はじめまして。松田あやこです。
はじめまして。松田あやこ(38歳)1児の母親です。
息子が6歳になりました。
何か新しいことをしたくてnoteはじめました。
どうぞよろしくお願い致します。
このnoteでは
・私の起業の背景
・起業の中で学んだこと
・日々の活動、悩み、もがき
・自然教育のこと
・食事のことなど
などを発信していきます。
いつもブログなどでは
『妊娠前デトックスラボ』として
発信していることが多いのですが、
ここではあくまで松田あやことしての発信に
しようとおもっています。
今日は私を知っていただきたく
①私の人生(幼少期)「裸保育」
②私の人生(小学生)「宿題ができない」
③私の人生(中学生)「英語がつらい」
④私の人生(高校生)「迷いに迷う」
⑤私の人生(空白の2年)「警察官になりたい」
⑥私の人生(2年遅れで大学生)「恋して破れてモンゴルで草刈り」
今日は大学までの人生について書いていきます。
どうぞよろしくお願いいたします。
①私の人生(幼少期)「裸保育」
父親はめちゃ大きい会社の普通のサラリーマン。
母は中学の英語の教員。
どちらかというとお堅い系の両親から生まれました。
2つ上に姉がいます。
保育園は家の近くの認可保育園。
ここの保育園は「裸保育」を実施していて、
私の子育て観に大きな影響を与えています。
「裸保育」とは春夏秋冬のいつでもどんなときも、
保育園内では上半身裸!短パン!裸足!で生活をするというもの。
このご時世だとこども全員が上半身裸は
いろいろ言われちゃうのかな。
ちなみに私はめったに風邪ひかないのですが
それはこの「裸保育のおかげ」と思っています。
②私の人生(小学生時代)「宿題ができない」
小学1年生までは保育園のあった大田区で
そのあとは父親の引越しのため、江戸川区に。
小学校2年生からしばらく江戸川区です。
私の小学校時代は、、、
あまりいい子ではなかったです。
勉強を積極的にする方ではないし、
忘れ物も多いし、宿題もできないし。
あ、わりと困ったタイプ(汗)
当時、自分が宿題ができないこととか
忘れ物多いことで悩んだりしてて
どんどん自信を失っていったのも
ちょうどこの頃です。
だって、みんなが出してる宿題を
自分だけがやっていないので、
1日のどこか必ず肩身の狭い思いを
するんです。
あたまではやらなきゃいけないことは
当然わかっているので。
なので、まぁ、つらいですよね。
この「宿題ができない」というのは
実はいまも変わらずで、
「宿題ができない自分」が起業後も
私自身を苦労させることになります。
③私の人生(中学校時代)「英語がつらい」
中学校時代もわりと好き放題。
バスケットボール部に入ってましたが
まじめではなかったので、
チームのメンバーには申し訳ないなと
思う限り。
バスケ部に入った理由は楽しそうだからと
理由は単純なのですが、
この頃から「背の高い人が好き」と認識し、
中学2年生くらいからは恋する男子は
全員身長180センチ以上でした。
ちなみに夫は183センチ。
背の高さだけで選んだわけではないのですが。。。
母親が中学の教員で、私が中学時代は
同じ江戸川区内の中学校に勤めていました。
定期的に勉強会などが開催されているのですが、
私の担任も英語教員、
バスケ部の顧問も英語教員
母親も英語教員、
で、この3人が勉強会後に
顧問の先生の車で30分くらいかけて帰って来るとか
当時、多感な私としてはとても複雑でした。
だからというのは言い訳かもしれませんが
英語はめちゃ苦手でした。
頑張って勉強してできなかったというより、
「英語の世界」に入ることができなかったんです。
でも、当時、一緒に ABCから始めた同級生が
海外で活躍していたり、
英語を活用した仕事をしていたりすると、
あの時、英語を頑張ったら違う未来が
あったのかな?とも思いました。
④私の人生(高校時代)「迷いに迷う」
この時代は迷いに迷った3年間。
何がしたいのか
どう生きたいのか
