ポンコツ会社員だった時のお話【脱サラ悩む方向け】
こんにちは!私は、脱サラ後に未経験から職業訓練でWebデザインを学び、その後就職もせずにフリーランスでWebデザイナーになった彩です。
何を隠そう、2年前は、普通に通勤ラッシュの電車に揺られて出社する普通のポンコツ会社員でした。
それがなぜ今は在宅フリーランスwebデザイナーになったのか。そこにいたるまでの経緯を振り返りたいと思います。
今まさに脱サラを考えている方に届いたら嬉しいです。
01 脱サラ後にどうなったか
まずは、現在の私のお話しをしましょう。
脱サラをしたのが、2023年3月31日。
webデザインの職業訓練を卒業したのは、2023年7月31日。
そこから現在までの私の状況をお伝えします。
実は、インスタからの集客のみで2ヶ月先まで制作のご予約が一杯のwebデザイナーです。
時系列でお伝えするとこんな感じです。
(本当かよ、って自分でも思うような有難い状況です。本当かよ、と思った方は、インスタも是非見に来てください。)
毎日、目の前のお客様に向き合い、フリーランス生活を楽しんでいます。
今でこそこうですが、ほんの2年前までは、フルタイムで働きながら子育てをする、将来の夢など考える暇もない忙殺ワーママでした。
02 脱サラ決意までのこと
私は、大学卒業後、全国転勤型の金融機関総合職としてキャリアをスタートさせました。
こう書くと、
バリキャリか、と思うかもしれないですね。
確かに当時はそうだったのだと思います。(遠い目)
その後結婚、出産、育休、時短復職を経て、
自分自身の全国転勤はもう困難だったことや、
総合職の時短勤務が理不尽すぎたこともあり、
8年目に転職をしました。
この時ものすごく悩んだことを記憶しています。
同じ会社に40年勤めた方が生涯年収は高い。
もう総合職に戻れなくなるかもしれない。
仕事の内容自体は嫌いじゃないのに。
それでも、もう育児との両立がとっくに破綻していました。
夫は単身赴任で家には居らず、
私の実家に子供と居候していたが、私の母にほぼ全ての家事をさせてしまっていた。
私の母に負荷がかかりすぎていたため、
母と父から「申し訳ないけどそろそろ家を出てほしい」と頼まれてしまう。
こんなこと言わせてしまったなんて、ほんと自分を呪いましたよね。。
そこから、実家からは引越し、
いわゆる完全ワンオペフルタイムワーママになりました。
子供が4歳の時でした。
そして以下のことを軸に転職を決意。
①一旦、総合職は諦めるけど、将来的には戻れる可能性がある職種にする。
②転勤はない職種にする。
③時短にはしないけど、定時で必ず帰ることができる働き方をさせてくれるところにする。
これを叶えてくれる(と当時は思っていた)都内の会社に総合職と事務職の中間職である、業務職として転職しました。
それが2019年4月のことでした。
当然給料は下がりました。
だけど、定時で帰ることができ、それでも単なる事務ではなく、総合職と二人三脚ですすめる仕事が楽しかった。
上司も子育てに理解のある方で、少し残業しそうになると、帰れ!と言ってくれる素敵な方だった。
転職は大成功だったと感じていました。
能力に自信はないものの、
もともと上昇志向が強かったので周囲には、
いつか総合職になりたいです!
と言い続けていたこともあって、
毎年昇級させていただいてました。
上司からは、
勢いがある、とか猪突猛進とか、
褒め言葉なのか違うのかギリギリのラインのお言葉をもらっていました。
ようは、能力が高い訳じゃないけど、
頑張りは認めてあげよう的なやつだと思います。
それでも、
やはり同じところに3年も勤めると状況は一変する。
日系企業あるあるですが、
どうしても課長クラスの異動は2-3年でやってくる。
理解ある上司ではなくなる。
しかも総合職ではないのに、部外からきた課長からは、ある程度戦力と見なされてしまう。
どうしても業務量は増える。総合職と二人三脚だったところも、1人でこなさなければならない事案も増える。
転職してから4年経ち、
到底、定時では帰れることができない状況になってしまった。
子供は小学生になっていた。
幸い、小1の壁はあまり感じたことはなかった。
有難いことに、学校大好き、学童大好き、と思ってくれる子で、
行き渋りのあるケースではなかった。
でも、だからこそ子供への注意がおろそかになってしまい、気づいてあげられなかった。
子供の視力低下、虫歯、などの問題がいっきに出てきてしまった。
当然だ。
なぜなら、私は毎日夜20時頃帰宅するのが普通になっていたから。
子供は小2になり学童に行かない日が増え、
そうすると学校の終わる14時頃から20時まで完全に放置していたのです。
育児放棄ですよね。
アメリカだと犯罪にあたるそうですね。
その通りだと思います。
私は自分自身の仕事のことで頭が占拠され、
子供の話に、子供の態度に、子供の成長に背中を向け続けていたのです。
こんな生活、正しい訳ない。
また、同時、仕事でもうまく行かないことが増えた。
自分の能力が足りないことを責め続けていました。
部長に説明するのが怖い。数字を間違ってしまう気がして資料を作るのも怖い。
何をしても辛くなっていました。
ようやく夫が単身赴任を終え一緒に暮らすようになったけども、
私より行きは早く、帰りは遅い夫に子供のことをお願いすることはできなかった。
03 脱サラを決意した瞬間
2022年12月、
とうとう仕事が平日だけでは終わらず、土日も返上で働くことになり、
この月、残業時間は78時間を超えました。
総合職だったらよくあること?
繁忙期だったら仕方ない?
クリスマス、年末年始、満足に子供と話すこともできませんでした。
そして、その瞬間は突如、ダムの決壊のようにやってきました。
朝。急に涙が溢れたのです。
夫に、
もう無理かもしれない。会社を辞めたい。
と伝えました。
そして辞めることを決めました。
脱サラを決意!なんて素晴らしいものではありませんでした。
辞めることで、この環境からただただ逃げたかっただけです。
いいよと言ってくれた夫には感謝しかないです。
そして、その日のうちに、部長と面談しました。
どうかしたの?と一言聞かれただけで、
涙腺崩壊。
嗚咽の中、会社を辞めさせてください。
と絞り出したのを記憶しています。
2023年3月31日、私は長かった?サラリーマン人生に終止符を打ちました。
総合職に復帰するどころか、転職先も決めないままサラリーマンを辞めてしまう人生になるなんて、思いもよりませんでした。
見てわかる通り、当時は全てのことにおいて自信喪失していました。
大学まで行かせてもらったのに、会社員うまくいかなかった。
育児放棄に近いことをしてしまった。母親失格。
そんなふうに自分を責めていました。
、、、
いやー悲惨ですね😅
実はここまでしっかり当時のことを振り返ったのは初めてで、少し気持ちが戻ってしまいそうになりました😅
こわいこわい😱
でも、今はまったくそんなこと思いません!
逆にあのときやめていて本当によかった!
辞めるきっかけになってくれた部長や課長に感謝したいくらい🤣
今が人生のボーナスタイムのように楽しくて充実していて、最高です。
ちょっと長くなったので、
このどん底だった日々からどのように変わっていったかは、
次の記事でお話ししたいと思います。
それではまた!
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