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20年ぶりに観たら違って見えた... 映画「誰も知らない」

Wowowで是枝裕和監督の「誰も知らない」を20年振りに観ました。

出生届を出されていない父親違いの4人の子供たちが恋人のもとに走った母親に育児放棄され、自分たちだけでの生活を強いられ挙句の果てには末っ子が亡くなるという悲惨な話です。

公開当時に映画館で観た時には、モチーフとなった実話よりマイルドな設定にされているものの、母親の無責任さや子供たちの哀れさに目が行き気持ちが暗くなりました。

昨日改めて観たら、その時とは違って見えました。当時気にしなかった小さな部分がこの作品で重要な意味を持つことに気付きました。

子供たちの状況を「誰も知らない」わけではなかった。いじめを受け学校をサボっていた女子中学生は公園で洗濯をする子供たちと出会い家に遊びに行ったりカラオケ店で援助交際してまでお金を作り彼らの力になろうとした。(亡くなった末っ子を飛行場近くに埋葬するのも手伝った)

コンビニ店員の女性は万引きの疑いを掛けられた長男の疑いを晴らした。別の男性の店員は長男が来ると目配せして裏で食べ物をこっそり分けてあげた。

少年野球の監督は、試合を観ていた長男を呼び付けユニフォームに着替えさせ負傷した選手の代わりをさせた。

親に見放され、世間にも見放されていたように見えた子供たちのことを放っておかなかった他人がいたことが救いになっている。それをこの作品で表現したかったのかなと新しい感想を持ちました。

長男が女子中学生に恋心を抱くところや(服の匂いを気にしたり)、公園で見つけたゴムボールを枝をバット代わりに打って無邪気に楽しんだり、辛い状況の中で喜びの瞬間があることも悲惨な場面より際立って見えました。

是枝監督の万引き家族や怪物もそうですが、一見哀れな存在に見えても、互いに気に掛ける人がいてそこに喜びがあるということがとても強い生きる力になるのだなぁーと。暗いのに少し晴れやかな気持ちになれて不思議な気分です。

Quora 2024.6.30投稿文を転載(筆者:本人)
トップ画像|出典:http://www.kore-eda.com/daremoshiranai/special.htm


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