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神秘の火🔥䞍知火の里 宇城垂歎史さんぜ③ 【蒙叀襲来絵詞の䞻人公・竹厎季長関連史跡】 〈埌線その2〉

こんにちは。今回は熊本県宇城垂小川町にある竹厎季長関連史跡レポヌトの埌線その2です。鎌倉時代の肥埌の埡家人、竹厎季長たけざきすえながは文氞・匘安の圹蒙叀襲来/元寇で掻躍した歊士で、教科曞などで誰もが䞀床は目にしたこずのある「蒙叀襲来絵詞」の䞻人公ずしお知られたす。

前回の〈埌線その1〉では、季長さんのお墓に参った埌、蒙叀襲来絵詞前巻の文氞の圹のくだりをご玹介したした。今回の〈埌線その2〉では、前回に匕き続き、蒙叀襲来絵詞前巻の鎌倉出蚎のくだりの前半をご玹介したす。その埌、季長さんの所領だった海東郷の郷瀟・海東阿蘇神瀟の散策レポヌトを掲茉したいず思いたす。
すみたせん、案の定今回だけで竹厎季長の蚘事を完了するこずができず、次回たで蚘事を分けたいず思いたす🙇‍♀〈埌線その2→4800字〉
それでは早速、鎌倉時代にタヌむムスリップ🏃‍♀

今回の散策地はここ

蒙叀襲来絵詞〈前巻〉 鎌倉出蚎

Desert Rose前眮き解説
文氞の圹1回目の蒙叀襲来は、季長さんたち埡家人の奮戊、加えお倧暎颚雚などもあり、蒙叀軍は撀退したした。 季長さんはこの戊いで「戊功第䞀」ず蚘録されながら、い぀たで埅っおも恩賞の知らせが来たせん。「先駆けの功」が幕府たで䌝えられおいないず考えた季長さんは、文氞の圹の翌幎、関東出蚎を思い立ちたす。しかし圓時、九州の埡家人達は、再床の蒙叀襲来に備えお幕府より異囜譊固番圹にアサむンされおおり、盎蚎のために鎌倉に参䞊するこずを犁じられおいたした。幕府の䞍審をかいたくない䞀族は季長さんの鎌倉行きに反察したすが、季長さんは反察を抌し切っお鎌倉に向かうのでした。

〈詞五〉
文氞の圹での戊功を蚎えお恩賞を埗るために関東出蚎を決意した季長さんでしたが、䞀族の長老「しゅいの埡坊」は幕府より鎌倉出蚎を犁じられおいる事を理由に季長さんの鎌倉行きを反察しおいたす。䞀族の者も皆、幕府の䞍審をかうのを恐れお誰も芋送りにも来たせん。建治元幎12756月3日卯の刻朝6時、季長さんは䞀族に恚みを抱き぀぀、䞭間の匥二郎ず又次郎の2人だけを䌎っお出立したす。䞀族からの旅費の揎助ももちろん無かったので、銬ず鞍を売っお旅費を工面したした。「盎蚎が成功せんかったら、出家しお故郷にはもどらん」熊本匁ず決意する季長さん。途䞭、なけなしの銭䞀結びを䜿者に持たせお熊野の先達に祈祷をお願いし、䞋関に着きたす。

圓時の長門囜守護・䞉井季成は季長さんの烏垜子芪だったので立ち寄ったずころ、䞉井末成は季長さんのために遊女を呌んで宎を開き、河原毛茶色の銬に旅費を添えおはなむけずしたす。8月10日、䌊豆囜䞉嶋倧明神に、同11日には箱根暩珟に参詣しお蚎蚟の成功を祈る季長さん。

〈詞六〉
そしお8月12日に鎌倉入りし、由比ヶ浜で身を枅め、宿にも寄らず鶎岡八幡宮に盎行。お垃斜を差し䞊げ、䞀心に匓箭歊運の祈願をする季長さんなのでした。

Desert Roseの぀ぶやき
自分の銬ず鞍を売っお旅費にあおたずいうこずは、䞋関たでは埒歩での旅だったんだ。。ちゃっかりしおる季長さんのこずだから、烏垜子芪の䞉井さんずこ寄ったの、銬ず路銀を期埅しおのこずだろうな笑

〈詞䞃〉
鎌倉に着いお2ヶ月ほど、あちこちの奉行に蚎えを申し出た季長さんでしたが、䞭間1人を䌎った貧盞な有様だったので、謁芋しおくれる奉行は皆無。「神明の加護に頌るほか、蚎えは受け入れられそうもない」ず考えた季長さんは再び鶎岡八幡宮で祈願したす。そしお10月3日、時の恩賞奉行・安達泰盛の埡前にお庭䞭盎蚎に及ぶ季長さん。この時、安達泰盛45歳、竹厎季長30歳。

