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空想考古学・邪馬台国はココだ!(妄想編) 『倭国』の由来について

 今回は、倭国わこくの由来についての私の妄想をお話しします。まずは倭国の基礎情報ですが、例によって最初はWikiのパクリです(^_^;)。

 倭国とは、古代の中国の諸王朝やその周辺諸国が、当時日本列島にあった政治勢力・国家を指して用いた呼称です。この倭国および倭国王の勢力範囲に関しては、諸説あります。このころの日本には、広範囲の地域を掌握した王権が存在せず、統一された文字も無かったので、文字としての当時の記録がありません。自分たちの国の事なのに、ご先祖自身によるご先祖様の記録は無く、隣国の古代中国の王朝の記録に頼るしかありません。

 ないし倭人が、中国の歴史書物に登場するのは、弥生時代中期の紀元前150年頃のことで、お隣の中国が前漢の時代にあたります。後漢の時代に書かれた漢書地理志によると、紀元前2世紀から紀元前後ごろにかけて、倭人が定期的に漢の植民地楽浪郡を介して(前)漢王朝へ朝貢していて、多数(百余り?)の政治集団(クニ)を形成していたことが知られています。

 ではどうして、当時の人たちのことを『倭()』と呼んだのでしょうか。主な説としては、以下の4つです。
1.日本にやってきた当時の大陸人から、「あなたたちの国の名前はなんですか?」と聞かれて、当時の日本人たちが我らの国という意味の「ワ」と答え、それに漢字を当てはめて倭となった。(卜部兼方ら説)
2.その頃の日本人たちが、柔順な性格だったので、その意味をもつ倭を当てはめた説。(本居宣長説)
3.当時の日本人の体つきが、「背が丸く曲がっており、低身長」だったので、その意味を持つ倭を当てはめた説。(藤堂明保説)
4.日本は、中国本土からは遠く、「はるか遠いところ」という意味を持つ倭を当てはめた説。(岸俊男説)

 私の仮説は、1に近いのですが、ちょっと違います。1の質問については、質問自体が不適切だと考えます。そもそも、当時の人たちに”あなたの国”という認識があったかどうか疑問です。国の概念が無い人に国名を聞いても、わかるはずはありません。2の説は論外です。当時でも現在でも従順な人はいますし、怒りっぽい人もいたはずです。たまたま接した役人が従順(親切/丁寧)だからといって、それが国名の由来になるとは思えません。3や4も理由としては間違っていないと思いますが、後付け理由の匂いがプンプンします。

 私が邪馬台国と考えている奄美大島周辺で話されている奄美方言では、自分(私)のことを、ワンワヌなどと表現します。少し離れた沖縄方言でも、一人称の私のことはワンワーなどと表現します。たぶん、大陸からにやってきた人たちは、現地の人たちが頻繁に使うワ(ン)の音から、倭(ワ)と呼んだことは容易に想像できます。おそらく、現地の人同士の会話にしょっちゅう出てくる、ワ音が耳に残ったのだと思います。

 自分たち(同じコミュニティに属する人々)を示す言葉が、その民族全体を表現していることは現代でも一般的です。例えばアイヌイヌイットも、それぞれ”人間ひと”という意味です。

 今回の倭国仮説は、これまで通り学術的な証拠は一切ありません。でも、ヒョッとするとそうなんじゃないか?と考えると、認知バイアスがかかって、そんな気がしてきませんか?。

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