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羊のギルド

深夜12時に目が覚める。

またやったなと、時計を見てため息が出そうになる。

21時も回らない時間に寝落ちしたせいで、また変な時間に起きてしまった。

変に目が冴えてしまっていて、こういう時は大体明け方まで眠れないから、諦めて目だけは閉じながら、心ゆくままに、脳裏にいろんな考えが浮かんでくるのを許し続けて時間が過ぎるのを待つ。


数え切れないくらいの取り留めない考えや感情、日中の失敗、唐突に思い起こされる彼方の記憶、わからない将来のこと、あらゆることが思い浮かぶ中で、終いにはやっぱりなんとなく、自分の至らなさに少し幻滅して朝を迎える。

考えても仕方のないようなことばかりが浮かび続ける中で、朝になっても覚えていたひとつかふたつのことを、摘み取って次の日に持っていく。

それですらも別に大したことではなく、明日はこれを食べようとか、次の土日は何をしようとか、大抵はそんな程度だ。

その日はついに何を考えていたかを一つも思い出せないまま朝を迎えて、なんだか今年一年みたいだなと思った。

たくさんの場所を訪れて、様々なことを勉強し、少しだけ去年より早く泳げるようになって、振り返れば色々あるはずなのに、なにをしましたか?と言われたら、うーんと考え込んでしまう。

何もした気がしないのは、他にやることがなかったから、誰かに言われたことを、とりあえず汗流して努力をしたつもりでいただけだからだろう。資格の勉強なんかが特にそうだ。

何か1つやり抜いた経験でもあったなら、それを語ることもできただろうに、なまじ手広く触れてみたせいで、どんな体験を切り取っても、本当は何もしてなかったみたいな薄い説明しかできる気がしない。

「自分にはスポーツしかないんで。」と言っていた昔の知り合いの顔が浮かぶ。言い切れる潔さに感動して今もその場面が忘れられずにいる。

「なにか1つに特化したい」と、何万回思ったか分からない。ないものねだりな意識も働いてそこを目指そうとするものの、極めようとなると、途端に自分の中でハードルが高くなって続けていく自信がなくなり、始めることすらやめてしまう。

これではいけないと思い、とりあえず1歩目からと軽い心で踏み出すと今度は撤退も容易なものだから、結果、ちょっとかじりました!みたいなものがどんどんどんどん散らばって、何をどこまでかじったのかを忘れていって、今に至る。

プライドは全然ないつもりで生きているけど、本当のところはやってみて失敗するのが怖いのかもしれないし、できない自分を認めたくないから腰を据えて本気で取り組めないのかもしれない。

でも、現時点で「成し遂げてない」という事実を、挑戦しない言い訳にするのもよくない。

むしろ、将来できるようになりたいから、できない今を認めてやってみるほかない。

そんなことはわかっている。
わかっていて、なおベッドの上から這い上がることをしないからこのザマなのである。向上心が肉体を追い越してしまった。

そんな感じで、否が応でも一年を振り返りたくなるこの時期に読んだ今年最後の一冊であろう小説は、宮下奈都の「羊と鋼の森」だった。

泳げるはずだと飛び込んだプールで、もがくようなこと。水をかいても、進んでいる実感がない。夜ごと向き合うピアノの前で、僕は水をかき、小さな泡を吐き、ときどきはプールの底を足で蹴って、少しでも前に進もうとした。

宮下奈都『羊と鋼の森』

ピアノの調律師を目指す主人公の外村少年が専門学校で調律を学ぶ描写だが、たしかに、頑張るってそういうことだよなって思う。

僕には才能がない。そう言ってしまうのは、いっそ楽だった。でも、調律師に必要なのは、才能じゃない。少なくとも、今の段階で必要なのは、才能じゃない。そう思うことで自分を励ましてきた。才能という言葉で紛らわせてはいけない。あきらめる口実に使うわけにはいかない。経験や、訓練や、努力や、知恵や、機転、根気、そして情熱。才能が足りないなら、そういうもので置き換えよう。もしも、いつか、どうしても置き換えられないものがあると気づいたら、そのときにあきらめればいいではないか。怖いけれど。自分の才能のなさを認めるのは、きっととても怖いけれど。

宮下奈都『羊と鋼の森』

そして才能についてはこう書かれていて、本当にその通りだなと思う。
才能があるのかどうかも分からないのに、やってみないまま終わるのは、やっぱり筋が違う。食わず嫌いと一緒だ。食べてみてから不味いって言うべきだし、やってみてからあきらめるべきだ。


自分の場合、そもそも、そこまでして挑戦したいことも、熱量を持っていることも、訓練していることもない。

だから、来年こそは何か1つ決めて1年間それをやり抜けるような生活を送りたいと思う。それが大なり小なりなんであろうと自分のやりたいことであれば構わないと思うけど、何にせよ、その道に振り切れているような清々しい生き方をしてみたいとは思うのだ。


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