短編ホラー小説 ブラック企業
オレはブラック企業に勤める、いわゆる社畜という奴だ。ブラック企業の正式な定義はないが、”労働者に劣悪な労働環境を強いる企業”というのが一般的だ。特徴としては、① 労働者に対し極端な長時間労働やノルマを課す、② 賃金不払残業やパワーハラスメントが横行するなど企業全体のコンプライアンス意識が低い、③ このような状況下で労働者に対し過度の選別を行う、などが挙げられる。オレの会社は①の条件にピッタリ当てはまる典型的なブラック起業だ。オレは、最初からこの会社を希望して入社したわけではない。自業自得なのだが、大学時代にろくに勉強もせず、就活を舐めきっていたオレに内定をくれたのは、この会社しかなかったのだ。
今日もすでに午前零時を回っているが、オレがいるオフィスにはまだ何人か社畜仲間が残って仕事をしている。終電にはもう間に合いそうもない。オレは会社から1時間半の所に住んでいるが、家には三日も帰っていない。気が付けば、ここ数日はまともな食事もとっていない。「早くシャワーを浴びて、ゆっくりベッドで寝たい」と念じながら、書類仕事を片付けていった。何とか今日(正確に言うと昨日だが)のノルマを終えて、いつもの仮眠室へと向かった。
何時間寝たのだろう。仮眠をしても疲れは取れない。仮眠室から戻ってみると、不思議なことに、ノルマで終わらせた仕事と同じ量の書類が、机の上に置かれていた。これはきっと、あのクソ上司の仕業だと、文句を言おうとフロアを見回したが、上司の姿をすでになかった。「チクショー!。いつになったら、仕事から解放されるんだよ~。仕事が終わったら気晴らしにサウナにでも行くか」と小声で言いながら、仕方なく仕事を続けることにした。
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翌日の朝、前日の残業を引きずった俺は、最寄り駅で偶然出会った同い年の同僚女性と話しながら、会社に向かっていた。その同僚とは、歓迎会で顔は見知っているが、部署が違うこともあり、話すのはこれが三回目だった。その同僚は、ブラック企業から転職してきたと噂のある途中入社した人だった。俺が昨日の残業の話をすると、その同僚が前に勤めていたブラック企業の話を始めた。
「前の会社は、散々でしたよ。サビ残は当たり前で、時にはパワハラやセクハラまがいの言動や行為までありました」と同僚が言った。「それは、大変でしたね」と応えると、「そうなんですよ、聞いてもらえます」とやや食い気味に彼女が話を続けた。「仕事自体は好きだったので、自分で言うのもなんですが、結構できる方でした。でも、それを気に入らない上司が、次から次に仕事を振ってきました。最初は少し残業すればよい量だったので、いやいや引き受けていましたが、これが駄目でした。少しづつ仕事量を増やされ、気が付けば手に負えない量にまでなってました」と一気にまくしたてた。
俺は「それは、大変でしたね」と、前と同じように気のない返事をした。俺は彼女の話をぼんやりと聞きながら、昨日の残業のことを考えていた。昨日の残業は俺のミスのせいだった。今日が提出の締め切りである契約書類の数字に、重大な誤りがあるのを発見したのだ。先輩や後輩に手伝ってもらい、事なきを得たが、あのまま提出したら会社に大損害をもたらす可能性があった。このことを考えると、背筋がゾーっとする感覚に襲われた。
「ところで、我社が今のオフィスビルに移る前に入っていた、ブラック企業のことは知っていますか?」と彼女が話題を変えてきた。「詳しいことは知りませんが、噂では勤務中に過労死した社員が数名出たそうですね」と俺が返事を返すと、「そうみたいなんですよ。その後、労働基準監督署の捜査が行われたそうですよ。そんなこともあって、会社は存続できずに倒産したらしいです」と彼女が教えてくれた。
「でも、うちはホワイト企業で良かったですね」と彼女が続けた。「確かにそうですね」と俺も同調した。「ところで、最近聞いた奇妙なウワサを知っています?」。「どんなウワサですか?」。「うちは基本的には残業が無いので、会社のフロアに夜は誰もいませんよね?」と彼女が同意と求めて来た。「確かにそうですね」。「でも深夜になると、うちのフロアに薄っすらと灯りがついているのを目撃した人がいるらしいんです。それも一人や二人ではないみたいなんですよ」。彼女は、そのホラ話を信じているようだった。オカルト話などを一切信じない俺は「あぁ、そうなんですね」と、またしても気のない返事をした。
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今日もすでに午前零時を回っているが、オレがいるオフィスにはまだ何人か社畜仲間が残って仕事をしている。終電にはもう間に合いそうもない・・・。
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そのオフィスビルを通りがかった飲み会帰りの酔っ払いが、ふとビルを見上げると、13階のフロアに青白い炎が複数見えた。酔っ払いが目を擦って見直すと、すでに炎は消えていた。