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生人形師•松本喜三郎作 「聖観世音菩薩像」@来迎院🪷

こんにちは。先日は月一の歯科通院の日でした。歯科は熊本市の市街地にあり、ついでに近くの行きつけの美容室にも行くことにしたのですが、予約するのが遅くていい時間の枠が取れず、歯科と美容室の間が5時間ほど空いてしまいました。さて、どうやって時間を過ごそうかと一思案し、市街地から市電で10分+歩いて10分ほどの熊本市西区にある来迎院に行ってみることにしました💡来迎院には、熊本市出身で明治期に活躍した生人形師(いきにんぎょうし)・松本喜三郎の作品「聖観世音菩薩像」(市指定有形文化財)が保存されていて、前から一度訪れてみたかったお寺です。そうとなれば下調べと、つらつらとGoogleマップでルートを調べていたらビックリな発見が😳なんと先日noteで取り上げた、国宝通潤橋を架橋した布田保之助さんのお墓が来迎院の墓地にあるではありませんか‼️これはお参りに行くしかない!ということで、布田保之助さんのお墓参りもあわせてレポートします。(4800字)

今日の散策地はここ!
来迎院は熊本駅の西側にある万日山中腹に位置します。

それにしても、郷土の歴史散策を始めてからというもの、思わぬ場所でタイムリーに関連史跡やお墓に導かれることがよく起こって不思議だな〜と感じます。という訳で、今回は保之助さんのお墓にお参りしてから来迎院に向かいましたので、本記事もその順序でご紹介いたしますね。それでは早速行ってみましょう🏃‍♀️


布田保之助の墓

熊本市のダウンタウンから市電(トラム)に乗り、最寄りの田崎橋電停で降りて、万日山へと続く住宅街の坂道を登ります。↓

熊本市西区は熊本城下からも近く歴史ある地域なのですが、私は東側の出身なので、西区はあまり馴染みがなく新鮮です。万日山は熊本駅のすぐ西側にあります。駅周辺はショッピングビルやタワマンなどが立ち並ぶ近代的なエリアですが、一本道を隔てて古い集落に足を踏み入れると、時空が変わるような不思議な感覚を覚えますね。お墓に近づくにつれて風が強くなってきたので、日傘をさして歩くのを断念し、傘を畳んで歩きます。(この時は梅雨入りはまだ。熊本は天気がいい暑い日が続いていました。)そして見つけました!「布田保之助の墓」の案内板です!ここから墓地に上がるようですね。

以下、案内板を引用します。

     肥後の先哲 布田保之助の墓
 享保元年(1801年末)11月26日、上益城郡浜町に生まれ、諱を惟暉(これてる)といいました。
 天保4年(1833)2月に、祖父の跡を継いで矢部手永の総庄屋となり、在勤39年間に遂げた業績は誠に大きく、中でも安政元年(1854)に完成した通潤橋は難工事を極め、保之助の苦労は言語に絶するものがあったと言われます。
 その功により、明治6年(1873年)には天杯の御下賜、大正5年(1916年)には従五位が贈られ、更に昭和11年には布田神社が創建されて、旧矢部手永の守護神となり、また昭和27年には熊本県近代文化功労者となりました。
 明治6年(1873年)4月に73歳で逝去、ここ万日山墓地に葬られました。

因みに保之助さんが総庄屋を勤め、通潤橋を架けた上益城郡山都町(旧矢部町)は九州の真ん中辺りに位置する山間の町です。何故お墓が熊本市にあるのかな?と思って調べたところ、熊本市内に住んでいた子孫の方々が、大正時代に入ってここ万日山墓地に布田家の墓を立てられたようです💡

山の斜面に造られた墓地を歩きます。
周りには由緒がありそうな家々のお墓が続きます。

そしてこちらが保之助さんはじめ布田家の方々が眠るお墓です。↓

保之助さん、こんにちは。今日は図らずもお墓参りができて光栄です。微力ながら国宝指定された通潤橋の素晴らしさを伝えられるように頑張ります。失礼ながらお墓の写真を撮らせてください🙏

と強風で山の木々がざわめく中、広い綺麗な礼拝スペースに膝をついてお祈りする私でした。

というわけで、通潤橋の宣伝です❣️布田保之助さんの偉業と、通潤橋の感動ストーリーについては以下のリンクから。↓ 未読の方は是非宜しくお願いします!

