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不幸は比較するものではない【絶望日記8】

こんばんは、とばりです。
昨日今日と外に出たら、なんだかめちゃくちゃ疲れてしまいました。体力なさすぎくん。泣けるぜ…。

ちなみに写真は、前住んでいたマンションで見かけた、見たことない謎の黒い鳥。可愛らしい声で鳴いていました。カラスの赤ちゃんでは?と言われましたが、みなさんはどう思いますか?もし知ってたら教えていただきたいです。



本題。
私の人生はひどいと言われではひどいですし、マシと言われればマシです。何とも言い難い。

あくまで私の価値観で語らせていただきますが、生まれた国は大当たりだったなと思うんです。
日本の悪いところもいっぱいありますが、それでも私は日本が好きです。外国の文化にも興味があって、ネット記事や動画で調べたりもするのですが、それでもやっぱり日本にいたいと思います。

では家庭環境は?かなり悪いと思います。
まず父親が最悪すぎる。悪い人も世の中たくさんいますけれど、私はいまだに父親が底辺だと思っています(今度また詳しく書きますけど、私の父親は犯罪者ですからね)。
そして親族もはっきり言って最悪です。まず日本語とか、常識とか、当たり前が通用しない。やばい集団だと思っています。
唯一まともだったのは母親です。母親にも時々疑問を持つことはありましたが、人間だものしょうがない。どんな人にも欠点はありますからね。だけど、母親は基本的には優しくてしっかりした人でした。どこか達観したところもあった。大人になって、私の母親はかなり人格のできた人だったなと思いました。

学校と友人については一旦置いておきます。短く済ませるにはちょっと複雑です。

仕事はどうでしょうか?うーん、何とも言い難いですけれど、少なくとも最初と二社目がブラックだったことについてはガチャ失敗と言えるのではないでしょうか。
入社してみないとわからないことも多いですからね。それに私が社会に出る時は、頼れる大人や先達がいませんでした。自分で失敗して学ぶしかなかったのです。


総合的に見れば、決して良くない方ではないかと思います。
ですが、私よりひどい人なんて世の中五万どころか多分億単位でいますからね。
ネットとかで調べれば一発ですし、なんなら今いる施設内でも見つかるでしょう。そう考えたら、私はまだまだ良い方なのかもしれません。

だけど、私はそもそも自分の不幸を他人と比較することが間違っているのではないかと思うのです。
たまに「俺なんか…」「私なんて…」と言ってくる人がいますけれど、はっきり申し上げますが馬鹿です。
その人が今、大なり小なり「辛い」「苦しい」「悲しい」「嫌だ」「死にたい」と思っている時点で、やはりそれは不幸に違いないのですよ。

それにもし、不幸の比べ合いをしないといけないのであれば、世界中の人たちがみんな、紛争地の子どもたちと比べないといけなくなりますよ。ほとんどの人たちがみんな不幸じゃなくなります。自分は他の人よりマシだ!ってなりますよ。おかしいでしょ、そんなの。

こういう情報を目にしたことがあります。紛争地の子どもたちにある記者が「将来の夢」について尋ねたところ「将来の夢はない」と答えたそうです。何故か?……「大人になる前に殺されるから」だそうです。
それを知った時、涙が止まりませんでした。だって、どこまでも現実だった。少しでも脚色されていてほしかったくらい。
あの子たちは自分の命がかかっているから、ちゃんと現実を理解しているのですよ。これが綺麗事のない、不変の現実です。
彼らは殺されるために生まれてきたのでしょうか?そんな惨い話がありますか?これ以上の不幸があるのでしょうか。わかりませんけれど、でも私は彼らから見れば絶対に幸せな人間になるでしょう。


話がやや逸れましたけれど、それでもやはり私は不幸枠だと思います。この国の水準からいくと。視点を変えれば大体の不幸もマシになりますけれど、そんなすり替えをされて幸せぶって生きさせられるのはただの地獄です。
不幸は大きさは違えど不幸には違いないということです。



みなさんも「辛い」は素直に「辛い」でいいと思います。

今日も「絶望日記」を読んでくださり、ありがとうございました。
また次回、お会いしましょう。では。

※もし誤字脱字などがありましたら、教えていただけますと幸いです。

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