アテンションは控えめ、生活に溶け込む穏やかな情報通信技術「カームテクノロジー」
2000年代後半にスマホが登場し、2010年代にはSNSが普及した。その後AIが実用化され、家電や自動車など様々なプロダクトもインターネットに繋がり、私たちの暮らしは常に情報に包囲されるようになった。
スマホの着信音から音響製品の「Bluetoothに接続しました」に至るまで、一日中何かしらの通知を聞かされている。「お風呂が沸きました~♪」や電子レンジのチンのように便利な呼び掛けであれば良い。究極は、緊急地震速報の警報音だ。安全のために必要不可欠なことは重々承知だが、あの不安を煽る音は本当に心臓に悪い。
四半世紀を経て、必要性が実感されるカームテクノロジー
「カームテクノロジー」という考えがある。ユビキタスコンピューティングの父とされるコンピューターサイエンティストのマーク・ワイザー氏とジョン・シーリー・ブラウン氏が提唱した設計思想だ。ユーザーの注意を最小限に抑えつつ情報を効果的に伝達し、人々の生活を向上させるためのテクノロジーと定義されている*¹。「生活に溶け込む穏やかなテクノロジー」とも称される。人と技術の関係性に焦点を当てていることから、UXデザインの設計思想の一つとも言えそうだ。
この考えが提唱されたのが、インターネットサービスが一般に普及し始めた1995年。それから四半世紀経ってようやくその意義が認識されるようになった背景にはやはり、過剰なアテンションエコノミーが人々を疲弊させている実態がある。
デジタル機器やサービスを健康や生活に支障を来さない形でバランスよく有効活用することを指す「デジタルウェルビーイング」も同義語だ。スマホ断ちなどのユーザーの意志に依存するデジタルデトックスとは対象的に、デジタル機器の方が存在を控えめにすることで、デジタルウェルビーイングを実現させるのが、カームテクノロジーである。
カームテクノロジーの重要性が唱えられる一方で、それを体現するプロダクトは少ない。そんな中、もはや代名詞のような存在になっているのが、この「muiボード」である。
フィルムタッチセンサーを主力製品とするNISSHAの社内ベンチャーから誕生したmui Labのこの木製インターフェースは、必要な時のみ情報が表示され、普段は木製ボードとしてインテリアの一部として静かに存在する。表示や通知の仕方も穏やかで、生活環境のノイズにならないように設計されている。通知攻撃に煩わされず、心の平穏を保てる上に、目にも優しい点でも健康的だ。昨年、スマートホームの世界標準規格Matterに対応し、IoTの住宅設備や電化製品の制御も行えるようになったそう。
Muiボードのようにカームテクノロジーをコンセプトにした製品は散見しないが、ひょっとしたらこれもカームテクノロジーの具体策なのではないかと思う事例はある。そこで、いくつか思い当たる事例をわたしなりに分析した以下の3つの視点で採り上げる。
① 静かなアテンション ~「数値ではない伝達」
② 忍者のように物陰に忍ぶ「ステルス家電」
③ 待機中は人を和ませる「映像ディスプレイ」
① 静かなアテンション ~「数値ではない伝達」
今年、デンマークのKickstarterで、3,210,991DKK(約6,800万円)を集めた、室内のCO2濃度を測定するフレッシュエアモニター「Birdie」。カナリヤのオブジェがインジケーターとして機能し、室内のCO2濃度が高まるにつれ、カナリヤが前傾していく。完全に逆さまになると、翼も下を向き、元気がなくなったような状態になる。それが「換気」のサインだ。
世界の保健当局が推奨するCO2濃度の基準値1,000ppmを上回ると、カナリアが逆さまになる(お亡くなりになる…)。
数値をデジタル表示する通常のCO2濃度測定器は、正確だが味気ない。よく考えれば、換気のタイミングが分かれば良いのでこの数値ではない表現方法の方が実用的だ。インテリア小物として室内の景観の妨げにならない上に、カナリヤの元気がなくなるという感情に訴える見せ方も上手いと感心した。
2022年にはGoogleが、デジタルウェルビーイングをテーマにした「Little Signals」というデジタルデバイスのコンセプトデザインを発表している。スローな動きや影、環境音やテーブルをコツコツと叩く音などの「五感に訴える方法」で着信やスケジュールを通知するアイデアで、これもカームテクノロジーの表現と言える。
ドアをノックするようにテーブルをコツコツ叩き、そのタップの強弱で通知の重要度も知らせる「Tap」。人工音ではなく物理的な音で通知するのが情緒的で良い。デジタルとアナログの融合とはこういうことなのかとも気付かされる。
画面表示のデザインにも数値ではない伝達方法を採っている秀逸な例がある。
フォルクスワーゲンの「Driver Alert System」。眠気を感知すると、モニターに休憩を促す「コーヒーのサイン」が表示される。このアイデアは筆者のお気に入りで、以前、デザイントレンドレポートの発表会でこの案の良さを力説したが、反応が薄く悲しい思いをした。穏やかに通知するカームテクノロジーの好例であり、UXデザインの参考にもなると思う。
② 忍者のように物陰に忍ぶ「ステルス家電」
日経トレンディが昨年発表した2023年ヒット予測ベスト30の2位にランキングした「ステルス家電」は、家具などと一体化していて一見、家電には見えない新型の家電のことである。ISSIN社が昨年発売した「スマートバスマット」が、その代表例としてよく採り上げられている。
