続く。先日訪れたときには麓の田んぼのあぜ道に彼岸花が一斉に咲き始めた。
開花に合わせるように稲刈りも始まっていた。米の収量は前年に比べると全国的にやや減少という予想らしい。ここ合馬では先日の台風襲来でも強風に倒れることなく、黄色い稲穂がきれいに揃って収穫の時を待っていた。稲刈り後の田にはシラサギが舞い降りて秋の味覚を探していた。
日本の田園風景ではよく見かける秋の風物詩である。毎年繰り返される当たり前のようなのどかな農村風景だが、今の世界情勢からすれば、これは計り知れないほど奇跡的に美しい光景なのだと思う。
合馬竹林公園
この広大な竹林の一部を公園として整備され開放しているのが「合馬竹林公園」。園内に植栽されている竹や笹類は約150種類もある。3月には「合馬たけのこまつり」が開催され観光客などで賑わう。2001年には環境省選定の「かおり風景100選」に選ばれている。
秋の白い光が竹林に降り注ぎ、涼し気な風はサラサラと竹や笹の葉を揺らす。樹木で幹に当たる部分を竹では「稈」と呼ぶ。稈に耳を当てると、キュッキュッと風に稈がしなる小さな音が竹の中空に響く。
中空の竹
昔竹笛を自作したことを思い出した。若い頃インドでヒーリングワークや瞑想を学んだことがある。ある時その施設内で、日本人の年配の男性A氏と知り合いになった。彼は虚鐸と呼ばれる竹笛を日本から持参し、施設内の特別な瞑想ルームで吹いていた。その部屋にはこの施設のためのビジョンをもたらしたOsho氏の墓が設えてあった。
虚鐸は尺八と構造は同じだが寸法が長く太い。尺八よりもずっと低い音が出る。禅の虚無僧が修行で吹く姿が思い浮かぶ。禅の瞑想には相応しい音の響きだと思う。今日海外では禅文化と共に虚鐸の人気が高まっているという。
A氏が吹く虚鐸の音をすぐそばで聴かせてもらった。竹そのものが静かに打ち震えているような繊細な響きだった。音を出すというよりも、静けさに寄り添い、溶けていくような音色である。それは「自己主張」とは真逆の「自己を手放すこと」を実践しているワークではないかと思った。
彼は以前「西村虚空」氏という虚鐸の第一人者の録音を聴いて衝撃を受け、以来独学で学んでいた。
一般的な楽器は、音を通じて音楽性芸術性を追求し、聴く人に感動や喜び、癒しをもたらしてくれる。それに対して虚鐸は人に聴かせるためというより、吹く者が自分と向き合うための楽器だ。その道を極めると自己の中心は竹のように「空」であることを知ることができるという。インドの横笛バンスリや、ネイティヴアメリカンの縦笛なども同じような意味合いで吹かれるものだと思う。
「もし虚鐸を吹きたいならば教えてあげるよ。」とA氏は言った。
「是非教えてください。」と頼んだ。
それではまず笛を作ろうということになった。インドの竹市場に二人で出かけた。インドにも竹はたくさん生えている。インドでは建築現場などで足場の骨組みとして竹を使うので、需要がとても高い。街はずれにある竹市場には広大な敷地に何十万本という竹が売られていた。
A氏が市場の中を歩きながら、何軒もある店の中から感じの良さそうな一件を見つけた。ゆっくりと竹を一本一本見つめていた。気になった竹を見つけては時々手に取って、太さや曲がり具合、節の位置などを調べる。1時間ほどかけて数千本の中から2本の竹を選んだ。
尺八や虚鐸は一本の端から端までの中にちょうどぴったり七節あるのが理想とされる。しかも一番下の節が「根付き」だとさらに価値が上がる。しかしインドの竹に根付きはなく、しかも虚鐸の長さに対しては二節から三節しか切り取ることができない。暑い気候なので伸びるのが早く、節と節との間隔が日本の竹よりずっと長いからだ。
