1/30日記

やりたいことがない。


友人「お前はさ、軸がしっかりしているのがうらやましい。俺は勉強しているけど、将来のことぼんやりしていて、やりたいことがないんだ。」


私「やりたいことがないって普通じゃない?ある方がすごいと思う。やりたいことって結局好きな事じゃん。好きなことだけが仕事なわけではなくて、嫌なこともやらなきゃいけないじゃん。そのギャップってつらいし、別に、やりたいことを仕事にする必要性ってないと思うんだ。逆に、自分が今何やれるかということを考えるほうが大事だと思う。自分がどんなスキルを持っていて、自分が何をできて社会に貢献できるかが先決。自分の欲求をいかにして満たすか。そうすれば仕事もやってるうちに楽しくなっていくんじゃない?」


好きなことを仕事にする。

これって素敵なことだと思うのだが、どうしても穴がある。

好きなことだけが仕事にできるわけではないということ。

私は「駅員・車掌や運転士」といった鉄道従事職に憧れを抱いていた。

幼少のころから鉄道が好きだったし、なりたかった。

実際、鉄道会社に就職するも、1年でうつ病発症。


その後復職をするも、8か月で退社した。


しかし、それでよかったのだと思っている。

やりたいことを諦めた挫折もあった。

「やりたいこと」だけが人生ではない。


病気後の私はこう考えた

「やりたいことよりもできることを増やそう」

その結果、今は不動産事務の仕事をしている。

これはこれで面白い。


当時、不動産職に入ろうと思ったのも、「事務で、外に出れる仕事」で、たまたまあったからだ。

しかし、やってみると意外と面白くて、様々なところにも興味が広がった。


「やりたいこと」って意外と美化されすぎている景色なのかもしれない。

「やってみること」の方が、自分で後から意味づけできる。それをポジに思うのか、ネガに思うのかは人次第ではある。

一回手を付けて、それで「良いのだ」と思えば、それはそれでいい。

仕事の知識を活かして、趣味の幅や、好奇心も広がった。


だから、「やりたいことがない」というのは、正しいのかもしれない。

そして、その感情に浸るのは、「本当にやりたいことがない」人か「やりたいことで得られる達成感って弱かった」という現実の認知のどちらかだと思う。


その友人は恐らく後者なのだろう。

彼の夢は「鉄道の運転士」だった。

その夢を数年前に叶え、今は「転職したい」と言っている。

現実や、見ていた理想に届いてしまった時、何かしら彼の中で見つけたのかもしれない。


「やりたいことがある」

それは趣味でもいいじゃないか。趣味なら楽しいことだけしていられる。鍛錬が必要な趣味も勿論あるが、仕事と違って指図されるわけでもなく、セルフコントロールをもって好きなことを継続することができるのだ。


だったらそれでいい。


あとは、お金を稼げて生活できるだけの余力があればいい。


夢も何もないのかもしれない。

だけど、そんな大きな外側の目標よりも

「美味しいものを食べれて幸せ」

「好きな温泉に入れて幸せ」

「友人と人生のテーマを話せて幸せ」

等、人生の在り方は、夢ではなく「ライフスタイル」になりつつある。


空に手を伸ばして必死にもがいて飛ぶよりも

目の前の生きている過程をのんびりと過ごせるというのが、自分にとっての幸せなのかもしれない。

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