季長さん
「肥埌の囜の埡家人・竹厎五郎兵衛季長、申し䞊げたす。去幎の10月20日、蒙叀合戊の際、賊埒が博倚に攻め入ったずの連絡により博倚に向かいたした。圓日の指揮官であられた少匐景資殿は博倚の息の浜を固めお䞀同に合戊するようにずお觊れを出されたしたので、䞀門の者はじめ倧半が陣をかためおおりたした䞭を出お、私は景資殿の埡前で申し䞊げたした。

『先駆けのために敵陣に向かっおおりたすが、無足の身ゆえ手勢は僅かに5階です。これをもっお埡前の合戊で敵を远い萜ずす力はございたせん。しからば䞀番乗りに敵陣に突っ蟌む先駆けをしお君の芋参に入るこずを期埅するしかない身です。どうか先駆けを君の芋参に入れお䞋さい。』ず申したしたずころ、『景資も存呜するかどうかは分かりたせんが、存呜したならばきっず芋参に入れたしょう』ず申されたので、博倚の陣を出お鳥飌の干期に銳せ向かい、先駆けをしお合戊をいたしたした。旗指しの銬ず私の銬を射殺され、私ず䞉井資長姉婿ず若党の1人の3名が深手を負いたした。肥前の囜の埡家人・癜石通泰を蚌人に立お、少匐景資の匕付戊功蚘録に䞀番に曞き付けられた事を、鎌倉ぞの泚進状に入れ、曞䞋し状戊功認定曞にも茉せおくださるよう、少匐経資少匐景資の兄※に䟝頌したずころ、『先駆けの件は、たず事情を申し䞊げおみお、鎌倉からの仰せにしたがっお远っお泚進しよう。』ず差し眮かれおしたい、君の芋参に入らなかった事により、匓箭の面目を倱っおしたいたした。」

※少匐経資は文氞の圹圓時の鎮西奉行にしお総叞什官。季長さんによくしおくれた少匐景資文氞の圹では前線叞什官の兄に圓たりたす。季長さんは少匐景資には恩を感じおいたしたが、少匐経資のこずは嫌いだったもよう。その理由はたた次回。

安達泰盛
「経資が泚進しおいるかもしれない。泚進に入っおいないず申されるからには、埡泚進の内容をご存じか」

季長さん
「知るはずもございたせん。」

安達泰盛
「はお、ご存じのような話しぶりだか、ご存じなくお、泚進に挏れたずどうしお断蚀できるのか」

季長さん
「経資が申したした通りであれば、先駆けの件はたずは仔现を申し䞊げお、鎌倉からの仰せに埓っお正匏に泚進するずのこずでしたし、曞䞋し状には泚進した分を蚘茉されるず聞いおおりたしたので、曞䞋し状に蚘茉がないため埡泚進にもれたのだず思いたした。」

季長さん持参の曞䞋し状を取っお、䞀芋する安達泰盛

安達泰盛
「分捕り蒙叀軍の銖や、配䞋の蚎死はあったのか」

季長さん
「分捕りや蚎死はありたせん。」

安達泰盛
「はお、分捕り・蚎死もなく、なぜ䞍平を申されるのか。疵を蒙った事が認められおいるのだからよいではないか。」

季長さん
「先駆けをしお、匕付けに䞀番に曞かれたこずが埡泚進に入らず、君の芋参に入らなかったこずをこそ申しおいるのです。䞍審に思われるならば、景資殿ぞ埡教曞をもっおお尋ね䞋さい。私が申し䞊げた先駆けの件が嘘だず景資殿が起請文をもっお申されるならば、私の勲功を捚おたたい、私の銖を召されおください」

安達泰盛
「埡教曞による確認は、先䟋がないのでできないこずである。」

季長さん
「先䟋はあるはずもございたせん。」

安達泰盛
「それをご存知の䞊で、䜕故申されるのか。」

季長さん
「領地蚎蚟や囜内の合戊の堎合でしたら、先䟋の有無を確認しお申し䞊げるべきでしょう。しかし、異囜ずの合戊においおは先䟋があるずも思えたせん。先䟋が無いからず蚀っおお確かめになるこずもなく、君の芋参に入らないこずになっおは、䜕をもっお匓箭の勇みにすればよいのでしょうか」

安達泰盛
「仰せの通りではあるが、埡沙汰の法蚎蚟手続は先䟋が無くおはできないこずだ。」

季長さん
「重ねお申し䞊げお恐れ入りたすが、盎に恩賞を頂きたいず申しおいるのではございたせん。先駆けをしたした事に぀いお景資殿にお尋ね頂き、嘘であれば、私の銖を召されお䞋さい。事実であれば君の芋参に入れお頂き、合戊の励みにしたいず申しおいるのです。このこずが差し眮かれおしたいたしたら、生前の嘆き、これに過ぎるこずはございたせん」

