読書記録|『半分、減らす。』川野泰周 ― 人生に、句読点を打つ。
先日、精神科医で禅僧の川野泰周さんの書かれた『半分、減らす。』を読みました。
印象に残ったことがたくさんあったので今日はその感想を書いていこうと思います。
『半分、減らす。』とは?
現代人は、何かにつけてやりすぎていたり、やらないといけないことをたくさん抱えがちだから、抱えているものを半分減らしましょう!と提唱した本です。
半分減らすモノについて、
1.「物」
2.「食事」
3.「消費」
4,「情報」
5.「仕事」
の5項目について本書では具体的に書かれていました。
そもそも、なぜ「半分」なのかというと
という理由だからだそうです。
た、確かに…!
わかりやすいかもしれない!
「1日1つだけ減らす」という目標設定にしてもなかなか結果が目に見えないですもんね。
また、この『半分、減らす。』という行為は仏教の「中道の精神」(何事も極端に走らず、偏りなく、ちょうど真ん中くらいのところを意識すること)につながってくることについても書かれておりました。
著者の精神科医 兼 禅僧という肩書ならではの視点がおもしろく、スッと入ってくるものがありました。
句読点を打つということ
『半分、減らす。』というこの本のタイトルに「、」と「。」の句読点が入っているのは意図的であると本書の中で著者は述べていました。
立ち止まってみることで、「やりすぎ」→「ほどほど」に行動が変わる。
句読点を打つように、立ち止まって考えることで、本当に必要なモノかどうかを見極めたり、やらなくて済んだことを日記に記したり(ムダにしなかった自分を褒める)、「ほどほど」で満たされた暮らしに変わっていくそうです。
じつはこの「句読点を打つ」という言葉に、私は少しドキッとしました。
それは私自身が、
「どこで踏みとどまることができるか」
という学生時代に恩師から言われた言葉を大切に生きてきたからです。
(実際には、大切にしている言葉ですが、日常のバタバタ具合に忙殺されて、突っ走った後に反省タイム…だらけの日々ですが…。)
しっかりと人生に句読点を打つことは、私の学生時代からの課題なのかもしれないと改めて感じました。
仕事にきちんと"句読点"を打つ
こちらは新型コロナウイルス流行によってテレワークが進んだことによって著者が精神科医として感じた問題です。
私はフリーランスでおもに自宅で仕事をしているので、このワードにドキッと反応してしまいました。
前回、習慣化について深掘りた記事を投稿したのですが、習慣化したいことの1つである『19時までにいただきます』ミッションに現在挑戦中です。
仕事時間が押してしまい、ごはんの時間が遅くなる→子どもを寝せるのが遅くなる→私も寝るのが遅くなる…という負の連鎖状態から抜け出したくてこの目標を立てたのですが、問題の本質はやはり"句読点"を打てていない自分がいることなんだと思いました。
『ほどほど』でいい
私はこれまでたくさん頑張る!がむしゃらに生きる!タイプでした(笑)
それがカッコイイ生き方だとたぶん思っていたんだと思います。
半分、減らす。とは、ほどほどに生きる。ということ。
ゆとりが生まれると自分がもっと心地よくなれる。
周りにもっと優しくなれる。
私自身、そろそろ30代半ばに差し掛かります。
自分の持ち物。仕事。暮らし。健康…。
一旦立ち止って、ちょうどいい匙加減で頑張っていくフェーズに入るタイミングなのかもしれません。
そんな気づきの多い1冊でした。