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メタバースだからこそ要注意。好きなものだけの世界は、本当に"理想の世界"なのか?

自分の好きな空間、好きな友達、好きなコミュニティ。それだけに囲まれる未来に、私たちに何が起きるのでしょうか?

 SNSをはじめ、インターネット上でのアルゴリズムが進化する中で、私たちは常に「自分の関心に合ったもの」を提供され、それに囲まれた世界が「自分にとっての世界」だと感じやすくなっています。

 それがメタバースでどのように表現され、日常化されていくのか。そして、その先に待つものは本当に望ましい未来なのか、あるいは見えない代償が潜んでいるのかを考える時期がきているのかもしれません。

 メタバースの中で好きなものに囲まれることは、一見、私たちが理想とする世界のように見えるかもしれません。自分の嗜好がすべて反映され、自分の居心地が良い世界が広がりますからね。

 ですが、その「快適さ」が果たして本当に心地よいだけのものなのでしょうか。そこにはリスクや欠点も含まれているのかもしれません。

この記事の3つのポイント
1. SNSより強力な「偏り」がメタバースで発生
2. 政府も警戒を始めた新しい社会リスク
3. 解決策はあるが誰も実行できない状況

エコーチェンバーとフィルターバブルについて

 「エコーチェンバー」や「フィルターバブル」といった言葉をよく耳にするようになりました。みなさんも聞いたことがあるのではないでしょうか。これらは、インターネットやSNSでの情報の偏り、あるいは視野が狭くなっていく現象に関連する用語です。

 まず、「エコーチェンバー」というのは、自分と同じ意見を持つ人たちとばかり交流することによって、自分の考えや信念がどんどん強化されていく現象を指します。

 特定の意見や価値観が何度も「反響」されることで、異なる意見に触れる機会が減り、「自分の意見が絶対に正しい」と思い込みやすくなってしまいます。その結果、他の意見への理解が進まず、対立や分断が生じやすくなるのです。

 一方で、「フィルターバブル」は、主にアルゴリズムや閲覧履歴に基づいて、自分に合う情報ばかりが優先的に表示され、異なる視点や多様な情報が自動的に排除される現象です。

 例えば、SNSや検索エンジンはユーザーの過去の行動をもとに、その人が「好むであろう」情報を表示するように調整されています。過去の「いいね」や検索履歴などから、嗜好を判断し、似たような情報ばかりが表示されるため、気づけば多様な意見に触れる機会がどんどん失われる。

 その結果、まるで「泡」のような限定された世界に閉じ込められてしまう現象です。

 このエコーチェンバーとフィルターバブルが組み合わさると、私たちの視野はさらに狭まり、誤解や対立、分断が深刻化してしまうリスクが生じます。陰謀論などはまさにその代表的な例でしょうし、ヘイトスピーチなどにも発展しかねません。

 これらは自分と同じ意見を持った人、そして自分が好むであろう情報と接し続けるから起きる現象です。

 ここで、メタバースに話を戻します。メタバースの世界で暮らす私たちの行動を思い返してみてください。同じ意見を持った人、同じワールド、同じイベント、同じコミュニティの人と遊んでいないでしょうか?

メタバースにおけるエコーチェンバーとフィルターバブル

 なぜメタバースと絡めてこの記事を書いているかというと、総務省が2024年10月に発行した「安心・安全なメタバースの実現に関する研究会」報告書にこのテーマが書いてあったのです

 この報告書は、メタバースの健全な発展と安心・安全な利用に向けて、総務省が取り組んでいる政策や検討内容をまとめたものです。

 メタバースに興味のある方、ビジネスで関わりを持っている方には特に注目の内容ですので、ぜひ読んでみてください。

 この報告書には、メタバース空間において、特定の価値観や嗜好を持つ人々が集まることで、極端に偏った指向性を持つコミュニティが形成される可能性があると指摘されています。

 例えば、趣味や関心が合う者同士が特定のワールドに集まり、同じような価値観の人々とだけ交流することで、そこでの価値観や考え方がさらに強固になっていくというリスクです。

 SNSにおけるエコーチェンバーと同様の現象が、メタバース空間でも発生し得るわけです。

 報告書によるとメタバースネイティブと呼ばれる、メタバースを日常的に利用しているユーザーは、SNSやメタバースを行き来しながら生活していると記載されています。これは私も実際にそうですし、ほかの多くのユーザーも同じでしょう。

 SNSでのエコーチェンバーやフィルターバブルがどのように生じるかは冒頭でも述べたとおりです。これらが重なることで、同様の現象がメタバース空間でも加速しやすい環境が整っているのです。

 メタバースは、没入感が非常に強く、バーチャル空間の中で自分の興味や価値観に基づいた活動がリアルな体験に近い感覚で行われます。これにより、同じ嗜好の友人やイベント、ワールドにばかり足を運ぶ習慣ができてしまい、結果として多様な価値観や視点に触れる機会が減ってしまうのです。

 このように、メタバースはエコーチェンバー的な現象が発生しやすい空間です。それがSNSとの相互作用も手伝って、ますます偏った価値観の中で固まりやすくなります。

 こうした状態が進むと、単に偏った嗜好に閉じこもるだけでなく、陰謀論やヘイトスピーチといった極端な思想に傾倒する集団が形成されるリスクすらも考えられます。

 私はメタバースネイティブの多くは情報リテラシーが高いと思っていますが、それでこのような現象に陥る危険性は無視できません。そして、今後メタバースがより普遍的なテクノロジーになり、多くのユーザーがメタバースを使うようになった未来はどうなるのでしょうか?

国家はメタバースにおけるリスクに何らかの対策をするべきなのか?

 総務省の報告書では、「メタバース空間におけるエコーチェンバーやフィルターバブルの問題に対して国家はどう対応すべきか」という視点も取り上げられていました。

 確かに、メタバースのような新しい領域が、社会全体に影響を及ぼすリスクに対し、国家がどう対応すべきかを考えるのは重要かもしれません。しかし、それは本当に国家が介入して解決すべき問題なのでしょうか?

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