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文庫本のカバー

平野啓一郎の「ある男」を文庫本で読む。戸籍を売り他人になる男の数奇な人生と、それを追う弁護士の話。表紙(カバー)がゴームリ―の彫刻で「ビッグビーマーズ」という連作のひとつ。「建築の構造原理を使用して、空間と空間の身体を再考」するとのこと。悲嘆にくれているようなその姿勢も、積み将棋かだるま落としのように一つ外せば一瞬で崩れ去るような脆弱感が、人間という存在の不確かさを際立たせ、作品世界への興味を掻き立てる。

文庫カバー

文庫本は新装のたびにカバーも一新する。それが文庫の宿命であり使命でもあるのだが、古い作品や古典などではしばしばちょっと困ったことになる。30年近く前だったか、漱石をもう一度ちゃんと読もうと思い何冊かの文庫本を買った。当時角川文庫がわたせせいぞうの絵でカバーを一新し、本屋にどーんと平積みされた。「三四郎」も「こころ」もあのさわやかそうな青年である。「いや、お前は三四郎じゃないだろう、あんたも美禰子じゃないよね」と、それこそなりすましの別人を見るように新潮文庫を買った。ただ本棚を漁ると「吾輩は猫である」だけは角川文庫で、人物の顔が描かれていないので一冊位はと思ったのかもしれない。わたせせいぞうはかなり人気があったので、裾野を広げたい販売意図はわかるのだが、これが作品世界と言われるとかなり複雑である。

映画化による表紙の一新も困りものだ。映画のシーンや俳優のアップをA6サイズいっぱいに使われては、まるで映画のノベライズのようで思いっきり買う気が削がれる。小説と映画は別物なのだ。原作本というなら帯で存分にやってくれ。


見出しのイラストは「雫とコンパス」さんの作品をお借りしました。


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