布田家のお墓の前の石碑には、歴代当主と並んで「十一代 布田保之助 惟暉」の文字。

因みに、諱に「惟」が付くのは、歴代阿蘇大宮司家当主と同じですね。山都町は長年阿蘇氏の本拠地だったので、布田家も阿蘇大宮司家と繋がりがあったのかもしれません。(注:ちゃんと調べた訳ではなく、私の勝手な想像ですが。)

布田家のお墓から下の町を望んだ図

それでは元来た道を戻り、一旦墓地を出て来迎院の入り口に向かいます。そして墓地を出たとたんに強風が弱まるから不思議です。先人のお墓や先人が祀られている神社にお参りに行くと結構な強風が吹くことがあります。最初は拒否られているのかと思ったこともありますが、最近は歓迎頂いているのだと勝手に思っています。たまたまなんでしょうけど、そう思った方が先人達と交流しているようで楽しいではありませんか✨

来迎院の聖観世音菩薩像

来迎院へと続く趣きのある坂道。古い道大好き❤
そしてこちらが松本喜三郎作の観音像がある来迎院です!

来迎院は正しくは大宝山来迎院阿弥陀寺と称し、奈良時代に行基により創建されたお寺だそうです。もともとは法相宗のお寺で山上に本堂を持つ三十六坊の大寺院だったそうですが、平安末期に衰退し、鎌倉時代に浄土宗のお寺として再興されたそうです。時代は降り、加藤清正入国後に政策上たくさんのお寺が城下町である古町に集められたのですが、その時阿弥陀寺も古町内の細工町に移されたので、細工町の阿弥陀寺を本寺とし、万日山に残った寺を別院として来迎院と呼ぶようになったそうでございます。

因みに古町にある阿弥陀寺本寺には、秀吉の命により若干12歳で命を奪われた中世武家としての阿蘇大宮司家最後の当主•阿蘇惟光さんのお墓があります。こちらも今年の早春、ちょうど阿蘇市の連載をしていた時期に古町を散策していてたまたま見つけたんですよ😳本当に不思議な巡り合わせでした。その時の古町散策記事も早く書きたいと思いつつ、まだ手をつけられていません💦山都町の歴史さんぽシリーズが終わったらアップしたいと思っているのですが。。(いつになるやら)

それではお寺の方に仏像拝観と写真撮影の許可を取り、本堂に入ります。↓

「ふらっと立ち寄れるフラットなお寺」を標榜されている来迎院さんらしく、本堂の中はカフェスペースがあったりしてアットホームな雰囲気でした🍵こんなお寺が近所にあったらいいな☺️

そしてこちらが、生人形師•松本喜三郎作の聖観世音菩薩像(市指定有形文化財)です✨↓

今にも動き出しそうなリアリティを感じさせる気品溢れる美しい仏様ですよね〜✨この観音像を造った松本喜三郎さんは、熊本が生んだ稀代の生(活)人形師です。喜三郎さんは文政8年(1825)に今の熊本市迎町に生まれ、若い頃から地蔵祭りの「造りもの」で名を馳せ、やがて大阪•東京へと進出。まるで生きているかのような等身大の人形を立ち並べた見世物興行で一世を風靡しました。その生涯に造り上げた人形は数百体以上に及びますが、現在残っている人形は十数点にすぎません。来迎院の聖観世音菩薩像もそのうちの一体ですが、本像は見世物興行のための活人形としてではなく、初めから来迎院に納めることを目的に製作されたものです。来迎院のホームページによると、本像は喜三郎さんが最晩年に作製した作品で、一刀三礼を以って尊顔を刻み、服飾は自ら裁縫したものだそうですよ。崇仏家であった喜三郎さんが仏像彫刻と活人形技術を駆使して作製した集大成とも言える作品なんですね。確かに、この観音像には他の現存する作品にはない崇高さと完成度を感じます。因みに熊本市北区にある喜三郎さんの菩提寺•浄国寺には、代表作である「谷汲観音像」(県指定重要文化財)が安置されているので、是非いつか拝観してみたいですね✨
(※来迎院の本尊は鎌倉時代作の阿弥陀如来像ですが、今回写真は撮っておりません。)

