魚の小骨と文章
お昼に食べた魚に小骨がたくさん入っていて、飲み込むまでに苦労した。
食べているとなにかかたい小さい芯が舌に当たる。
「ん?」
と思って口の中で探す。
見つけて取り出すと小さい白い骨。
魚、美味しいんですけどね。
小骨がたくさんだと食べづらくて、ついつい食べるのがおっくうになってしまう。
そんな魚を食べていて「これって文章も同じなんじゃないか」と、ふと。
誰かの文章を読んでいて、途中で、
「ん?」
と思う。
表現だったりつながりだったり、なにかひっかかるところがあってすらすら読めない。
もう一度、ひっかかったところまで戻って読み直してみる。
どこが分からなかったのか、丹念に探してみる。
そういうのって小骨が多い文章なんじゃないかと。
小骨だらけの魚を食べていると、小骨を探すのに集中してしまって魚の味に集中できなかったりする。
文章読むときも同じで、ところどころつっかえながら読んでいると、どこでつっかえたのか読み直すというところに神経がいきがちで、肝心の内容が入ってこない。
小骨を探すところに神経がいってしまってもはや味わうということに意識が向かなくなる。
読んで、頭の中で咀嚼して、自分の栄養にするという過程の中に、あちこち邪魔が入ってしまう。
だから、自分で書いたものはまずは一度自分で読んで咀嚼してみて、すらすら先に進めるか確かめてみることが大事。
もしも自分でさえ読むのにたくさんつっかえてしまったら、それは小骨が詰まった文章になっているということ。
鱧の骨切りをするように、自分の文章の中の小骨も骨切りしてあげなければ。
それは誰のためかと言うと自分の文章を読んでくれる方のためである。
せっかく読んでくださる方がいらっしゃるので、出来るだけ食べやすい美味しい状態で提供したい。
そして、職人さんが鱧の骨切りを習得するのに時間がかかるように、文章の骨切りも習得には時間がかかると思う。
たくさん練習するのがきっと一番の近道だ。