創造性と学校教育の課題を考えてみた(教育社会学)
大学院で学ぶ「学習のデザイン」。今週は教育社会学のまとめです。創造性と学校をテーマにして、社会学と教育学の観点から何ができるのかをレポートにしてみました。
以下、長いですが(5000字くらい)お付き合いを。
要約:学歴社会における受験勉強の過熱化は、短期的な知識獲得を目的とした学習に偏っている。その一方で、21世紀の社会では答えのない問いに取り組むことが重要と言われており、偏差値の高い大学や高校では創造性を学ぶためのプログラムが採用されている。創造性を高めるには学校の中だけで学ぶことに限界があり、家庭環境や地域による影響が強く格差を生み出している。このような状況に対して、公教育で創造性を高める体験が得られる機会を提供する方法を提言する。
教育社会学に関するキーワード:学歴社会、教育格差、コンサマトリーとインストルメンタル、ハイパーメリトクラシー、ペアレントクラシー、体験格差、地域格差、教師の専門性
1. 受験競争の過熱化
学歴を偏重する傾向は世界的に見られる。
韓国や中国では、偏差値の高い大学に入るための競争が顕著で、教育格差が社会的な問題として取り扱われることもある。
アメリカやヨーロッパでは、修士や博士の資格が雇用の年収に大きく関連しているため大学院に進学する人は多いが、学費を払い続けることの経済的な負担が問題になっている。
日本においても細かな傾向は違えど学歴を重視する傾向がある。高校や大学のみならず、中学校受験のために小学生の早い段階から塾に通う子どもが都市部を中心に過熱化している。そのため、低年齢の段階から学校の授業よりも塾での学習を重視する子どもや両親が増えている。
塾は受験に役立つための学びが主である。1年先や数年先を見据えた目的に向かうという意味では、塾はインストルメンタルな機能を持っているが、入学後やその後の人生の中での学びという範囲で捉えた場合、塾はいい学校に入るための即時的な充足のためのコンサマトリーな機能であるといえる。
つまり日本では、受験競争が過熱化していることにより、人生の中で小学生・中学生・高校生の学びがコンサマトリーな機能に偏っているのではないか、と考えることができる。そして現在、その需要を満たしているのは塾であり、学校に対する社会的な期待がゆらいでいる。
2. 高偏差値の学校で学ぶ創造性
そうして受験競争を勝ち抜いて入った偏差値の高い大学や高校では近年、創造性を養う教育が増えてきている。
例えば、デザイン思考は2000年ごろより浸透した取り組みで、スタンフォード大学は2004年にデザイン会社IDEOと協働でプログラムを開発し授業に取り入れている。
この背景にはMBA(経営学修士)に対するカウンターとしての役割がある。21世紀に入り、社会の変化に応じた新しいモノやコトの事業を生み出すことに対して、論理的な思考だけでは限界を感じたことから、デザイナーが持つ創造的な考え方を取り入れる必要があるという経緯によって大学側が要請をした。
その結果、スタンフォード大学のみならず、様々な学校でこのデザイン思考を用いたプログラムが採用されている。
日本でも東京大学は2009年にi.schoolを立ち上げた他、慶應大学など偏差値の高い大学でこのような活動が見られるようになり、高校でも探求学習の取り組みと合わせてデザイン思考を用いた授業が行われるようになった。
近年ではデザイン思考の方法論に対する課題や限界が表出したことからプログラムの内容に見直しが入っているものの、創造性に対する高い期待があることには変わりない。
私は美術系の教育を受けており、これまで過度な受験競争に関わったこともなく、全国的に偏差値の高い高校や大学に進学したわけでもない。そのような学習環境で育った私からすると、この現象はとても不思議に思える。なぜならば、創造性を学ぶことと学歴は強く関係していないものだと考えていたからだ。
偏差値の高い学校を中心に創造性が求められるようになったのは、スタンフォード大学の経緯からもわかるように、社会で必要とされる能力と学校で学ぶべきことの内容に乖離が生じてきたことが理由にあげられる。
これは、知識偏重から知識を応用・活用していくことへの学習観の変化が起こっていると考えられる。しかし、小中高の学校では依然として受験に勝つための知識偏重の学習が求められている。
学校側はそのような状況を反映してか、近年の受験の問題は単に記憶力を測るための内容だけではなく、自らの考えを述べるような問いや決まった1つの答えがあるわけではない問いが増えてきている。そして、この問題に対する対策も、学校よりも塾の方が変化を俊敏に察知し対策に動いている。
3. ペアレントクラシーによる経験格差と地方格差
教育社会学の講義では、メリトクラシーとペアレントクラシーを学んだ。この2点について創造性との関係性について考察する。
ヤングが提示した1958年代のメリトクラシーの定義には、創造性という知識や技能は当てはまらないと思われるが、創造性は21世紀の社会に活躍する能力と認識されている現在では、創造性はハイパーメリトクラシーの定義に含まれるものとだと言える。
現代がハイパーメリトクラシーを重視する社会の延長上にあるのだとすれば、創造性の授業が偏差値の高い学校で教えられるというのは社会システムの中で理にかなっていることだともいえる。
中村高康は「暴走する能力主義」(2018)の中で、”いま人々が渇望しているのは、「新しい能力を求めなければならない」という議論それ自体である。”と述べており、具体的に以下5点の特徴をあげている。
命題1 いかなる抽象的能力も、厳密には測定することができない
命題2 地位達成や教育選抜において問題化する能力は社会的に構成される
命題3 メリトクラシーは反省的に常に問い直され、批判される性質をはじめから持っている
命題4 後期近代ではメリトクラシーの再帰性はこれまで以上に高まる
命題5 現代社会における「新しい能力」をめぐる議論は、メリトクラシーの再帰性の高まりを示す現象である。
