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小西行長と馬門石の里🌹宇土市歴史さんぽ② 【馬門石石切場跡周辺】
こんにちは。今回は熊本県宇土市散策の2回目です。宇土市は馬門石(まかどいし)と呼ばれるピンク色の阿蘇溶結凝灰岩の産地です。馬門石は古代には中国・近畿地方の古墳の石棺として使われました。江戸時代になると,馬門石の採掘は古墳時代に続き2度目の最盛期を迎え、宇土細川藩の御用石として地元の水道管や石橋、石畳、神社などでたくさん使用されました。今回はその馬門石の石切場跡がある、宇土市網津町馬門地区の散策レポートになります。
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散策ルート紹介
Google maps画像に、今回の散策ルートを赤字で示しています↓
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馬門地区の入口にある大歳神社→近世、馬門石切場で働く人夫達の安全祈願所だった赤石神社→馬門石石切場跡→古代から近世にかけての牧場跡に建つ牧神社の順で散策します。これらの神社の鳥居や祠は馬門石で造られており、独特で神秘的な雰囲気の集落でしたよ🔮それでは早速、行ってみましょう🏃♀️
今回散策するスポットについては、車を駐車する場所があるかどうか心配でしたが(田舎の集落の史跡巡りアルアル)、ちょうど大歳神社の手前付近のごみ収集場横に5台ほど駐車場出来そうなスペースを発見💡一応、散歩中の地元のお年寄りに駐車してもいいか尋ねます。「石切場まではもうちょっとあるよ。歩くの?一人で?」と車の中を覗き込むおじさま😅今回みたいな史跡巡りは人を誘いにくいし、ついてきてくれる奇特な人がいたとしても、こっちも気を使うので一人がいいんですよね〜。それに地元の方が距離があると言う場合、大抵は徒歩圏内。(勿論事前に大まかな距離は確認済)駐車しても問題ないとの回答を得てごみ収集場に駐車させて頂き、天然記念物の大クスが出迎えてくれている大歳神社に向かいます👟
大歳神社
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馬門集落の入り口に鎮座する立派なクスノキの大樹です✨根元に設置されている案内板によると、200年前の絵図に既に巨木として描かれており、現在では幹回り14mに及び、宇土市の巨木の中では最も大きい木だそうです。昔から集落の人々を見守ってきたんでしょうね。石切場の人夫さん達もきっとこの木に癒されたことでしょう🍃
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大歳神社の鳥居は大クスの反対側にありますので、神社正面に回ります。鳥居の前に立ったら大クスが風でサワサワと鳴って、歓迎されてる様で嬉しくなりました☺️
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大歳神を祀る大歳神社は、明るく開放的で、集落の入り口にあって訪れた人を温かく迎えてくれるような優しい雰囲気の神社さんでした✨それでは集落を先に進み、赤石神社に向かいます👟
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↑馬門石石切場跡・牧神社の道しるべが。
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赤石神社
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赤石神社は、祠と手水舎しかないこじんまりした神社ですが、この場所の清浄な空気感には特別なものを感じました。以下、現地案内板を引用させていただき、詳しい説明とします。
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赤石神社
所在地 宇土市網津町字馬門
祭神 大山秖神(おおやまつみのかみ)
概要
地元で「ドイヤマ」と称される、標高約29メートルの小丘陵上にある当神社は、『肥後国誌』に「年ノ神 山神」と紹介されている。
大山秖神は山を守る自然神で、併記される「年ノ神」は大歳神(おおとしのかみ)を祀る大歳神社(馬門神社)を指しているとみられるが、大歳神は穀物を守る神であり両者の性格は明確に異なる。
当社は大山秖神という古い神を祀っており、延喜式以前にまで遡る可能性もあるが、少なくとも近世においては馬門石切丁場で働く人夫達の安全祈願所としての役割を担っていたとみられ、元文3年(1738)年銘の手水舎をはじめ、境内の構造物は石段に至るまですべて馬門石で作られている。
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馬門石石切場跡
所在地 宇土市網津町字馬門ほか
概要
今から約9万年前、阿蘇山から噴火した火災流が冷え固まってできた阿蘇溶結凝灰岩のうち、網津町馬門付近で産するものを特に「馬門石」と呼ぶ。
馬門石には、灰黒色・灰白色・ベージュ色など様々な色調があるが、なかでもピンク色を帯びたものに特徴があり、江戸時代に造られた轟泉水道の石製樋管をはじめ、眼鏡橋・鳥居・祠・倉庫・石畳・流しなどの石材として盛んに用いられた。
馬門石の利用は古く、古墳時代中期(約1600年前)までさかのぼり、古墳の石棺や石室の石材として使用された。宇土半島周辺では10数ヶ所の古墳で確認されているほか、岡山県(2例)、大阪府(3例)、奈良県(7例)、滋賀県(2例)の有力豪族の石棺に用いられ、四天王寺(大阪市)では礼拝石として使用されるなど、遠隔地にも運ばれていたことが判明している。
赤石神社が鎮座する小丘陵周辺の発掘調査(平成14〜17年度)では、5〜7世紀の土師器や須恵器などが発見され、この付近で古墳時代の石切場の存在が確認された。
ここは古墳時代の石切場があった場所で、江戸時代には人夫さん達の安全祈願所だったんですね。ここでちょっと補足説明いたします💡案内板に記載があるように、聖徳太子ゆかりの四天王寺の礼拝石や、第26代継体天皇の陵墓とされる大阪府の今城塚古墳、第33代推古天皇の初陵とされる奈良県の植山古墳の石棺も馬門石製であることが分かっています。宇土市デジタルミュージアムWebサイトによると、『正倉院丹裹文書』に、宇土に推古天皇に関連する領地があったと読める記載があるそうです。だから推古天皇と継体天皇(推古天皇の祖父)の棺や、聖徳太子(推古天皇の甥)ゆかりの寺に馬門石が使われているのですね💡
