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科学エッセイ分冊 考古学編

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考古学関連の記事をまとめました。
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#卑弥呼

空想考古学・邪馬台国はココだ!#10 卑弥呼の正体に迫る (訂正あり)

 久しぶりに邪馬台国の記事を書いてみようと思います。邪馬台国の名前を聞いたことがない人は少ないと思いますが、一応説明しておきます。邪馬台国は、2世紀~3世紀に”日本のどこか”に存在したとされる国の名称です。邪馬台国は女王・卑弥呼が治めていた国家連合で、日本のどこかにその都があったことは、”魏志倭人伝”の短い記述から間接的にわかっています。空想考古学では、『邪馬台国・奄美大島説』を採用していますが、あくまでファンタジーな”空想考古学”ですので、お許しください。  ヒミコ様の名

空想考古学・邪馬台国はココだ!#8 倭国大乱の実態

 倭国大乱は、弥生時代後期の2世紀後半に倭国で起こったとされる争乱のことです。この争乱のことは、『後漢書』『三国志』『梁書』などの中国の複数の史書(正史)に記述されています。その内容は、およそこんな感じです。  倭国はもともと男子を王としていたが、70〜80年を経て、倭国内で国王の座を争う大乱が発生した。その争乱は暦年(約10年?)続いたのち、邪馬台国が勝利し、邪馬台国の一女子を王とすることで国中がまとまった。その女王の名を卑弥呼という。  邪馬台国がどこにあるにしろ、九

空想考古学・邪馬台国はココだ!#7 南方系?

 邪馬台国の場所の同定では、距離や方位ばかりが議論されますが、邪馬台国(女王国)の風俗や習慣等も見落としてはならない重要なポイントです。  まずは、入れ墨の風習です。『男子無大小 皆黥面文身 ( 男子は大小の区別なく、みな顔や体に入墨をする)』の記述のように、魏志倭人伝には入れ墨のことが何ヶ所にも書かれています。これは当時の歴史家が中国とは異なる風習に注目していたためです。奄美大島では、明治政府に禁止される明治の初期まで、入れ墨の風習が残っていました。ただし、入れ墨をするの

邪馬台国はどこ?#4 邪馬台国・新潟説

 邪馬台国の所在地も、エジプト、沖縄、インドネシア(ジャワ島)と来て、今回はやっと本州ですが、本命の近畿地方ではなく新潟です。この説は、前にも紹介した『珍説・奇説の邪馬台国』岩田一平著(講談社)に詳しく載っています。  新潟県・栃尾市に邪馬台国があったと主張しているのは、栃尾市に住む桐生源一さんです。桐生さんは栃尾市で生まれましたが、栃尾市は平成の大合併により、2006年に長岡市に編入されて今はありません。旧栃尾市は、織物の町として知られていました。歴史は古く、第11代・垂

邪馬台国はどこ? #2 邪馬台国・沖縄説

 邪馬台国はどこにあるのか?。この疑問は未だに謎で、明治時代から九州説と畿内説が争っています。中々決定的な証拠が無いため、邪馬台国の所在地については今なお決着がつかない状態です。答えがわからないのを良いことに(?)、考古学の専門家から素人研究者まで、多くの人が邪馬台国について自説を開帳してきました。  前回の記事では、邪馬台国・エジプト説について書きましたが、今回は少し日本に戻って邪馬台国・沖縄説です。邪馬台国のことを記したのは、魏志倭人伝という中国の歴史書です。この中には