本棚の中身・若気上等
近頃、本屋に行くと「老い」とか「死」とかいうワードがやたらと目立つ。そういう言葉に目が行く年齢になったこともあるが、要は出版不況の中で商売になりそうなのがそのあたりなのだろう。70歳になったらああしろだとか、いやいやするなだとか喧しい。その手にはのらないと思いながら希にその気にさせられそうなタイトルがあるから困る。
だいたい分別くさい人生論を並べたがる大人に限って、当の本人は若気を至らせたこともない(なんて日本語だ)。若気はその恥ずかしさも含めてかけがえのないものだ。そんな若気を存分に感じさせてくれる本たちは、今手にすることはなくても本棚の一角でしっかりと生きている。
『何でも見てやろう』(小田実著)は、著者の26歳の1958年から2年間にわたる世界貧乏旅行記。60年代のある種の若者にはバイブルのようなものだったらしいが、その頃は若気の「ケ」どころかよちよち歩きの赤ん坊だ。20年近くも遅れて軽薄短小の時代に手にしたこの本は、何も変わらない世界と変わってしまった世界を刺激たっぷりに見せてくれた。
『俺様の宝石さ』(浮谷東次郎著)は、『なんでも見てやろう』と同じ頃、単身渡米した高校生の日記と手紙による放浪記。帰国後レーサーとして活躍するも23歳でその命をサーキットに散らす伝説の人物の貴重な前史だ。ひとりの「とんがった」若者が経験する60年代のアメリカ。あふれんばかりの若気が清々しい。『がむしゃら1500キロ』『オートバイと初恋と』を合わせて読むと彼の人間像がよりわかる。
『二十歳の原点』(高野悦子著)はもう説明不要か。学園紛争のまっただ中で大学生活を送り、愛に悩み社会を憂い、自己を見つめて自死をした独りの女性の手記。そのふくよかな感性が世界に自分が存在することを許さなくしてしまったなら、世の中は何て残酷なのだろう。若さはそれでも目を背けずにいられない。もちろん『序章』『ノート』と合わせて読んだ。
小説から1冊。『赤頭巾ちゃん気をつけて』(庄司薫著)は60年代後半、都立日比谷高校に通う「ぼく」の「生活と意見」と言ったらいいか。大学進学を控えて、こちらは破天荒な冒険譚でもなく命を削るまでの葛藤に苛まれるということはない。だからといって「ぼく」の悩みが小さいわけではない。時代の背景は違っても、多かれ少なかれ若者が抱く面倒くさい過剰な自意識。『白鳥の歌なんか聞えない』『さよなら怪傑黒頭巾』『ぼくの大好きな青髭』とやはり4色揃えたい。
どれも60年代ばかりになってしまった。わが青春の70年代はどこに行ってしまったのだ。まあいいや、そういうことでわが本棚は若気上等!なのであります。