因みに、祠の前にはちょうど馬門岩が礼拝石のように露出していてます。↓
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この馬門石の岩の上で目をつぶって、山の冷んやりした清浄な空気を満喫します。聞こえるのは山に響く鳥達の鳴き声と間近に聞こえる虫の羽音のみ。赤石神社は、山の神が鎮座するにふさわしい立ち去り難い聖域でした✨
さて、次に馬門石石切場跡に向かいますが、この先からは更に道が山深くなってちょっと怖、、いや緊張感が漂います。
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ここから石切場跡まではほんの100m程の山道なのですが、途中、強風で木々がザワザワ鳴って、一部の木?電柱?が不気味にギーギー鳴っていて、倒れてくるんじゃないかと思って怖かったです😅焦って転ばないように、ぬかるんだ山道を慎重に進みます。
馬門石石切場跡
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右手に開けた場所が現れ、露出した岩肌が見えます。馬門石石切場跡はここだけじゃなく、周辺にも点在しているようですが、こちらはグーグルや標識で案内されている石切場跡になります。意外と山奥じゃなく、集落の近くに石切場はあったんですね💡その点は、古墳時代に石を切り出した後、海路で近畿地方に運ぶには便利だったろうと思いました。
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それでは最後に、更に山道を先に進んで牧神社へ向かいます🏃♀️
牧神社
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山道の途中に忽然と現れる牧神社。こちらの神社さんは雰囲気があって、最初ちょっと怖、、いや厳粛な感じがしましたが、懇ろにお参りしてご挨拶します。以下、神社周辺の写真です↓
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淡いピンク色が綺麗
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紅葉の時期はさぞかし綺麗でしょうね。
イチョウの根元には案内板と石碑がありますが、今回は石碑の方の説明書きを引用して、牧神社の詳しい説明といたします。↓
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牧神社
御祭神 事代主神
古来、宇土半島の長浜から網津地区にかけての広い範囲に牧場が営まれていました。『続日本紀』の記述によれば、古くは奈良時代の慶雲4年(707)に宇土郡大宅郷に牧山が開かれ、貞観6年(864)まで続いたことがうかがえます。
中世になると、永承4年(1049)に宇土半島をおおよその範囲とする「千町牧」の規模で牧山が設置され、その後加藤清正によって「百町牧」に規模が縮小されたといわれています。言い伝えによれば、源頼朝の愛馬池月は宇土牧山産だったとも言われています。
『肥州禄』によると、細川藩の管理下にあった寛永期の1630〜40年頃には、牧場の範囲は東西千三百間、南北千二百三十間で、百頭前後の馬が飼育されていたようです。
宇土牧山は明治3年(1870)に廃止されましたが、馬が外部に出るのを防ぐための数百メートル規模の土塁や堀の跡が現在でも各所に残っています。
牧神社は、この牧山の守護神として永承年間に建立されたといわれています。創建当初は長浜町笠爪に置かれ、その後長浜町の牧場内ツブキノ上(宇旧牧神)への遷営を経て、文化4年(1807)に現在地の網津町字丸塚へ遷されました。
鳥居や玉垣には地元馬門地区で産出し、肥後細川藩の御用石であった「馬門石」が使われています。
なお、境内の一角にある「牧神社のイチョウ」は幹回り4m、樹高25mを測り、市指定の天然記念物となっています。
現在は山林となっていて面影はありませんが、昔はここら辺一帯は牧場だったんですね〜🐴頼朝の愛馬が宇土の牧山産と言い伝えられるほど、名馬がたくさん飼育されていたんですかね✨そして、馬門石の名前は、きっとここに牧場があったことに由来してるんじゃないかと閃きました💡
牧神社に参拝した後、元来た道を車まで戻りましたが、帰りは風もなく木のギーギー鳴る音もせず安心して戻れました。自然の中のマイナー史跡巡りは先が分からないこともあり、行きは怖くて帰りはよいよい。このスリルがクセになります笑(←変人。)
あとがき
今回の散策ルートは距離にして500mほど、時間にして1時間程度でしたが、馬門地区は古代から続いた石切場跡や牧場跡を有する歴史の重層感を感じさせる集落で、時空のラビリンスに迷い込んだような不思議楽しい散策でした!もし行かれる方は(いないと思いますが)、私が停めたごみ収集場前か大歳神社境内に駐車して徒歩で散策されることをおすすめします。できれば複数の方が安心かも。(大歳神社の先は、集落内の狭い道が続き、めぼしい駐車スペースも見当たりませんでした。)
次回3回目は、宇土マリーナ(宇土港)に展示されている「大王のひつぎ実験航海プロジェクト」で使用された馬門石製の復元石棺や古代船を写真でご紹介したいと思います。「大王のひつぎ実験航海プロジェクト」とは、どのような方法で重い石の棺を有明海から大阪湾まで運んだのか、その謎に挑むため2005年夏に実施された実験航海です。復元した古代船で宇土を出発し22の寄港地を経由して大阪に至る34日間の壮大なプロジェクトで、テレビの特集でご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんね💡それでは、次回も宜しくお願いします❣️
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最後までお読み頂き、ありがとうございました😊
【参考HP】
・宇土市ホームページ
・熊本県総合博物館ネットワークポータルサイト
・熊本県公式観光サイト
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