インド人の店員から「何に使うのか?」と尋ねられ、「笛を作るんだ。」と答えるとキョトンとされた。インドでも竹笛があるがずっと細い。虚鐸に必要な十分な長さに切ってもらい、持ち帰る。
A氏の持っている虚鐸と同じ寸法になるように正確な長さを決め切断し、内側の節に穴を開け、内面が綺麗に平らになるまでやすりで削る。孔(穴)の位置の目星をつけて錐で穴を開ける。孔はA氏の出す音と比べながら少しずつ広げていく作業の繰り返しだ。
虚鐸の孔は尺八と同じように表に4つ、裏に1つの、合計5孔から成る。表の孔を上から順に「四孔」「三孔」「二孔」「一孔」といい、裏の孔を「五孔」または「裏孔」と呼ぶ。息を吹きかける上部を「歌口(唄口)」といい、角を鋭く斜めにカットしただけの構造である。本物ではここに小さな象牙片を埋め込む。この尖った部分に息を吹き込み音を出す。
指の先で孔をすべて押さえたり、半分開けたり、また吹く角度を変えたり、首を振るように動かしたりすることで実に多様な音色が出る。
毎晩帰宅してから削り続け、約2ヶ月ほどで完成した。本物の虚鐸に比べたら、単なる穴の開いた竹筒にしか見えなかったが、裏に自分の名前を彫り込んだら妙に愛着を感じた。それから数か月間、毎晩のように特訓に励んだ。使い続けているうちに買った時には青かった竹も、乾燥が進み薄茶色になった。本物に比べると、ぼやけた音で深みに欠けたが、一応虚鐸らしい雰囲気はあった。
A氏はまるで自分のことのように夢中になって面倒をみてくれた。数日おきに彼は必ず私の部屋にやってきて、いろいろ細かいところまで実に丁寧に指導してくれた。虚鐸仲間が増えることが楽しくてたまらないという感じだった。
やがて教えてもらった曲を一つだけ吹けるようになった。譜面の紙にはカタカナの文字が並んでいるだけだ。音の強弱も長短もすべて自由。まさに自分を見つめる以外にない。うまく吹こうとか頭で考えた途端に音は乱れ、ただ静けさが内側にあるときには美しい響きが出た。自分自身が中空の竹のようになるという意味が、おぼろげながら徐々に分かってくる。
このことは当時学んだヒーリングワークとも共通していた。クライアントを治そうとか癒そうとか考えながら施術しても一時的な効果しか出ない。
自分が中空の竹のようになり、エネルギーの導管となってクライアントと共にただ在るという時に劇的なヒーリングが起こる。
Osho氏はヒーリングワークに関するガイダンスの中でこのことを端的に述べている。
「ヒーリングは起こる。しかしヒーラーはいない。」
今ではヒーリングの仕事は辞めたが、写真撮影という趣味の中でこのことを学んでいる最中だ。いい写真を撮ろうとか綺麗に撮ろうとか頭で考えずに、ただ被写体と共に在る時、ときどき自分が思っていた以上の写真が撮れることがある。おそらく何をやっていても、あらゆることがそうなのだと思う。
話を元に戻そう。ある冬の満月の夜、街はずれにある草原に若い友人N氏のバイクに乗せてもらって出かけた。インドの夜はけっこう冷える。ジャンバーとマフラーが必要だ。彼も虚鐸仲間であり笛を持っていた。彼の笛は有名な人の作品で当時50万円もしたという。自分のは300円。次元がまったく違う音だった。
月が漆黒の夜空にぽつんと浮かんでいた。月明りに照らされ見渡す限り草原が青白く浮かび上がり、ひんやりとした冬の夜風にさあさあと揺れていた。
小高い岩の上に登り、目を閉じて虚鐸を吹いた。
へたくそ極まりない演奏だったが、習った曲や自己流の即興を吹いた。
風にのって笛の音が草原に溶けていった。
細く消えていく虚鐸の音に耳を澄ませているうちに、月の光と夜風と草原と自分の体もまた一緒になって暗闇に溶けていくような気がした。
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合間地区
合馬竹林公園
西村虚空
阿字観