見出し画像

デニス・ルヘイン「ミステック・リバー」読了

再読である。改めてじっくりと読んでみると、恐ろしく生々しい。
最初に読んだのは20年前で、確か通勤中に読んでいた。だから今回再読するまで、この作品の真価に気が付かなかったのかも知れない。ミステリーとしては話の筋だけ追うと、わりと単純とも言える。
クリント・イーストウッド監督で映画にもなった。映画になってみると、更に単純で、ケビン・ベーコンの刑事とマフィアのショーン・ペンの因縁話とも取れる。

しかし今回丁寧に時間をかけて再読してみると、これは最早娯楽小説などでは全くなく、相当人間を抉った純粋文学作品であるのがわかった。

まず、エグいのは、住宅地の所得格差だ。ボストン郊外の架空の町「イースト・バッキンガム」。ここには集合住宅地域と「岬」と呼ばれる高級住宅地がある。三人の少年は幼馴染(ハックルベリーフレンド)だが一人が「岬」の子で、二人が集合住宅地の子だ。
この内の一人、デイブという集合住宅地の少年は、ある日二人の大人に誘拐され、四日間監禁され、性的被害を受ける。
この四日間、どんな酷い目に遭ったのか、この小説では詳しく書かれていない。デイブ自身、記憶に鍵をかけているらしく、語らない。
これがかえって、恐ろしい想像を駆り立てるのだ。
三人はそれぞれ、大人になって別の人生を築いている。ジミーは町のギャングになり服役。刑務所に入っている間に妻は女の子を産み、病死。出所したジミーは堅気になって再婚し、前妻の娘を含む三人の女の子の父親として、立派に雑貨屋を経営している。
ショーンは刑事になり、結婚しているが、別居。妻は何処かで自分の子かもわからない子を出産し、頻繁に無言電話をかけてくる。
問題のデイブは、高校野球の花形選手になるが、仕事は転々とし、妻と小学生の息子と三人で暮らしている。
そんな中、ジミーの長女、死んだ前妻との娘ケイティが死体で発見される。
と、大体このようなストーリーなのだが、人間関係や登場人物達の心理描写が細かい。
とにかく、かなり陰鬱である。登場人物は皆、人生を真面目に生きている人々ばかりなのに、邪悪な側面もそれぞれ孕んでいて、それが塊となって構造化し、悲劇が連鎖する。
物語が進むに連れ、地域と家族の物語に引き込まれ、読者はこれが推理小説である事を意識しなくなる。これは作者の仕掛けた最大の罠であるのだが、そこはそこ、伏線はさり気なく張られ、真犯人は巧みに潜んでいるのだ。
一番ぞっとするのは、他人に言えないプライバシーとして、愛情と性的衝動の錯誤が至る所に存在する点である。
ここには、陰謀も計画もまるで存在しない。こんな推理小説は珍しい。善良で勤勉だが短慮で情動的な人々が、全体として禍々しいシステムを構築している。名探偵も知能犯も登場しない。ただ存在するのは「宿業」と呼ぶしかない巡り合わせだけなのである。
結果として、物語は一応の安定を迎える。これが解決であるかどうかは疑わしい。真相があまりにも無意味で、陰惨極まりない展開の慰めに、全くならないのである。
不条理で絶望的な暗闇を、一見共存し得ないと思われる人間の情愛を軸に描く作風は、見事としか言いようがない。


2023.6.21

いいなと思ったら応援しよう!

間 良 ―Ryo Hazama
是非サポートしてください。私も興味・関心のある事や人物には果敢にサポートして行きたいと思っています。

この記事が参加している募集