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九州南朝の征西府が置かれた都🍃菊池一族の本拠地 菊池市歴史さんぽ① 【騎馬像と将軍木】

こんにちは。今回は菊池散策レポートの1回目です。熊本県菊池市は鎌倉時代後期から室町時代にかけて栄えた菊池一族の本拠地で、南北朝時代には征西将軍宮・懐良親王を迎え、九州南朝の征西府が置かれた都市です。菊池散策前半では、菊池観光協会さんで端末とイヤホンをお借りして、ボイシネウォークというサウンドアトラクションを体験しました。散策レポート1〜3回目は、アトラクション用に指定された散策ルート上の史跡をご紹介します。(ネタバレになるため、アトラクションの音声内容は記事には記載しませんが、よくできていてとっても面白かったですよ♪)

菊池一族の最盛期を築いた15代菊池武光公とその時代を説明した【予告編】を事前にご覧いただけますと、今回からの散策記事をより一層楽しんでいただけると思います↓  

散策ルート紹介

本記事中の散策ルートをオレンジ線で表しています。散策マップは、菊池神社で頂いたものを拝借

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印字の赤ルートがアトラクション指定のルート。手描きのオレンジ線が本記事でご紹介するルート。
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本記事ルート拡大図

市民広場の駐車場に車を停めて、併設する観光協会でアトラクション用の端末を借りた後、1回目記事では広場中央に建つ①菊池武光公騎馬像から御所通りを通り②将軍木と松囃子能場までをご紹介します♪ では、早速行ってみましょう👟

明るくて広ーい市民広場✨
騎馬像の奥に物産館と菊池観光協会があります。

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写真画面左側の丘陵に、今は菊池神社が建っている、菊池本城「守山城跡」があります。ピンときた方もいらっしゃるかもしれませんが、この市民広場は菊池氏の守護の館跡に整備されています。それでは早速、菊池武光公騎馬像からご紹介していきますね☆

菊池武光公騎馬像

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市民広場中央に立つ15代菊池武光の騎馬像です。武光さんは、南北朝時代に南朝方として征西将軍宮・懐良親王を擁し、北朝方の室町幕府と戦い、一時は九州を制するなど活躍しました。菊池市のシンボルとして建てられたこの騎馬像は、日本有数の大きさを誇っているそうです。

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馬の躍動感、鍬形の表現など、細部までリアルに作り込まれた素晴らしい像だと感じました✨掲げられた軍配は、かつて菊池一族が九州を制し、征西府を移した太宰府を指しているそうです👈

それでは次に征西将軍・懐良親王ゆかりの将軍木に向かいます。市民広間前の県道133に出て、横断歩道から左折して「御所通り」を進みましょう🏃‍♀️

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お、「くまもと歴町50選」の標識を発見!

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ここら辺一帯は隈府地区といい、歴史的町並みが残る地区のようですね💓
確かに雰囲気がいい通りです↓

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右手の長塀は菊池高校の敷地で、校門の前までくると、GWでしたが、剣道部の「めーん!」という掛け声が響いていました。いいね〜👍

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そしてそして、校門の隣りにあるのが、以前から訪れたいと思っていた、将軍木様です〜😆✨

将軍木

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将軍木は樹齢600年以上の椋(むく)の巨木で、征西将軍・懐良親王の象徴とされています。菊池神社秋の大祭時、樹下にある懐良親王を祭神とする頓宮で神事が行われ、松囃子能が奉納されています。以下に詳しい説明を案内板から引用します↓

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 根回り約10m、幹囲約8m、枝張りは東西に24mに達する椋の巨木。樹高は16mとさほど高くはないが、樹齢は600年以上と推定される。そのため、北側は幹が腐朽して大空洞をなしている。また、主幹部分には裂けるのを防ぐために2個の鉄環を巻き、南方に繁る枝は鉄の支柱で補強してある。
 この樹は南北朝時代、征西将軍宮懐良親王が、当時勢力のあった菊池氏を頼りこの地に征西府を置かれたとき、宮の杖から芽を吹いたとも、お手植の木とも伝えられる。将軍木の名も、この懐良親王にちなんでつけられたものである。
 今でも菊池神社のご神木として地元の人々に親しまれており、10月13日の秋祭りのときには、隣接する能舞台において、この木を将軍宮の象徴に見立てて国選択無形民族文化財「松囃子(まつばやし)能」が奉納されている。

実は、この将軍木が一番美しい時期に菊池を訪れたいと思い、新緑の季節になるのを待っていたのです🍃他の方のblogでは、案内板にもあった鉄環が痛々しいと書かれていたので心配だったのですが、それは杞憂でした。若葉をまとって生命力溢れるお姿に感動✨(私も将軍木を懐良親王に見立てて)宮さま、やっとお会い出来ましたね〜🥹

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樹下にある頓宮に手を合わせ、「本日はありがとうございます。いい記事書けるように頑張ります!」と宮さまにお誓いする私↓

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それでは次に、将軍木の道向かいにある松囃子能場をご紹介します。

