19
19(ジューク)って今のハタチくらいの人って知らないのかな?
僕が中学生くらいの頃に大ブームになったフォークデュオなんだけど、当時青春真っ盛りの学生にザクザクと刺さる歌詞を発信し続けていた。ググったところによると1998年-2002年まで活動。解散からもうすぐ20年が経とうとしている。そりゃハタチは知らなくても不思議じゃない。
僕自身も狂うほどに大ファンだったわけではなく、兄が聞いていたのを聴かせてもらって聴き始めたくらいのものだ。当時は歌詞の深さも本当に理解していたかというと怪しい。それほど僕は利口な人間ではない。学生時代なんてテストはカンニングしなかったことがないほどだ。ちょっと逸れたので話を戻そう。
そんな僕が19のことをなぜ思い出したかという話をする。
「終わる事」を僕らが意識し始めた時 急に時間は形を変えた
「退屈だ。」と叫んでいた「なんでもない毎日」が今では宝物です。
『卒業の歌、友達の歌。』って曲があり、これがその曲の冒頭の歌詞。
今週になって急にこの歌詞を思い出した。
お察しの通り、学校の卒業が近づくと残るリミットを感じて、今までの景色が違って見えるということを歌ってくれている。
僕自身も高校・大学と進んで卒業を何度かしてきた中で、時間が卒業を決めてくれていたというのはそこまで全力で頑張るということを無意識に感じさせてくれるシステムだった。
そして、社会人になって10年以上が経ち、卒業というものはないように見えて、僕自身は福岡→横浜→東京→札幌→福岡→東京と転勤をしてきたので、各所での卒業に近いものを与えてもらえていた。せっかく知り合えた同僚との別れ、各地で飲み歩いていた友達。「また連絡するよ」とお互いに交わした会話も、月日が経つにつれて、薄れていき跡形もなく存在感を失い、僕だけの夢の中の記憶だったのではとすら思う。
2〜3年ごとに環境が変わるというのは飽き性な僕には合っているものの、その定期的なシステム自体に飽きを感じているというのが正直なところ。
そんな最中にこの出来事があった。
まもなく僕は転職活動を始めた。先週、転職エージェントさんと1度目のZOOMしてやりとりを始めている。
今週になり会社に行き同じ部署の方々と月に1度の会議の時に思った。
今までと景色がちょっと違うということを。かつても転職活動を行なったことはあっても踏み切れなかった部分があったのだが、今回は少し違うことを自分自身で再確認した。
気が合わない先輩社員や訳のわからないことをいう人すら、もう見れなくなると思うと、感慨深く感じるから不思議なものだ。
死に向かって生きていることを日頃からどれだけ感じていないのかと、気の抜けた自分に辟易する。やっぱり僕は利口な人間ではない。
そんなこんなで19のこの曲を思い出したわけだ。
転職活動についてはどうなるかは何も決まっていない。ただ、今こう感じたことを残しておく。それと同時に人生においては、自分のタイミングで決断して卒業しながら生きていくのだろう。どう転ぼうが自分で決断したことは正解でしょう。
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