不整脈と不誠実な大人の夏。
月に一度の通院では待ち時間に予め自動血圧計で計測をして、打ち出された結果を手に診察を受ける。診察では改めて先生が水銀血圧計で測るのだが、まあそういうことになっている。
いつものように血圧計に腕を通し測ろうとしたがエラーメッセージが出て測れない。「測り方が悪かったかな」と思い再度試みようとすると、たまたま横にいた看護婦さんが「ちょっと待って」と脈をとり「不整脈じゃない?」という。そもそもそのケはあるので驚きはしないが、診察前に血圧が測れなかったのは初めてだ。「胸が苦しくはない?」「いいえ」「そう」看護婦さんが先生に伝え、水銀血圧計で改めて測ってもらうと「うん脈が乱れているね」と先生がいう。「水分は摂ってる?」「はい」とかいくつかの問答がありいつもの処方箋を出されたが、要は夏バテなのだ。そう言えば胸のあたりがなんとも心許ないというか、今年の夏はそんな事がしばしばあったような気もする。自宅で血圧を測って時折エラーが出ていたのもそのせいか。「そろそろ買い替え時かな」と呑気に構えていたがどうも違うようだ。
不整脈は健康な人でも起き得ることで、すべて治療が必要と言うわけではない。ただ当たり前だが心疾患がある場合はその限りにはあらず。突然死などのリスクも高くなるので要注意だ。すでに心臓の動きを助ける薬は飲んでいるので、日常生活で気をつけるしかない。何事もゆっくり無理せず穏やかに。人一倍怠惰なくせに案外これが苦手だ。矛盾してないか、オマエ。とにかく今までが暑すぎた。子供の頃から喘息の起きない夏は一年で一番好きな季節なのだ。夏が嫌いにならないように、カミサマどうか四捨五入30℃までで勘弁してくだされ。
広島の平和記念式典をテレビで見る。毎年ちゃんと見ているわけではない。時間があればという「その程度」の人間である。2人の小学6年生がまっすぐ前を見て「平和への誓い」を読み上げる。
「みなさんにとって平和とは何ですか」
彼らに続いて壇上に上がった総理大臣たちの、オトナの事情をもっともらしい言葉でくるんだ挨拶がどれだけ彼らの問いへのアンサー足りうるものだったかは悲しいかな言を俟たない。それは周辺で慰霊や祈念はそっちのけで「帰れ」などと騒いでいる集団も同じだ。小学生の言葉を「どうせ言わされているのだろう」というオトナはすでに論外だ。彼らはアンタたちよりずっと言葉を深く感じられるし自分が何を発しているのかを知っている。
右だ左だと手旗信号をバタバタ振る前に、頭に深く刻み込んでおかなければいけない根源的なものがあるよね?
出しのイラストは「hisuiiro」さんの作品をお借りしました。ありがとうございます。