どういう人になりたいのか
全然分からなくって。
流行りにのろうとするが乗り切れず、
中途半端だったし、
部活もハードすぎてついてけず、
結局に逃げちゃって。
「悪いこと」に憧れをもって
何やらいろいろやらかしてみたり。
続けられたことといえば、
「自分を強く見せる努力」くらい。
これも、「強く見せる」ってことなので
「強くなる努力」ではないので
これまた中途半端でしたね。。。
⑤私の人生(空白の2年)「警察官になりたい」
高校を卒業後、なんにもしない2年がありました。
本当、なにもしてないんです。
遊ぶお金のためのアルバイトくらい。
当時、PHSとか携帯をみんなが
持ち始める頃で、
街中の携帯販売のキャンペーンの
お姉ちゃんやってました。
だいたいが短気なので、
お金がなくなったらやる、
そんな感じです。
新年度は大学のキャンパス内で
1ヶ月ほどキャンペーンは続くので
だいぶ稼がせていただいたのを
記憶しています。
それはそれで楽しかったのですが、
そういうキャンペーンの現場には
2種類の人がいて、
・スーツ着てディレクションする人
・スカート履いてニコニコしてる人
私は当然、スカート履いてニコニコと
楽しくやってたわけですが、内心は
スーツが良かったんです。
「ディレクター」
と、いう立場に憧れました。
この頃から「自分に力をつけたい」と
思うよになります。
もう一つのきっかけが、
「ストーカー被害」
正直、思い出したくもない出来事ですが
当時、まぁいろいろ嫌な思いをしました。
頼みの警察はあまりあてにならず、、、。
で、行き着いた結論が
「大学行って警察官になろう」
「警察官になれば自分の身を自分で守れる」
って、思ったんです。
それから少し予備校に行って
警察になるなら!と
国士舘大学法学部に入学しました。
って言っても
公務員向けの「法律学科」は受からず、
新設のビジネス法学科なのですが(笑)
⑥私の人生(2年遅れで大学生)「恋に破れてモンゴルで草刈り」
大学時代はかなりいろんなことを
経験した方だと思います。
というのも、
大学2年生の時から国際ボランティアのNPO団体で
活動しました。
インドやモンゴル、国内でも災害現場や
九十九里浜66キロを掃除したり、
学生であることを最大限に生かした
活動をしていました。
これだけお伝えすると、
なんとも立派な大学時代を過ごしたように
聞こえてしまうかもですが、
きっかけはそんな素敵なものではありません。
大学1年生の時、ボード仲間のK君に
ゲレンデマジックで恋に落ちまして、
活動していたスノーボードのツアーで。
行ったゲレンデで一番ボードがうまかったんです。
もう、圧倒的に!
当然のことながら20歳くらいの
あやこの心は奪われて、そこからお付き合いに発展しました。
ただ、夏ぐらいになるとふと気づくことが、
ゲレンデですごく輝いていた彼は、
夏が苦手なので、なんかもやしみたいなんですよね。。。(笑)
自然に盛り上がりがどんどん減って
いったわけなんですけど、
最終的には私がフラれたんですよね。
「フラれる」というのが、
私の初めての感覚で、
「えー!失恋って悲しいーーー。」って
感情ですっごく悲しかったんですよ。
多分の彼の気持ちが離れたということよりも、
彼氏の居ない自分になったっていうことが
悲しかったのかなと今でこそ思います。
当時はすっごく悲しくて、
もう家でシクシクシクシク泣いて、
学校も行かず、引きこもり状態で、
数週間過ごしていた時期があります。
その中で、
自分がフラれた理由を私なりに
振り返りをした結果、
「自分に自信がないからフラれたんだ」
という結論にいたったんですね。
私はやっぱりすごく悲しかったので、
彼と縒りを戻したいという想いでした。
どうしたら縒りを戻せるのかって
ずっと考えていたら、
自分に自信がないからフラれちゃったから、
自分に自信をつければいいんだ!
そして、また彼に会いに行けば、
また縒りを戻せるはず!