菊池松囃子能場

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こちらも現地解説板の内容を下記に引用します↓

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この能舞台は寛政八年(1796)に再建されたもので、元文三年(1736)までは定舞台であったが、焼失したために、毎年仮舞台を建てて松囃子能が催されてきた。
 しかし、昔の定舞台を建設するにあたり、当時の藩政の諸事節約の方針に従い、縮小された舞台となっている。

 この御松囃子御能(おんまつばやしおのう)は天下泰平を祈願したもので、南北朝時代十五代菊池武光が、征西将軍 懐良親王を隈府に迎え、年頭の祝義として正月二日に菊池本城で催したのが始まりとされ、今日まで六百数十年も継承されている神事能である。
 現在は、菊池神社秋季大祭の初日である十月十三日に奉納神事として、この前にある将軍木を親王に見立てて行われており、素朴なその形式は能楽以前、すなわち猿楽が神事能に移行した当時の形態を保っているとして国選択無形民俗文化財に指定されている。

この松囃子能、懐良親王が菊池入りしてから毎年開催されて650年以上続いてるって、凄くないですか〜😳私この能楽堂と将軍木から、色んな事を感じたんですよね。

この能は武光さんが、懐良親王が故郷を偲ぶ慰みとして正月に上演したのが始まりで、懐良親王と武光さんの遠征の事情で7月におこなわれるようになり、上述の様に現在は10月13日におこなわれているそうです。

まず、武光さん優しいな〜と思いました。菊池の町を歩いて、武光さんたちの宮さま(懐良親王。以下宮さま)に対する素朴な気遣いや優しさを随所に感じるんですよね。菊池一族は朝廷への忠義に厚いことで有名ですから、本当に損得感情無しで宮さまをお支えしたんじゃないかと思います。

そして、650年以上能の奉納を守り続けている菊池の人たちの思いの深さ。現在建っている能舞台は江戸時代後期のものだそうですが、当時の古文書によると、藩主細川氏に舞台の新築を申し出たところ、緊縮財政の折で華美な催し等が禁じられており、危うく許可が下りないところでしたが、住民の強い要望によって、藩にその建築を認めさせたそうです。

この菊池松囃子能は、観阿弥・世阿弥が能楽を大成させる以前のものなんですよね。舞や謡など素朴なところを残す古い形態のものなので、守り伝えていくのも大変じゃないかと思います。現在「御松囃子御能保存会」によって保存・伝承されているそうです。実際の奉納の際は、人間の観客席は将軍木の正面を避けるように組まれ、将軍木である椋の木を主賓としてもてなすそうですよ!

以下は私の勝手な想像なんですが、菊池入りしたときの宮さまは、二十歳くらいの若きプリンスですよ。それも自ら太刀を取って戦うような宮なので、いつも御簾の奥に隠れているような感じじゃなく、里人とも親しく交流されてたんじゃないかと思うんですよね。もう、菊池住民のアイドル的な存在だったんじゃないかな笑(←妄想)戦いに明け暮れる日々の中で、この能楽の上演日のような、菊池の人みんなが穏やかに過ごせた日が一日でも多くあったことを願います✨

妄想入ったおしゃべりが長くなってしまいました😅第1回目はここまでで、第2回目は、御所通りを戻って、通りの突き当たりにある参道から、菊池神社(菊池本城・守山城跡)に向かいます❣️

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あとがき

ここでは第1回目のあとがきとして、宮さま推しとして、懐良親王について少し書きたいと思います。(まだ書くんかいって感じですが😅)浅ーくではありますが、南北朝時代の九州南朝の歴史を事前勉強して、菊池散策してみて感じたんですが、懐良親王の周辺には、菊池武光しかり、九州下向からの従者筆頭の五条頼元しかり、心から信頼できる固い絆で結ばれた人達がいた、(二人とも生涯宮さまを支えました。)そして650年たった今も、住民の将軍木への能の奉納が大切に継承されていることからも、懐良親王自身が、お支えしたくなるような、人を強く惹きつける魅力を持っていた方だったんじゃないかと感じました。

それから、九州には懐良親王の墓といわれるものが各地に点在しているんですよ。(宮内庁は熊本県八代市所在のものを懐良親王の墳墓に指定しています。)このお墓の多さも、懐良親王を慕った人が多かったことの裏付けになるんじゃないかと感じました。

今後の菊池散策シリーズですが、一週間に一回、週末に投稿できればいいなと考えています。次回も宜しくお願いいたします♪(週一投稿できなかったらごめんなさい🙏)

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菊池市役所ロビーの宮さまイメージイラスト像
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菊池市経済部商工観光課「幻の都 城下町菊池」冊子p.6

最後までお読み頂き、ありがとうございました😊

【参考HP】

菊池市HP
菊池観光協会HP

【参考文献】

・菊池市役所 政策企画部 菊池一族プロモーション室「菊池一族ことはじめ」パンフレット冊子

・菊池市役所 政策企画部 菊池一族プロモーション室「菊池一族歴史さんぽ」パンフレット冊子

・『皇子たちの南北朝』森茂暁著 1988年 中央公論社

【画像引用文献】

・菊池地域振興局総務振興課 菊池一族 歴史を巡る散策マップ

・菊池市経済部商工観光課 「絵で見る 幻の都 城下町菊池」p.6

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