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樹齢630年! 後征西将軍宮 良成親王お手植えのフジ💜黒木の大藤

こんにちは。先週末に福岡県八女市黒木町の「黒木の大藤」を観に行ってきました。八女市は南北朝時代、後醍醐天皇の皇子で九州に派遣された征西将軍宮•懐良親王とその甥の後征西将軍宮•良成親王が晩年を過ごした地になります。そして今回ご紹介する素盞嗚(すさのお)神社境内のフジは、後征西将軍宮•良成親王のお手植えと伝えられる大藤です。樹齢600年超とは思えないほど、それはそれは見事な藤の花でしたので写真でレポートしますね!また、藤の開花期間中の4/16〜4/30(2024年度)は『大藤祭り』が開催されていますので、お祭りの華やかな雰囲気が伝わる写真もあわせてUPしていきたいと思います❣️(2800字)

今回の散策地はここ!

散策地周辺マップ

画像は「大藤まつり」パンフレットから拝借

今回は黒木体育センターの特設駐車場に車を停めて(駐車料金500円)、300mほど東にある大藤が咲く素戔嗚神社まで歩いて向かいます。(オレンジ線)お祭り気分が感じられる途中の景色も写真で切り取っていきますね。それでは早速、行ってみましょう🏃‍♀️

駐車場前の通り沿いに展示してあったC11機関車。旧国鉄が通っていた時代に羽犬塚〜黒木間を走行していたそう。
🅿️道挟んで反対側には物産展の特設会場が設置され、通り沿いには八女茶の店やお饅頭屋さんが軒先で販売していたり、屋台もたくさん出ていてお祭り気分で賑やか。
横断歩道を渡れば直ぐ北側の神社境内ですが、折角なので南側にまわって正面鳥居から境内に入りたいと思います!

黒木の大藤

おわ〜‼️境内いっぱいに広がる藤棚に圧倒されます😵早く境内に入りたいのはやまやまなのですが、せっかくなので鳥居をくぐる前に神社周辺の素敵な景色をご紹介させて下さい。まずは鳥居前の国道442号から西側を望んだ図↓

境内の藤棚が国道まで張り出していますよ!涼しげでいいですね〜✨因みにこの先は町屋が建ち並ぶ「旧豊後別路」という通りで、一帯は伝統的建造物群保存地区に指定されているそうです💡今回は時間がありませんでしたが、いつかゆっくり町並み散策もしてみたいですね。そして国道挟んで神社の北側には、矢部川の渓流が流れています。↓

え〜ところや〜✨(因みに私は熊本人で八女は初めて。)それではいよいよ、鳥居をくぐって境内にお邪魔したいと思います!

藤棚のゲートをくぐり
まずは拝殿にてお参りします。
今日は素敵な時間をありがとうございます🙏

じっくりと境内の藤の花を観賞する前に、例によって解説板を引用させていただき、大藤の由来の説明と致します。↓

   黒木のフジ (国指定天然記念物)
 この藤は、応永2年(1395)後西征将軍良成親王が植栽せられたものと言い伝えられ、その後、天正12年(1584)7月、大友軍の兵火により焼損し、更に文政4年(1821)正月、黒木町の大火にあうなどの被災もあったが、幸い生を保ち、六百年の樹齢を数えている。
 開花期は、4月下旬〜5月上旬で、満開時は数千万の花房が0.5〜1.5メートルに伸び、黒木城跡を背景に矢部川の清流に映え山•水•花の調和は見事である。
 本樹は紫藤の老巨木で、他に類を見ない代表的なものである。

西側鳥居近くの解説板より

ここで例によって補足解説させて頂きます!良成親王は元中8年(1391)9月、九州南朝最後の砦•八代城(現熊本県八代市)陥落後、懐良親王九州下向からの従者・五條氏の所領である筑後矢部(現福岡県八女市)に移り、元中9年(1392)10月の南北朝合一後も南朝再興を図りつつ五條氏の庇護のもと日々を過ごされました。その時にお手植えになったと伝わるのがこのフジなんですね💡良成親王の没年は正確に分かっていないのですが、良成親王が発給したと確認される最後の書状が応永2年(1395)10月付けのものであるため、その後この地で30代半ばでお亡くなりになったと考えられています。

因みに、解説板にある「黒木城」ってどこだろう?と思って、地元の方と思われる警備員さんに尋ねたのですが、分からないとのことでした。帰って調べたところ、黒木城とは素戔嗚神社の後方北東にある「猫尾城跡」という中世山城のことでした。猫尾城は南北朝時代、五條氏とともに南朝方として懐良•良成両親王を支えた黒木氏の居城だということです。次の機会には是非とも散策してみたいですね。

それではお待たせしました!以下、大藤の写真ギャラリーです。美しい藤の花をご堪能ください❣️

立派な花房😳
樹齢600年ってこんなにも樹勢が旺盛なんでしょうか。
解説書によると、毎年房の長さを計測していて、
去年の最長は1m70cmとのこと。私の身長より大きい!
境内一面を覆う藤の花は、まるで紫のオーロラのよう。
あたり一面藤の花の香りが漂います。花房が多いからでしょうか、飴玉級の甘い香りがしました。(←語彙力)
境内には大藤を讃えた歌碑も幾つかありました。
写真は八女市黒木町出身の偉人•石橋忍月の歌↓
「ハ雲たつ 神のみむろも浮ぶかと みゆるばかりに
匂ふ藤なみ」

あとがき

八女市黒木町は大藤にちなんで町花が藤の花ということで、道路標識や町のゴミ袋の色まで紫色でした!藤色(薄紫色)が好きな私としては気分が上がる町でした💓そして八女市は前述の通り、前後征西将軍宮•懐良親王と良成親王が晩年を過ごした地であり、ここ黒木町と、隣接する星野村、矢部村には懐良親王が余生を過ごしたお寺や両親王の御陵墓、そして九州下向時からの従者であった五條家など、南朝ゆかりの史跡がたくさんあります。もちろん今後、九州南北朝の史跡巡りシリーズで取り上げるつもりなのですが、私のシナリオでは八女市の関連史跡は南北朝シリーズの締めくくりに訪れたい憧れの史跡群なのです✨阿蘇氏(山都町)の散策記事を終えたら本格的に九州南北朝シリーズを再開したいと考えているのですが、現時点ではやはり時系列的に廻って記事にしたいと思っており、八女市の史跡群に至るまでには博多、久留米、太宰府などの菊池一族と西征府ゆかりの史跡巡りを完了させなければならないのでだいぶ時間がかかる算段です💦(しかし、我慢できなくなったらフライングで先に八女の史跡を訪れるかも笑)計画的に九州内の史跡を廻り記事にするために、南北朝シリーズを再開する前にロードマップを作成したいと考えています。ひとまず次回からは阿蘇氏関連の記事に戻りたいと思います。次回も宜しくお願いいたします❣️

大藤まつりパンフレット。花の見頃は過ぎていますが、祭りは4/30まで開催中。お近くの方はいかがでしょうか?

最後までお読み頂き、ありがとうございました😊

【参考資料】
•八女黒木大藤まつり実行委員会パンフレット
•八女市観光振興課『観る知る学ぶ 八女は楽しい 南北朝動乱のドラマ』パンフレット冊子
•八女市ホームページ
•八女市観光協会黒木支部WEBサイト

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