って思ったんです。
笑っちゃうくらい単純。(笑)
シクシク家で泣きながら、
引きこもっている時に、
テレビがずっとついていて、
ある日そのテレビで、
大学生が国際ボランティアで、
カンボジアの小学校建設での活動の
ドキュメンタリー番組がやっていたんです。
そのドキュメンタリー番組に出てた、
学生たちの笑顔はすごく輝いていて、
自信に満ち溢れた笑顔だったんですね。
私はそれを見て、
私も夏休みに海外にボランティアに行こう!
そこで自信を付ければ、彼とやり直せる!
「よし!海外にボランティアに行こう!」と
思ったのが、最初のきっかけになります。
だから、社会貢献したいとか、
国際問題に触れてみたいとか
最近の学生のような高い意識は全くなく、
自分に自信を付けたいっていうのが最初のきっかけでした。
国際ボランティア学生協会という場所で、
それから大学卒業するまでずっと在籍し、
災害現場、インドなどで活動しました。
ちなみにモンゴルでは、ものすごく頑張ったんです。
自分でもびっくりするくらい作業に没頭しました。
ほんの少しだけ「自信」というのが
わかった記憶があります。
で、帰国して、自信に満ち溢れているから、
いよいよ彼に連絡をして、もう一回会いに行こう!
みたいな予定だったのですが、
そんな矢先、
帰国してちょうど一週間ぐらいの時に、
彼から連絡がきたんです。
「今からあやこの家行ってもいい?」
みたいな連絡でした。
もともとモンゴルで活動して自信をつけて
帰国したら彼に連絡して会って、
よりを戻したいというスタートなので、
私としては願ってもないチャンス!
だったのですが、家に来た彼と話してて、
「なんかこの人ってこんなに小っちゃい男だったっけなー」
と、トキメキもドキドキもなく、
しばらく世間話をしてそれっきりとなりました。
その後、共通の友人からその時かれは
もう一度付き合おうという気持ちで
連絡をくれていたそうです。
今でこそ、この時を考えると妙にキュンキュンしますが。笑
ボランティアでは
本当に色々なことを経験させていただきました。
私が大学4年生の時は災害年だったので、
7月には新潟の長岡の方で豪雨災害、
10月には中越地震、
11月には関西地方で台風による水害、
12月にはスマトラ沖地震が発生しました。
学生ながら全ての災害現場に救援隊として
現地に入り、微力ながら活動しました。
学生の力って本当に無力で、
お金もないし、特別な技術もないし、
力仕事が出来るわけでもない私が、
現場でできることは、
一生懸命に作業することだけです。
どんなかたちでも頑張っていれば
誰かの役には立つことはできること、
頑張っているからこそ、
新たな関係が開かれること、
このことを学んだのが私の大学生活の収穫です。
私が警察官ではなく「会社」に進むきっかけも
このボランティアでした。
ボランティアをしていると必然的に
「社会貢献とは」ということを
常に考えさせられます。
当時の私は、
社会人になった時に、何をもって社会貢献なんだろう?
これが常に自問自答でした。
で、行き着いた私の社会貢献は
お金をいっぱい稼いで、税金を納めていること。
私が小学生の頃、バブルが崩壊し、
「公務員になりたい!」という子供を
大人は褒めていたように思います。
だから、ずっと公務員になることが
大人に褒められることだと思っていました。
でも、私が社会人になった時の
「社会貢献」が何かを見出せた時、
ビジネスの世界がとても面白く感じ、
一般企業への就職活動をし、
めでたく社会人になることができました。
最後までご覧いただきありがとうございました。
私のここまでの人生を振り返ると
迷ってばっかり。
自信なんて1つもない、コンプレックスのかたまりでした。
それでもって思考は安定が命。
冒険、挑戦、社会のレールが最優先。
そう思って生きてきました。
だから、レール通りにいかない自分に
自信なんて持てなかったし、
レール通りに生きれている人に
嫉妬ばかりでした。
だから、この頃の私が、
まさか数年後に会社を辞めて
起業する人生が待ってるなんて知ったら、
多分、気絶します。
社会人になってもまぁいろんなことがありました。
また社会人になってからの私のことっていうのは
次回に書かせていただきたいと思います。
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