見出し画像

№332 本を読む人は嫌われて当然

そもそも、読書をする人間って
嫌われるんじゃないかと思うんですよね。

たしかに、いま読書が廃れてきている
いちばんの理由はそれじゃないかと思います。

テレビのせい、インターネットのせい
とか言われていますけれども、
本当の理由はそれ。

本を読むってことは、
自己の独自性を築き上げることです。

ようは個性を築き上げることです。

でも、自分なりの個性ができ上がると、
自分と意見の違う人のことは、
どうしても受け入れにくくなる。

それがこのインチキ民主主義の、
人から好かれなきゃいけない文化と、
すごく深いところで抵触するんだと思います。

だから、読書をみんながしなくなっちゃった。

でも、嫌われることを受け入れる人生じゃなきゃ、生命というのは価値がないんだと思っています。

個性を築き上げられたら困るから、
時の権力者たちは
民衆に本を読んでほしくないのです。

だから昔は、植民地では文字は教えない、
学校教育は受けさせない。

インドネシアがまだ欧州の植民地だったころは、
本を持っているのが見つかっただけでも
牢屋にたたき込まれていたそうなのです。

本っていうのはそういうものなんです。

いまだって、簡単に言えば国家の言う通りになる、二等兵をつくるための教育だから同じことですよ。

本を読んで意見を言う人間は、
はっきり言って邪魔なわけですもん。

悪い意味の平等化ですね。

そういう意味じゃ、読書というのは本来、
苦しいものなんですよね。

いまは楽で読んでいる人のほうが多い気がします。

生命の自己確立なんだから
苦しいに決まっているんですよ。

その苦しみを突破しないと、
自己は確立できないわけです。


ちょっと名前が出てこないのですが、
評論家のとある人は
「人生というのは自分の言葉を持たなきゃいけない」
と言っているんです。

自分の言葉っていうのは、
自分独自の考えから出てくる言葉であり、
内臓から絞り出す言葉のことです。

これがすごく大事。

自分の言葉を持って初めて、
自分の人生が確立するわけです。

それを持つために絶対に必要なのが、
読書だってことです。

テレビやゲームだったら考えないですよね。

それらは楽なんです。

やっぱり奴隷の楽。

何も読まない。

何も考えない。

自分の快楽と損得だけで生きている。

そういうやつは、
「奴隷の自由」を享受すりゃいいってことです。

一人ひとりが個性を持った生命体なんだから、
生まれて、燃焼して、燃えつきて死ぬには、
やっぱり自分の言葉を持たなきゃだめですよね。

いちばん最初に戻れば、
嫌われることを前提としない読書なんて、
読書じゃないということです。

好かれるためなら、読まないほうがいい。

よく巷にある「人から嫌われない方法」みたいな、そういうハウツー本を読んでもだめですね。

そんなのだったら、まず読まないほうがいい。

嫌われたくなかったら、
何もしないで「羊」でいることがいちばんでしょう。

ようするに、
他人より程度が低けりゃ嫌われないんです。

読書っていうのは、
人より程度が高くなるためにするわけです。

高くなれば、嫌われるに決まっています。

程度の低いやつは、
程度の高い人間をひがむ傾向が顕著です。

このひがみ思想も、いまの日本社会の特徴で
以前よりずっとひどくなっている気がしてなりません。

これも悪平等の結果ではないでしょうか?

サポートしてくださったらメチャクチャ歓びます! 取材の際の電車賃に使わさせて頂きます!