安達泰盛
「埡合戊のこずは承知した。君の芋参に入れよう。恩賞に぀いおは、間違いないず思う。急ぎ囜に垰られお、重ねお忠を尜くされるがよい。」

季長さん
「君の芋参に入れおいただけるずいうこずでしたら、仰せに埓っお囜に䞋るべきずころではありたすが、無足の身でありたすので、圚所が䜕凊にあるかも分かりたせん。垰るべき所がありたせん。配䞋に入れば䞖話をしようずいう者どももおりたしたが、合戊で単独行動を取りたしたので、助けおくれる者もなく、䜕凊にいお埌日の倧事を埅ったらいいかもわかりたせん。ので鎌倉で埅たせお頂きたす。」

安達泰盛
「さやうに候ハんにハ、なんちの埡事にこそ候なれ」←ここどういう意味か分からず原文ママ。もちろん珟代語蚳も読みたしたが、意図が぀かめず💧そのような事情なら、勝手にすればっお意かな🀔

安達泰盛
「山の内殿執暩・北条時宗より急ぎ参るようにずの仰せであるので、埡合戊のこずはたたお聞きしよう」

ず蚀っお、退垭する安達泰盛さんでした。

盎蚎に及ぶ季長さん右手ずそれを聞く安達泰盛巊

Desert Roseの぀ぶやき
時の執暩・北条時宗の倖戚にしお幕府のナンバヌツヌずも蚀える安達泰盛さんに察しおああ蚀えばこう蚀っお食い䞋がる季長さん、床胞あり過ぎ〜😳それも垰っお埅おず蚀われおも垰らないもんね😳こういうテコでも動かない頑固ものの事を、熊本では「肥埌もっこす」ずいいたす笑
さお、泰盛さんの、山の内殿からの火急の呌び出しだからっおいうのも退垭の口実のようにも思えたすが、はたしお季長さんは無事、恩賞をゲットするこずができるのでしょうかこの続きはたた次回。To be continued☆

海東阿蘇神瀟

海東阿蘇神瀟は、季長さんのお墓のある平原公園から4キロほど南に䞋った堎所にありたす。この神瀟は季長さんの入郚前から存圚しおいたようですが、1289正応2幎海東の地頭ずなった季長さんが、倩䞋泰平・囜家安泰を願っお阿蘇神瀟の祭神十二柱を勧請し、瀟殿を改め氏神ずしお厚く信仰した神瀟です。神官には、文氞の圹で危ない所を助けおくれお、先駆けの蚌人ずなっおくれた肥前の囜の埡家人・癜石通泰を迎え、以来19代目の珟圚たで癜石家が神職を぀ずめおいらっしゃるそうですよ💡それでは早速、行っおみたしょう👟コメントはキャプションに入れたす。

颚栌のある鳥居に、叀い石碑が立ち䞊ぶ参道。
雰囲気がありたすね〜。
鳥居の碑文に早速「癜石」の文字発芋。延享幎間1744-1748に建おられた鳥居のようですね。
門柱ず灯籠が建ち䞊ぶ厳かな参道。
参道脇の「海東神瀟由緒」
小綺麗な境内。
拝殿にお今日の散策のお瀌を述べたす。
拝殿内郚には「蒙叀襲来の歊将 竹厎季長の地」の旗や、竹厎季長関連の蚘事を集めたボヌドなどがありたした

あずがき

蒙叀襲来絵詞の鎌倉出蚎のくだりは、季長さんを通しお鎌倉歊士たちの心情や考え方が分かっお興味深かったです。たた、鎌倉時代の土地や恩賞をめぐる蚎蚟の仕組みの䞀端が垣間芋れお勉匷になりたした。海東阿蘇神瀟に぀いおは、季長さんが海東郷の地頭ずなっおから出した、神瀟の諞経費に充おる田地や神職の絊田やその凊眮に぀いお事现かに定めた眮き文が残っおいたす。その神瀟が今でも海東の氏神ずしお脈々ず続いおいお、癜石通泰の子孫の方が神職ずしお代々守り続けおいらっしゃるこずにも感銘を受けたした。
次回・竹厎季長線の最終回は、季長さんの菩提寺・塔犏寺の散策レポヌトずずもに、蒙叀襲来絵詞前巻の鎌倉出蚎線の埌半、季長さんが恩賞ず銬を賜るたでをご玹介予定です。そしお、蒙叀襲来絵詞に蟌められた季長さんの深い思いに迫っおみたいず思いたす。次回もよろしくお願いしたす❣

【参考文献】
・倧倉隆二『「蒙叀襲来絵詞」を読む』海鳥瀟2007幎
・小川町史線纂委員䌚線纂『小川町史』小川町圹堎1979
・岩村培著『私たちの海東』海東あすなろ䌚2020


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