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メリトクラシーとは?〜エリート主義がもたらす悲劇(教育社会学)

大学院で学ぶ「学習のデザイン」今日は、教育社会学のメリトクラシーを取りあげます。


メリトクラシーとは?

聞き慣れないこの言葉、イギリスの社会学者、マイケル・ヤングが1958年に出版した本の名前です。この本かなり変わっていて、社会学の視点から2030年ごろの教育の未来を描いたSFです。といっても小説ではないので、物語ではなく社説や歴史書のような内容です。

メリトクラシーとは、メリット+クラシーを組み合わせた造語です。

  • メリット:業績・実績(つまり能力)

  • クラシー:支配・統治(デモクラシーは民主統治)

つまり、能力主義とかエリート主義という意味です。1958年時点で、これからの時代は能力が評価される社会になることを、SFのカタチで提言した本になります。

こう書くと面白そうなのですが、正直この本は読みにくいです。(時間軸や人の視点や事実と物語がぐちゃぐちゃに混ざって、1ページ読むだけでついていけなくなります)

なのでここでは、論点が端的に伝わるように自分なりにかなり意訳して、ものがたり的に書いてみます。

1960年代

それまでイギリス社会は世襲制が強くあったため、能力の低い人がいつまでも重要な立場に居座ったり、逆に能力のあるのに単純な仕事にしかつけないという状況が続いていました。

100年くらい前から義務教育になったとはいえ、実際には私立に通う上層階級と、公立の下層階級では大きな格差がありました。

そんな経験を経た親が声を上げて、自分たちの子どもには平等に受けられる権利を主張しました。政府もしばらくは反発していたものの、古い世代が引退するタイミングをきっかけに、こう考えを変えるようになりました。

「確かに、頭脳に予算をかける方が国が豊かになるのでは?」

そうして、公立に通う下層階級の子どもでも、勉強ができるなら、進学校やよい職業につけられるように政府の考えが変わり始めました。

1970年代

1972年に、公立校も私立校も同じ試験を受けることが義務化されました。

この制度によって、上層階級にあぐらをかいていた学力が低い私立中学校は淘汰されて、反対に公立中学校で優秀な生徒が伸ばすために、国としての予算が使われるようになりました。

1980年代

知能指数を測るテストが確立されました。はじめは決まった年齢に受ける必要があり、その結果で行く学校が振り分けられるようになりました。

その後、見直しがあり、テストは学校在学期間だけではなく、すべての国民は5年ごとに受験することができるようになりました。テスト結果は市役所で登録・更新され、就職の時には雇用者が、結婚を考えるときは相手が申請すれば、その人の知能指数を閲覧ことができます。

世襲制の反発から20年以上が経ち、メリトクラシーの考えを享受した世代が社会に出るようになり、公立学校に質の高い教師を拡充させるなど、能力を評価する社会の基盤がこの頃に定着します。

1990年代

ロボットなどの技術が発展し、多くの作業は人ではなく機械によって行われるようになりました。能力の高い人は、科学者や技術者の道を歩むようになり、能力の低い人は機械がまだ入らない作業の仕事をするように、分かれていきます。

低い人の年収は450ポンド、階層ごとに250ポンドほど開き、最も高い社長職は55,700ポンドと100倍以上の収入の差が開くようになりました。

2000年代

この頃には明らかな新しい格差社会が定着しましたが、能力の低い層からの目立ったデモや暴動は起こりませんでした。そこには2つ理由があります。

1つは自身の能力に適した仕事があるので、収入には不満があれど、高い収入を得るための能力が足りないことは明らかなので、各層で受けられることが適しているから。

もう1つは能力のある労働組合の代表者などは、より高い職位についてしまうからです。そうして労働運動は衰退し、不満が表出化する機会が失われていきました。

一部では「昔の方がよかった」と考える懐古主義者も現れますが、社会を変えるほどの活動にはなりません。

2010年代

能力主義のメリトクラシーにも実は不平等な制度がありました。それは女性に対する差別です。

能力の有無によらず女性は結婚すると家庭に入り、育児への専念が求められていました。なぜなら、自分の子どもを高い能力に育てることが、その家庭での最重要課題であり、知能指数の低いベビーシッターにはまかせられないからです。

子どもを勉強漬けにすることへの社会問題が取り上げられるものの、現実は出産前から取り組む親が増えたり、優秀な子どもの養子縁組の取り合いなどが過熱化します。

2020年代

徐々に女性のなかからも、男女格差への不満や、知能指数で結婚相手を考えることにロマンスがない、と反論する声が増え始めました。

平等主義をモットーにする人民党が、このような民衆の声を後押しして、ストライキが本格化しました。これまで恩恵を受けてきた上層階級の地位がゆらぎ、社会は1960年のような混乱を再び経験することになります。

どう思う?

さて、ここまで読んでみてどう思いましたか?

当時と現代の価値観を比較すると、男女差別の見立て現代からするとありえない保守的な思想なので、女性からの反発で社会問題になる仮説はあまりイケてないです。

あと、この世界では能力は努力や経験で補えるという発想があまりなく、生まれた時のスペックである程度決まっている考えを持っている点も、やや断片的な見立てです。

でも、世襲制が弱くなり能力主義になっていくながれは世界的なながれで、日本においても割と当てはまると思います。年功序列が崩れたり、収入の高い家庭がより学力の高い子どもを育てられる環境など。といっても現実にはまだまだ残ってもいます。

自分の考えでは、知能指数だけで測るのはあまりにも短絡的で、新しいビジネスを起こして成功している人は知能指数とは比例しないはずで、創造性や実行力、あるいは人間関係構築力などを含めた能力が影響するはずです。

それをハイパーメリトクラシーという言葉で考えている社会学者もいます。というわけで、メリトクラシーについて細かい点で指摘はできるけど、全体的な流れとしてはある程度、現代社会の状況を見越しているようにも見えます。

学んだこと

学校の目的は、みんなに高い学力をつけてもらうことで、それがひいては国の発展にもつながります。でも知能指数という1つだけのことを取り上げて考えると、社会がゆがむことにもなりかねません。

教育と社会は、切り離さずに両方を行き来して考えて、何がいまの教育で求められるかを多面的に理解する必要があります。メリトクラシーの本は、こういったことを考えさせる1つの議論になります。

SFで教育社会学を考えるのは、なかなか面白い体験でした。

今日はここまでです。

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ジマタロ
デザインとビジネスをつなぐストラテジーをお絵描きしながら楽しく勉強していきたいと思っています。興味もっていただいてとても嬉しく思っています。