邪馬台国はどこ? (番外編) 魏志倭人伝がマイブーム
『倭人在帶方東南大海之中・・・』で始まる魏志倭人伝は、中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻の烏丸鮮卑東夷伝倭人条の略称です。烏丸・鮮卑・東夷というのは、当時の中国から見た周辺諸国の野蛮人たちのことで、ここではその当時、日本列島にいたと考えられている民族・倭人の習俗や地理などが書かれています。『三国志』は、西晋の陳寿が3世紀末に書いたと言われています。
当時の倭には、女王の都である邪馬台国(邪馬壹国)を中心とした国が存在し、また女王に属さない国も存在していたことが記されていて、その位置・官名、生活様式についての記述が見られます。また、その書には当時の倭人の風習や動植物の様子が記述されていて、3世紀の日本列島を知る貴重な史料となっています。
しかし、必ずしも当時の日本列島の状況を正確に伝えているとは限らない(?)ことから、邪馬台国に関する論争の原因になっています。極端な場合には、『魏志倭人伝』の史料としての価値に疑念を投げかける研究者もいます。それは、邪馬台国と周辺国の位置関係や里程にズレが大きいと考えられているからです。またある人は「『魏志倭人伝』が完全ではなく、トータルで整合性が取れていないし、書写期間が長いのだから、手放しで同時代史料というわけにはいかない。・・・」と、その問題点を指摘しています。さらに別の人は、『魏志倭人伝』には「卑弥呼が使者を派遣した当時の曹魏の内政・外交や史家の世界観に起因する、多くの偏向が含まれている」との見解を述べています。
私は理系でしたが、日本史が大好きで、邪馬台国の論争についても世間的な知識はありました。しかし、『邪馬台国はどこ?』を書き始めて、色々と調べているうちに、魏志倭人伝の奥深さに惹かれていきました。書かれている内容は単純ですが、書かれていないことを補足して、文章全体を解釈するのが一苦労です。魏志倭人伝は、陳寿が残した暗号のようなものです。読めるのに内容が分からない。邪馬台国ファンは、そこに惹かれるのだと思いました。
最初は、邪馬台国のトンデモ学説だけを記事にするつもりでしたが、様々な学説に触れることで、最近はオリジナルの邪馬台国説に到達しました。まだ紹介できる内容ではないのですが、いずれ紹介したいと思っています。これまでの邪馬台国説がぶっ飛ぶような明快な論理の組み立てとなる予定なので、乞うご期待です。ひょっとすると、日本史や世界史の教科書が変わるかもしれません(笑)。最後に、オリジナルの邪馬台国説に到達するキッカケとなった諺を示して終わりにします。
『井の中の蛙、大海を知らず されど空の蒼さを知る』