新しい能力として注目されている「創造性」は、単に知識や技能の習得で身につけられる従来型の教育とは性質を異にする。創造性の学び方については様々な研究が現在進行形で取り組まれており定義することは難しいが、私は「経験」が創造性を養う1つの重要な要素になると考える。
例えば、日本以外の国を旅行したり留学することで、現地の人の考え方や日本とは違う生活習慣の中から気づきがあり、新しい発想を得ることができる。他にも、都市部に住んでいる人が地方の農村の暮らしを体験することで、自身を相対的に捉えたり、これまで考えなかった着眼点を身につけることができるようになる。
このような経験は学校の中だけで学べることではなく、小中高の生徒が自身の自発的な行動だけで学べることでもない。その多くは両親による機会の提供によって経験できる。このことは家庭の所得が大きく影響すること、両親の経験による知識や価値観が、子どもに大きな影響を与えることになる。つまり経験はペアレントクラシーが大きく左右していると考えられる。
地方格差による影響もある。ICT が発達した現代であっても、東京などの都市部に住んでいると経験の機会の恩恵を受けやすい。例えば美術館への訪問、ミュージシャンやパフォーマーのイベント、流行や社会動向などを、都市部にいれば過敏に感じ取ることができる。
もちろん創造性を高める要因は家庭、学校、地域環境だけで決まるものではない。何か1つのことに熱中して取り組んだ結果、国内外で高い評価を受けている作家・漫画家・アーティストなどは地域を問わず存在する。
だが2000年以降、経験機会の差が顕著になっていることから、創造性を学ぶための環境の違いによる影響はより強くなっているのではないかと考える。
4. 公教育に求められる創造性の学びの提起
これまで取り上げてきた、偏差値の高い学校で創造性の教育が行われていること、ハイパーメリトクラシーとペアレントクラシーによる教育機会の格差から、私なりの解釈を踏まえてみたい。
偏差値の高い低いに関わらず、創造性はすべての子どもが可能性を備える能力である。そしてこれまでにない新しい取り組みを生み出す力は21世紀の社会に求められる能力でもある。このことから、創造性は偏差値の高い学校だけではなく公教育の中でより取り入れるべきであると考える。そのための解決策と課題を3点にまとめる。
4-1. 授業の再構築
公教育における創造性で代表的なものは、図工や美術や音楽、または創作ダンスなどを取り入れた体育の授業や学校祭の活動があげられる。
しかしこれらは国語・数学・理科・社会・英語といった主要5科目と比べると成績評価であまり重視されないため、授業数も少ない。そのうえ受験では専門的な学校でなければ図工や音楽などのテストは行われない。このような背景から、公教育における創造性に関わる授業はまだ軽視されている傾向にある。
このような科目の中で創造性のプログラムを取り入れることを提案したい。例えば図工や美術であればデザイン思考などの考えを取り入れて、個人の作品づくりで技能を高めるだけに閉じるのではなく、他者である同級生との関わりの中で創作を取り入れてみたり、社会に向けた提言や活用を意図したテーマを設定し発表をすることで、社会に求められる創造性を学ぶことが考えられる。
一方で、国語・数学・理科・社会・英語のような主要5科目でも創造性を高める学習を取り入れることは考えられる。例えば国語であればテストの問題を解くだけでなく、読書感想文や小説作品を書くことによって暗記学習とは違った創造的な学びができる。数学であっても、問題文を自分でつくってみたり、数学の公式を活用して機械やソフトウェアのプログラムを設計するような活用方法もできる。
受験のための知識を高めたい学生に対しては、自主的な学習や塾の機会を活用すれば、インストルメンタルとコンサマトリーの両面を充足することが考えられる。
公教育の現在の授業の中に創造性を取り入れることで、ハイパーメリトクラシー社会に適応した学習機会を提供して、ペアレントクラシーによる環境格差の軽減が実現できるのではないかと考えられる。
4-2. 教員の対応
この解決策と仮説に対する最も大きな課題は、授業を実施する教員の能力である。日本の教員は過酷な労働環境に置かれている中、創造性以外でもICT教育や探究学習など多くの新しい指導ができることが求められている。
このような環境下で、これまで創造性の専門的な教育を受けてこなかった教師自身が、創造性を高めるための授業を実施することは高い障壁があるに違いない。
この課題に対しては、公教育における実務家教員の採用を提案したい。それぞれの地域のなかで事業を立ち上げた経験者、起業家、デザイナーは存在する。このような人材を活用し、教員を補助する役割を担うことで学校の負担を軽減させることができると考える。
4-3. 地域や政治の責務
実務家教員の関与を実現するには、地域や政治の介入が欠かせない。コミュニティスクールの活動を促進して実務家教員が地域の中で参入していける機会をつくったり、文科省や教育委員会からの指針を打ち立て、制度的に成り立つ方法を導く必要がある。
所得格差や地域格差によらない創造性を公教育として広めていくことは、国の経済向上や日本社会の発展に役立っていくことだと考えれば、学校だけではなく地域や政治の立場から変革を促していくことがリーダーの立場における責務であるといえる。
学んだこと
以上です。あらためて読み返してnote用の文章ではないので、長いなぁと自分でも思ってしまいました。
大学院で1年次の前期に社会学を、後期に教育社会学を履修しました。2つの授業を通じて、ミクロ・メゾ・マクロの視点で、少しは状況を多角的に捉える目を持てるようになったかなと思います。今年は専門職学位論文を書くので、そのときにきっと役立てていると感じられる、はずです。
今日はここまでです。
デザインとビジネスをつなぐストラテジーをお絵描きしながら楽しく勉強していきたいと思っています。興味もっていただいてとても嬉しく思っています。