空想考古学・邪馬台国はココだ!#1 邪馬台国への道
前回のイントロ篇(空想考古学・邪馬台国はココだ!#0)で、魏志倭人伝の疑問点を13項目ほど列挙しました。今回は、この中から切りの良い10項目をピックアップして、今後の方針を示そうと思います。
いよいよ邪馬台国へ船出するわけですが、そのためには一つの大前提があります。その大前提とは、これから示す10項目に先立って優先される、「0.魏志倭人伝に書いてあることは、全て事実として受け入れる」です。これまでの邪馬台国説では、それぞれの自説に都合の良いように、方向や距離が曲解されていました。なにぶん大昔の資料なので、軽微な間違いや誇張は含まれているでしょう。しかし、方向や距離を大きく変更しては、魏志倭人伝そのものの資料的価値が無意味になります。前回の疑問点とは順番が異なりますが、疑問点は以下の10項目に絞ります。
1.魏志倭人伝の記載では、距離と方位が現実に全然合わない。
項目1の目標:「距離と方向が全然合わない」と言う理由はナンセンスで、自説と合わないことの言い訳です。魏志倭人伝が正しいという前提なら、距離も方向も合う場所を見つける必要があります。その点では、九州説も畿内説も魏志倭人伝を軽視した解釈になっています。
2.邪馬台国までの、水行十日陸行一月とあるのはなぜか。陸行一月は非現実的数値。
項目2の目標:水行十日陸行一月を「非現実的な数値」と切り捨てるのではなく、水行十日陸行一月で行ける場所を見つける必要がある。
3.帯方郡より邪馬台国の距離が万二千里あるというのはなぜか。
項目3の目標:当然、距離が「万二千里」の場所にある邪馬台国を探すべき。
4.帯方郡から狗邪韓国まで七千里とある謎
項目4の目標:「帯方郡から七千里」にある狗邪韓国を探すべき。
5.韓国南岸に比定されている狗邪韓国がなぜ、「倭人伝」では倭国北岸と書かれているのか。
項目5の目標:そもそも狗邪韓国は韓国南岸なのか?。「倭国北岸」となる明確な理由が必要である。
6.倭が周旋五千里とあるのはなぜか。
項目6の目標:倭国の範囲が「五千里」となる明確な理由が必要である。
7.倭国はなぜ、会稽・東冶の東にあるのか。地図と不一致。
項目7の目標:地図と不一致と考えるのではなく、中国の会稽・東冶の東に邪馬台国はあると考えるべき。
8.邪馬台国よりさらに千余里海を渡った国はどこか。さらに、侏儒国、裸国、黒歯国の比定地はどこか。
項目8の目標:これらの4つの国々の場所(比定地)を示し、その根拠を明らかにする。
9.女王国より以北、二十一ヵ国の所在地は?。
項目9の目標:女王国より北にある二十一ヵ国の比定地を探す。
10.卑弥呼の鬼道とはなにか。
項目10の目標:卑弥呼の鬼道についても考察を深める。
なお以下の3項目については、魏志倭人伝以降の話なので、混乱を避けるために今回の空想考古学では、いったん棚上げにします。
A.『後漢書東夷伝』にはなぜ、奴国が極南界にあると書かれているのか。
B.邪馬壹国が、なぜ後代の書では、邪馬臺国と書き直されたのか。
C.日向・神武王朝のことがなぜ書かれていないのか。大倭も同じ。
上に挙げた10項目について、すでに全てを解決する『新解釈』が、構想(妄想)済みです。これから、このアイディアを基に、小出しに記事を書こうと目論んでいます。なお私のスタンスは、従来の邪馬台国説を完全否定するものではありません。それぞれの説には、なるほどと思わせる示唆に富んだ考察も数多くあります。私の邪馬台国説は、全くのオリジナルではなく、これまでの邪馬台国説の良いトコ取りだと思って頂ければ幸いです。
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