珪藻土入りのマットの下に超薄型の体組成計が隠されている。お風呂上がりの足拭きついでに自動的に体重測定できるというものだ。
このように毎日当たり前に行う生活行為と一体化させ、健康管理を無意識に行えるようにするアイデアは、海外からも発案されている。フランスのデジタル機器メーカーWithingsが昨年発表した、トイレでの排尿時に尿検査を行えるようにしたセンシングデバイス「U-Scan」だ。
碁石状のデバイス内の温度センサーが尿を検知し、細いチューブ状の試験管に繋がる開口部から尿を取り込み化学分析する仕組みらしい。体内の水分バランスや栄養状態を測定できるとのこと。カートリッジとバッテリーの持ちが3ヶ月でランニングコストが嵩みそうだが、健康のために必要とする人は、少なくないだろう。
これらの製品価値は、健康管理を無理なく習慣化させることにあるが、存在を消すという点で、カームテクノロジーの表現の一つの方向性なのではないかと考える。
イケアが米国の音響メーカーSONOSと共同開発した「SYMFONISK Picture Frame Wi-Fi Speaker」(2021年発売)も、改めて見るとステルス家電だ。
スピーカーが、アートパネルになりすましている。わたし自身は、デジタル製品に「ガジェット感」を求めるタイプだが、インテリアデザイナー時代にプロジェクトで、モニターなどの機器をいかに隠すかに注力した経験があるので、この商品の価値がよく分かる。部屋の雰囲気に合わせてアートパネルを交換できるよう、マグネットで着脱可能にしている点も気が利いている。
③ 待機中に人を和ませる「映像ディスプレイ」
昔懐かしい「スクリーンセーバー」。かつての画面の焼き付き防止の役割を終え、今ではほとんど使われなくなったが、カームテクノロジーの必要性から新たな活路を見出だせるのではないかと考えた。
先述のmuiボートの待機中の振る舞いは、極力存在を消すだけではなく、「人を落ち着かせたり和ませたりする」モードもある。
詩人の作品が、季節ごとに配信されるそうだ。ディスプレイ表示は、何も実用的な情報提示に限る必要はない。スクリーンセーバーのようにぼーっと眺めるだけのものもあって良い。それもカームテクノロジーの一つの表現になるのではないか。
ウェブ/インターフェースデザイナーで映像ディレクターの中村勇吾氏が率いるThe LTDが、2011年に「FRAMED」という新しいタイプのディスプレイを発売していた。デジタルアートを映し出す40インチ画面のインテリアデバイスである。あの製品にもカームテクノロジー的な側面があったと今になって気づいた。
目がチカチカするような映像作品は逆効果だが、中村勇吾氏の代表作DROPCLOCK(画像中の数字モチーフの作品)のように、思わずぼーっと見つめてしまう映像であればリラックスできそうだ。このディスプレイが着信などの通知機能を持ち、待機時間にはスクリーンセーバーのように映像を流すものであったら良いと思った。スマートホームの利便性とカームテクノロジーの健康性や情緒性を両立し得るのではないか。
カームテクノロジーは、人と技術の「適度な距離感」
Muiボードに見られる「穏やかな通知と存在感」に加えて、数値ではない方法で伝達する、忍者のように物陰に忍ぶ、通知のない待機中に人を和ませる、という3つの視点でカームテクノロジーを考察した。
AIの実用化が加速していることもあり、今後益々私たちの生活環境は情報過多になるだろう。 カームテクノロジーの設計思想も必要性を増すと思われる。現時点ではまだ、思想のレベルに留まり具体策があまり見られないのが不思議なくらいだ。
カームテクノロジーは、ユーザーとテクノロジーの適度な距離感にある。
ユーザーを束縛するのでも放置するわけでもないテクノロジーとの心地よい関係性。一緒に暮らす家族のような存在、と言ったら大袈裟か? ハードウェア、ソフトウェア共に、考えられることは多々ありそうだ。カームテクノロジーをどのように料理するか、着眼点はまだたくさん残されている。
最後に…
個人的には、まずどこにいても広告を見させられる状況(拷問?)から逃れたい。タクシーの後部座席のモニター然り、最近は、駅の転落防止のホームドアにまで広告用のモニターが搭載されている! 昔、録画番組の再生時にCMを飛ばせる機能があったのが懐かしい。スポンサー企業には申し訳ないが、今はあのオプションが色々な場面で欲しい。
《脚注》
*¹ 参考文献:THE OWNER「カームテクノロジーとは?意味や起源、特徴などを簡単に解説」
NewsPicksトピックス 2023.9.9掲載記事より転載(筆者:本人)
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普段は、デザイン、カルチャー、ライフスタイルの観点から消費者価値観や市場の潜在ニーズを洞察し、具体的な商品/デザイン開発のアイデア創出のためのコンセプトシナリオ策定や トレンド分析を行うデザインコンサルティング業務を担当しております。
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トップ画像は、「てがきですのβ」のイラストと筆者が描いたmuiボードの絵を組み合わせて作成いたしました。
ひとの想いから、ビジネスをかたちにする。
デザインコンサルティングのトリニティ株式会社
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