さてここで記事を終わっても全然まとまると思うんですが、駅方面に帰る道すがら興味深い石塔を見つけたので、帰り道の散策レポートがてら、それらの石塔をご紹介したいと思います💡

来迎院に上がる坂の手前には立派な石垣で囲まれた広い敷地があって気になっていたので、帰りに寄ってみました。
雰囲気的に、何かの歴史的建造物の跡地に違いない!とうろついていると、敷地の端の方に何やら古い石塔を発見

万日塔

遠景のタワマンと古い石塔群のコントラストが不思議。

熊本市のホームページで調べたところ、この石塔は「万日塔」といい、市の有形文化財でした。江戸時代に書かれた『肥後国誌』によれば、この場所には阿弥陀寺(現来迎院)の和尚さんが万治2年(1659)に建てた如意庵という浄土宗の小寺院があって、一万日間、昼夜にわたって念仏を唱えていたそうです。そして、常念仏が一万日を達成した記念に建てられたのが万日塔とのこと。万日塔は3基あり、画像左から「一万日塔」「二万日塔」「三万日塔」。つまり、1基あたり約27年、約80年間にわたって常念仏が行われていたことがわかります。それぞれの万日塔には「南無阿弥陀仏」などの大きな文字が彫られた下に、歴代の和尚さんや一門の僧侶に加えて多くの町人の名前が刻まれているそうです。(草ボウボウだったので現物確認はしてませんが💧)このことから、常念仏には僧侶だけでなく城下町一帯の多くの町人も参加していて、石塔建立の費用を出資していたと考えられるそうです。当時は災害や飢饉が続いていて、人々が仏法の庇護を求めたためだろうとのこと。江戸期の念仏信仰がうかがわれる貴重な石塔ですよね〜🧐一番右の「三万日塔」が一番背が高くて立派なのは、常念仏三万日の偉業を達成して気合いが入っていたからでしょうね☝️因みに万日山は古くは阿弥陀寺山と呼ばれていたそうですが、常念仏と石塔建立が評判となって「万日」という地名になったそうな✨(日本昔ばなし風)どうりでこの石垣に囲まれた土地からは並々ならぬオーラが漂っていたわけですね💡

石垣の手前の細い路地。帰りはここを通ってみよう💓
昔ながらの細い路地を抜けると熊本駅のすぐ裏手に出ました。時空を超えて下界に降りてきたような不思議な感覚。

あとがき

用事の空き時間を利用したこの日の散策は時間にするとほんの1時間半くらいしか経っておらず、🚃で市街地に戻って時計を見てまだこんな時間?と驚きました。歴史的な見どころがたくさんあったショートトリップで、街に戻った際は時空を超えて現代に帰ってきたような不思議な感覚でした。
来迎院さんでは貴重な仏像を拝観させて頂くとともに、住職さんやお寺の方とも交流させていただき、とてもホッコリした時間を過ごさせて頂きました。本当にありがとうございました🙏(この日はお寺の方が近くにいらっしゃってすぐに拝観できましたが、行ってみようと思われる方は事前に電話連絡して行った方が確実かもしれません。)
来迎院さんでは定期的に写経や写仏やお茶会を開催されておられるようで、人が集うお寺を目指されているように感じましたが、それは江戸時代に常念仏を熊本城下町一帯の町人達が支持していた歴史の名残があるからかも、なんて妄想しました。(勝手な妄想です。)今回万日塔を通して江戸期の城下町の町人たちに思いを馳せ、そして阿弥陀寺と布田保之助さん、阿蘇惟光さんとの繋がりを知って、早く山都町並びに城下町古町の散策記事を書きたい!とやる気を新たにしましたよ✨ということで、なるべく早く山都町歴史さんぽシリーズを投稿すべく、絶賛執筆中です✍️次回も宜しくお願いします❣️

ダウンタウンに戻り、アジアンカフェでいただいた「愛玉のせ豆花」とジャスミン茶。美容室の予約時間までこちらでゆっくり過ごし、noteの記事を書き進めましたとさ✏️

最後までお読み頂き、ありがとうございました😊

【参考Webサイト】
• 来迎院ホームページ
• 熊本県公式観光サイト
• 熊本市観光ガイドWebサイト
• 熊本市ホームページ

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